第28話 政治に関心を持つ前にすべきこと

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

民主主義者……国民みなが政治に関心を持つべきだという考えの持ち主。

〈時〉

2019年1月


民主主義者「モデルのローラさんが沖縄の辺野古沖埋め立てに反対する署名への参加を呼びかけた件に関して、高須クリニックの高須院長が、自分ならCMを降ろす、とツイートしました。わたしは、これを聞いて、本当にがっかりしましたよ。戦後70余年、日本の民主主義の成熟度というのは、まだこの程度のものなのかと」


クマ「随分、悲観しているね」


民主主義者「それはそうでしょう。民主主義というのは、自分たちのことを、一部の特権的な人間に任せるのではなくて、自分たちで決めていこうという考え方のことを言います。そうして、自分たちで決めていくには、自由な議論が不可欠なんです。誰でもどんなことに対しても、発言する自由が保障されていなければならないんだ。正式には表現の自由と言いますがね。それを、高須院長は、弾圧するような発言をするんですからね」


クマ「なるほど、なるほど。誰でもどんなことに対しても、発言する自由が保障されていなければならない、か」


民主主義者「そうですよ。有名企業のトップが、そんな基本的なことが分かっていないんですから、情けないじゃありませんか」


クマ「でも、キミの言うとおりだとすると、高須院長の発言の自由も保障されていないといけないことになるんじゃないかな?」


民主主義者「なんですって?」


クマ「誰でもどんなことに対しても発言する自由が保障されていないといけないなら、高須院長がローラさんの政治的行動に関して発言する自由も保障されていないといけないことになるんじゃないかな?」


民主主義者「やれやれ……」


クマ「何か間違っているかい?」


民主主義者「いえ、まあ、そういう風に考える人は他にもいるようですから、ここはしっかりとご説明しておきましょう。誰でもどんなことに対しても発言する自由は保障されます。しかし、その自由を破壊する自由までは決して保障されません。それが発言の自由の限界です」


クマ「なるほど。しかし、今回の高須院長の発言は、ローラさんの発言する自由を破壊したと言えるんだろうか。高須院長が何を発言しても、ローラさんが発言できなくなるなんてことは無いと思うけど」


民主主義者「いえ、確かに、高須院長が何を発言しても、彼はローラさんのスポンサーではないので、形式的には影響は無いかもしれませんが、ああいう社会的影響力がある人が発言することで、実質的に他の企業トップ、それこそローラさんのスポンサーに影響を与えることがあるかもしれないじゃないですか。それが問題なんですよ」


クマ「そうだろうか。それは、ちょっと、他の企業トップをバカにした考え方じゃないだろうか。他人の発言に簡単に影響を受けるような人が企業のトップであるはずはないと思うけど」


民主主義者「……まあ、いいでしょう、確かにそうかもしれません。しかしですね、彼の不見識それ自体は認めざるを得ないでしょう」


クマ「でも、キミは今、彼の発言が形式的にも実質的にも影響を与えないということを認めたじゃないか。だとしたら、いったい何が不見識ということになるんだろうか?」


民主主義者「……では、あなたは、彼の発言が正当なものであると認めるんですか?」


クマ「正当も不当も無いよ。高須院長は、ローラさんの政治活動に言及して、自分がスポンサーだったら降ろすという、単なる仮定の話をしただけじゃないか。どうしてこんなことがそこまで槍玉に挙げられるのか、こんなツイートを取り沙汰するということにおいてこそ、発言の自由ということが真に理解されていないんじゃないか、とボクは思うね」


民主主義者「……いいでしょう。あなたの言うことを認めるとしましょう。しかし、問題はですね、今回の個別具体的な案件にあるわけじゃないんですよ。そうではなくてですね、高須院長の発言に見られるような意識、すなわち、芸能人は芸能活動だけやっていればよく政治活動をする必要は無い、という考えが一般にあることが問題なんです」


クマ「高須院長のツイートからそういう意識まで読み取るのはちょっと性急だと思うし、仮に高須院長がそう思っていたとしても、その思いが一般に存在するというのも飛躍しているような気がするけど、まあ、仮にそうだとして、キミは、みんなが政治活動に参加すべきであるという考え方なのかな?」


民主主義者「それはそうですよ。芸能人であろうが一般人であろうが、できるだけ多くの人が、それこそみんなが政治活動に参加するべきです。そうでなければ、民主主義というのは実効性を持たないんだ」


クマ「なるほど、ところで、アイチ、キミは政治に関心を持っているかな?」


アイチ「わたし? うーん……あんまり興味無いかな」


民主主義者「ダメだよ、そんなことでは。せっかく、選挙権の年齢も引き下げられたのだから、きみのような若者が、積極的に政治に関わりを持っていかないと」


アイチ「政治ってよく分からないし」


民主主義者「分からないなら調べるんだよ。あるいは、知っている人に訊くんだ。ちょうど、今はわたしがいる。何でも教えてあげよう。いったい何が分からないんだい?」


アイチ「何がっていうか、そもそも、政治って何なのかっていうことから、よく分からないの」


民主主義者「……これが今の高校生の現実なのか、信じたくない話だ。政治というのはね、われわれみんなの生活を現状に即して向上させていく活動のことじゃないか。だからこそ、みんなが関心を持つべきことなんだよ」


