第37話 「人間以下ツイート規制」の是非
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
ツイッター民……ツイッターを常時利用する人。
〈時〉
2018年9月下旬
ツイッター民「ツイッター社が、他人を人間以下扱いするツイートを取り締まると発表した。これじゃ言いたいことも言えやしない。そもそも、人間『以下』っていうのは何だ。これじゃ、人間も含んでるじゃないか。人間を、人間を超えたものとして、扱わなけりゃいけないってことになるのか?」
クマ「怒っているね」
ツイッター民「ええ、怒っていますよ。わたしにとって、ツイッターというのは、単なる情報伝達の場じゃないんだ。自分が心から感じたことを主張し、それに対する他人の考えを聞いて、考えを深めていく。言わば、自己実現の場ですよ。それが規制を受けるっていうんだから」
クマ「人間『以下』っていうのは、どうやら誤訳のようだね。原文にはこうある、『treats others as less than human』とね。ちょうど、ここに学校で英語を勉強している高校生がいるから、訊いてみようか。ねえ、アイチ、less than ~っていうのは、~を含むの? それとも含まないの?」
アイチ「含まないよ。less than ~っていうのは、日本語で言えば、『~未満』っていう意味だって、授業で教わったよ。逆に、more than ~っていうのは、『~を超えた』っていう意味で、『~以上』じゃないんだって」
ツイッター民「そうですか。誤訳だとは思っていましたよ。まあ、そんなことはともかくとして、これから、人間を人間未満に取り扱う発言はできなくなるわけです。『このブタヤロウ』とか、『お前なんか虫けらだ』とかね、やれやれですよ」
クマ「キミは、ツイッターを自己実現の場と言ったけれども、他人に、『ブタヤロウ』とか、『虫けら』とか言ってなされる自己実現というのは、一体どういうものになるのかな」
ツイッター民「いやいや、わたしだって、そんなことをしょっちゅう言っているわけじゃありませんよ。他人をおとしめてなされる自己実現なんてものに価値を置いているわけないでしょう。しかしですね、まず第一に、現にそうとしか表現できないことがあることは事実じゃないですか。そうして、第二に、仮にそう言うことがマズいとしても、それを取り締まることは良くないと言いたいんです」
クマ「なるほどね。確かに、この世の中には、人間未満の人間がたくさんいるということは事実だとボクも思う。ボクはヌイグルミだから、忌憚なく言っておくけれど、人間の中には高尚なものもいれば、逆に、下劣なものもいるよね。それこそ、『ブタ』や『虫けら』に例えるのさえ憚られる人間というのが確実にいる」
ツイッター民「その通りです」
クマ「しかしね、そういう発言をするときに、人が忘れやすい事実が一つあるんだ。キミはどうかな」
ツイッター民「なんですか、忘れやすい事実って?」
クマ「そういう発言をしているのが、他ならぬ自分自身っていうことだよ。他人に『ブタヤロウ』と言って非難できるほど、自分自身は優れた人間なのか、その点に対する自省の意識が欠けている人は驚くほど多いね」
ツイッター民「いや、ちょっと待ってくださいよ。そんな自省なんてしなくたって、非難できることは非難できるじゃないですか。たとえば、先だっての、元アイドルグループの女性の飲酒ひき逃げ事故に関しては、わたし自身がどうだってことと関係なく、非難すべきことでしょう」
クマ「本当だろうか。たとえば、キミ自身だってそういう状況になったとき、同じ行動をする可能性が絶対に無いって言い切れるかな?」
ツイッター民「わたしは、ひき逃げなんかしませんよ」
クマ「絶対に?」
ツイッター民「……絶対かどうかと言われると、そりゃ、人間そうなったときにどうなるか本当のところは分かりませんから、絶対の絶対とは言えませんけど」
クマ「だとしたら、彼女とキミの違いは、たまたまそういう状況に遭遇したかしなかったの違いに過ぎないじゃないか。それなのに、彼女のことをキミは非難してもいいんだろうか」
ツイッター民「でも、そんなことを言い出したら、誰も何も非難できなくなるじゃないですか」
クマ「そうなるよね。それにも関わらず非難が為されるということが、そういう自省に関する意識が無いというそのことを表しているんだよ。その状況に遭遇したのが自分だったらどうなのかってちょっとでも想像する力があればね、人はうかつなことは言えなくなるはずなんだ。さあ、人を人間以下扱いする発言をする人自身は、果たして人間以上の存在なのかどうか」
ツイッター民「……分かりました。いいでしょう、その点については認めましょう。確かに、人をおとしめる人が立派な人であるとは限らないですよ。というか、そもそも人をおとしめている時点で立派な人とは言えないかもしれない。しかしですね、そういう人間以下発言を取り締まってはいけないと思うんです。せっかくの自由な言論の場が窮屈になってしまう」
アイチ「ツイッターで発言しなければいいんじゃないの?」
ツイッター民「何を言っているんだ、キミは。わたしはツイッターを表現の場として選んだ。その選択が先にあるわけだから、そこで発言しなければいいなんてことにはならないんだよ」