アイチ「わたしは別に今の生活を向上させたいとは思わないけどなあ。現状で十分満足しているよ」


民主主義者「まったく……まあ、まだ社会に出ていないから分からないのも無理はないけれど、常に向上させようという意識がなければ、下降するのが世の常なんだ。きみが今満足している生活というのは、周囲の大人が、生活を向上させようという意識のもとで作り上げてくれているものなんだよ」


アイチ「じゃあ、わたしもいずれ大人になるわけだから、そのときに関心を持てばいいんじゃないの?」


民主主義者「言い換えよう。『周囲の大人』じゃなくて、『周囲の政治的意識の高いちゃんとした大人』とね。単に大人になるのではなくて、そのような政治的意識を持った大人にならなければいけない。そのためには、今から政治に関心を持つべきなんだ」


アイチ「うーん、でも、そうだとすると、政治のことは、その政治的意識の高い人たちに任せておけばいいんじゃないのかな」


民主主義者「何を言っているんだ! きみは、専制政治を肯定するのか!」


アイチ「専制政治ってなに?」


民主主義者「王や一部の特権階級によってなされる政治のことだ!」


アイチ「わたしはそんなこと言っていないよ。あなたが、今の世の中が政治的意識の高い大人によって運営されていると言ったから、現にそうなっているんだったら、そういう人たちに政治は任せればいいんじゃないかなって、そう言っているだけだけど」


民主主義者「民主主義というのはね、繰り返させてもらうが、自分たちのことは自分たちで決めようという考えなんだよ。なぜこういう考えを採るべきなのか。それは、みんなのことについて一部の人間だけに任せておくと、必ず道を誤るからだ。だから、みんなのことについては、みんなが関心を持つ必要があるんだ。議論を尽くして、衆知を集めるんだよ! それでこそ、正しい選択が為されるんだ!」


アイチ「うーん……本当にそうかなあ。たとえば、わたしは、沖縄の辺野古沖埋め立てについては全然知らなくて、辺野古沖を埋め立てないんだとしたら、じゃあその代わりにどうすればいいんだろう、ってことくらいしか思いようが無いんだけど、こんなことを言うことが、辺野古沖の埋め立てについての正しい選択に貢献することになるのかな」


民主主義者「だからもっと調べるんじゃないか」


アイチ「調べるってどうやって?」


民主主義者「どうって……勘弁してくれよ。なんなんだ、本当に……この子が今時の高校生の一般的な姿じゃないことを望むばかりだ……スマホでいくらでも調べられるだろう?」


アイチ「スマホで辺野古沖の埋め立てに関して調べたとしても、その情報とか知識が正しいことは、誰が保証してくれるの?」


民主主義者「だから、それは、自分で考えるんだよ。決まっているだろう」


アイチ「考えて出した結論が正しいことだっていうのは誰が保証してくれるんだろう」


民主主義者「その結論をきみが発言して、多くの人たちがそれに賛同してくれたら、それは正しいと言っていいだろう」


アイチ「でも、その多くの人たちが正しいっていうことは誰が保証してくれるの?」


民主主義者「民主主義社会においてはね、多数の方が正しいとみなされるんだ。もちろん、十分な議論を尽くしたあとだけどね」


アイチ「でも、もしも議論の筋道がおかしかったり、そもそも議論の前提を間違えていたとしたら、それによって出された結論に多数の人が賛成していたとしても、それが間違っている可能性はあるでしょ?」


民主主義者「それは……しかし、そんなことを言ったらキリが無い話だ。政治というのは、哲学じゃないんだ。ある問題についてそのつど答えを出していかないといけないわけだから」


アイチ「うーん……そうだとすると、やっぱり、わたしあんまり政治には関心が持てないなあ。だって、わたしは、あることについて、本当のことを知りたいと思うもん」


民主主義者「……こんな調子だと、民主主義が日本社会に根付くことになるのは一体いつのことになるやら……」


クマ「キミは民主主義が根付くことそれ自体がいいことだと思っているのかな?」


民主主義者「もちろん、そうです」


クマ「それじゃあ、民主主義を産んだイギリスやフランス、あるいは、イギリスからの移民でできたアメリカなんていう国は、十分に民主主義が根付いているだろうから、キミにとっては、理想的な国家なんだろうね?」


民主主義者「そ、それは……」


クマ「もしもそれが肯定されないとしたら、民主主義が根付くことそれ自体がいいこととは言えないことになるよね」


民主主義者「それじゃあ、社会主義の方があなたはいいと言うんですか?」


クマ「いや、ボクはそんなことは言っていないよ。どんな主義であろうと、重要なことは、その主義を持つ人それぞれが、しっかりと物事について考えるということだと言いたいんだ。そうして、考えるというのはね、本当のことを知ろうとするということだ。この本当のことというのはね、それを知ろうとすると、自己破壊的な側面が必ずあって、たとえば、キミのような民主主義者が疑いもしない『民主主義の価値』なんていうものまで疑ってしまうんだよ。民主主義は本当に素晴らしい考え方なのか、ってね。そういう風にね、徹底的に考え尽くした人じゃなければ、どんな主義を持って政治を行ったって、まあ、同じことさ。つまり、人は政治に関心を持つ前に、『考える』というこのことに関して興味を抱くべきだと、ボクなら発言するね」

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