アイチ「でも、どうして、ツイッターじゃないといけないの?」
ツイッター民「その簡便さと伝達力の高さゆえだよ。やらない人には分からないね。キミはSNSはやらないの?」
アイチ「やらないよ。わたしは、特に、顔も知らない他人に向かって発言したいことなんてないから。こうして、たまに面と向かって話しているだけで十分かな」
ツイッター民「まあ、キミみたいに、身近な人間とおしゃべりしているだけで事足りるという人はいいさ。でもね、わたしみたいに、自分の意見を広く世の中に発信したいという人もいるんだよ」
アイチ「どうして発信したいの?」
ツイッター民「何を言っているんだ。どうして発信したいのかと言えば、自分の意見が正しいかどうかを、自分ではない他人に判断してもらいたいからに決まっているじゃないか。それが正しければ自信につながるし、間違っていれば考えを改めて成長することができる。それを自己実現と、わたしは言っているんだ」
アイチ「うーん、でもさあ、自分の意見が正しいかどうかっていうのを判断してもらうためには、その判断してくれる人の判断を信頼できないといけないでしょ? 顔も知らない他人の判断なんて、わたしなら信頼できないけどなあ」
ツイッター民「やれやれ……顔を知っているかどうかなんていうことは、その人の意見の正しさとは何の関係も無いことだ。論理によって、正しいかどうかというのは判断ができるんだからな」
アイチ「そうかなあ。わたしはこの人なら信頼できるっていう人の言葉しか納得できないけどなあ。それに、もしも論理によって正しいかどうか判断できるなら、論理によって自分で判断すればいいわけだから、他人の意見を聞く必要なんて無いんじゃないの?」
ツイッター民「だから、それは、わたしの論理が間違っているかもしれないからだよ」
アイチ「え、だって、論理って、みんなに共通のものでしょ? 共通だから、それによって正しいかどうかが決まるわけだから。『わたしの』論理、『あなたの』論理なんて、無いはずでしょ?」
ツイッター民「…………」
クマ「今は表現の自由が保障されていて、それだけじゃなくて、ツイッターを始めとした各種SNSの隆盛によって、むやみと言葉が消費されている社会になっているね。まるで発言しなければ損みたいな風潮だ。そうして、どんどんと無内容な言葉が溢れてくる」
ツイッター民「それでも、発言できないよりはいいでしょう?」
クマ「発言できないよりはいいって言ったって、まずはその、『いい』という言葉の意味を先に吟味しなければいけないじゃないか。人を人間未満のものとしておとしめる発言を大っぴらに行うことは、いかなる意味で『いい』と言えるのか。まずはそこを先に確かめておかないと、それが規制されることがいいとか悪いとか言ったってしょうがないことにならないかな」
ツイッター民「しかし、あなたは、さっき、人間の中には人間未満のものがいることは確実だと言ったじゃないですか」
クマ「言ったよ。でも、それをツイッターなどによって発表することの是非にまでは触れていないさ。『言わぬが花』という言葉もあるからね」
ツイッター民「でも、人間の中に人間未満のものがいることが真実だとしたら、真実を告げることは、いいことのはずじゃないですか」
クマ「仮にそうだとしても、告げ方というものもあるからね。『このブタヤロウ』という代わりに、『キミは下品だね』と言ったっていいわけだからさ」
ツイッター民「納得が行きませんね。告げ方によって、ニュアンスも変わるわけですから、他の告げ方もあるなんていうのは、ごまかしですよ」
クマ「キミは、気を遣う相手っていうのはいるかな?」
ツイッター民「いますよ。友人や恋人には相応に気を遣っています」
クマ「その人たちがもし、ブタヤロウ的な行為をしていたら、その通り、『このブタヤロウ』と言うのかな?」
ツイッター民「……状況に寄るでしょうね。その行為が、愛想が尽きるほどのものだったらそう言うかもしれないし、そこまでじゃなくて、更生させたいと思ったら、別の言葉を使うでしょう」
クマ「キミは今、他の告げ方があるなんていうのは、ごまかしだって言ったけれど、現にキミだって、その告げ方があってそれを使うかもしれないことを認めているじゃないか」
ツイッター民「いや、しかし、それは、ごく親しい人に対してじゃないですか」
クマ「どうして、ごく親しい人にはそうして、親しくない人にはそうしないんだい?」
ツイッター民「それは……まあ、親しくない人は、わたしにとっては、親しい人よりはどうでもいい人だからでしょうね」
クマ「だとしたら、キミの発言を受け取る人だって、キミの発言なんてどうでもいいと思っているんじゃないかな。発言をする人もどうでもいいと思いながらして、発言を受け取る人も本気になって聞きはしない。それが、言葉が無内容になっているっていうそのことだよ。いっそ、人を人間以下扱いするツイートを禁止するなんてものじゃなくて、人生に関する真実以外のツイートを禁止するとでもしたらいいんじゃないかな。そうすれば、みんな、もっとよくよくと考えてから発言するようになるんじゃないかな」
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