第9話 フェアプレーの定義

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

カスガ……アイチのクラスメートの男子。

〈時〉

2018年6月29日……サッカー日本代表がロシアワールドカップ、対ポーランド戦において、グループリーグを突破するために、後半残り10分間を自陣でボールを回して時間稼ぎに終始した日の翌日。



カスガ「僕は本当に情けないと思うよ。昨日の日本代表の試合、あれは一体何なんだ。ワールドカップの舞台で、負けているチームがパス回しをして時間稼ぎをするなんて、こんな珍妙な光景を見ることになるなんて思わなかったよ。本当にヒドイ話じゃないか。……君はどう思う、アイチ?」


アイチ「試合を見ていないから、どう思うって言われても分かんないな」


カスガ「じゃあ、教えてあげよう!」


アイチ「あっ、しまった、余計なこと言っちゃった……」


カスガ「日本代表はポーランド代表との試合においてだね、スポーツマンシップに反する行いをしたんだ。恥ずべき事だ!」


アイチ「スポーツマンシップに反する行いをしたの?」


カスガ「そうさ!」


アイチ「それは確かに恥ずかしいことだね」


カスガ「そうだろ! ……珍しく意見が合ったなあ」


アイチ「それで、スポーツマンシップってなんなの?」


カスガ「……おいおい、スポーツマンシップっていうのは、ルールを遵守することに決まっているだろ」


アイチ「それじゃあ、日本チームは、なにかルール違反をしたんだね?」


カスガ「そうさ! ……いや、厳密に言うと、ルール違反はしてないかな」


アイチ「そうなの?」


カスガ「ああ」


アイチ「じゃあ、別にスポーツマンシップに反してないんじゃないの?」


カスガ「……いやいや、そうじゃない! スポーツマンシップっていうのはだね、単にルールを遵守することだけじゃなくて、相手をリスペクトすることだよ! そうさ!」


アイチ「それじゃあ、日本代表は、相手をバカにするような行動を取ったんだ。たとえば、『お前達本当に弱いな』みたいなことを言うとか」


カスガ「いやいや、そんなことはしてないよ。だいたい、相手の方が勝っていたんだから、実力的に劣っていたのは日本チームの方だったんだからさ」


アイチ「じゃあ、何をもってリスペクトしていないってことになるの?」


カスガ「よく聞いてくれよ。……日本チームは、相手チームに攻め込まなかったんだ!」


アイチ「…………それだけ?」


カスガ「ああ!」


アイチ「攻め込まないってことは、相手が強いって認めているってことでしょ」


カスガ「そうだね」


アイチ「じゃあ、相手のことをリスペクトしていることになるんじゃないの?」


カスガ「…………」


アイチ「…………」


カスガ「す、スポーツマンシップっていうのはだね!」


アイチ「うわっ、びっくりした、な、なによ?」


カスガ「ルールを遵守して、相手をリスペクトし、なおかつ勝利のために全力を尽くすことなんだよ! 日本代表には勝とうという意識がなかった! それが恥ずかしいことなんだ!」


アイチ「勝負を投げていたってこと?」


カスガ「そうさ! アスリートとして、あってはならないことだよ!」


アイチ「それが本当なら、確かに恥ずかしいことだよね」


カスガ「そうだろ!」


アイチ「どうしてそんなことしたんだろう」


カスガ「グループリーグを抜けるためだよ。君は本当にワールドカップを知らないなあ。グループリーグっていうのを勝ち抜くとね、決勝トーナメントに行けるんだよ。そのためにやったことさ」


アイチ「ふーん……あれ?」


カスガ「なんだよ」


アイチ「そしたらさ、決勝トーナメントに進むため、つまり、リーグを通しての全体での勝利のために、全力を尽くしたってことにならないかな」


カスガ「そ、それは……だから、僕もそこは分かっているんだけどさ……」


クマ「カスガくんは、こう言っているのさ。日本代表には、正々堂々と戦って、なおかつ勝ってほしかったって」


カスガ「その通りだよ、クマくん! よく分かっているじゃないか」


クマ「しかしね、正々堂々と戦って負けたらどうだった? 最後まで攻める姿勢を見せて、その結果もう一点取られて、グループリーグを突破できなかったら、それでもよかったのかな。今回のような勝ちだったら、いっそ負けた方がいい、そこまで言えるかい?」


カスガ「……いや、負けた方がいいとまでは思わないさ。グループリーグを突破できたことは嬉しいよ」


クマ「だとしたら、正々堂々と戦ってその結果、決勝トーナメントに進めないよりは、正々堂々じゃなかったとしても、決勝トーナメントに進めた今回の方がよかったわけだ」


カスガ「その意味ではそれはそうだよ……ただ、恥ずかしいじゃないか」


クマ「うん。そういう風に言う人もいるね。『世界に対して恥をかいた』なんて言った、日本のサッカー解説者もいたみたいだね。ところで、キミは一生懸命プレイしている人を恥ずかしいと思うかい?」


カスガ「……いや、そんなことは思わないよ」


クマ「日本代表は一生懸命プレイしてなかったとそう思うのかな? 適当なプレイをしていたって」


カスガ「……適当なことはしてないとは思うさ」


クマ「なら何が問題なのかな」


カスガ「…………」


クマ「キミは選手や監督があんなプレイを見せたかったと思うかい?」


カスガ「いや、そんなことは思ってないよ。選手も監督もいいプレイを見せたいに決まってるさ」


クマ「じゃあ、したくないことをしたってことになるけど、それは何のためだろうか」


カスガ「勝つためだろ」


クマ「勝つっていうのは、自分たちのためかな。彼らは、自分たちの名誉や征服欲のために試合をしたのかな?」


カスガ「まあ、それもあると思うけど……応援してくれるサポーターのためが大きいと思う」


クマ「そうだろう? つまり、彼らは応援してくれる人のために、自分たちがしたくもないことをしたんだよ。この気持ち、察するに余りあるね。それを恥だとか何だとか言って切って捨てようとする解説者なんていうのは、そっちの方がよほどボクは恥ずかしいと思うね。第三国の人間ならある意味では何を言ったって構わないさ。日本代表とは関係ないんだから。そうじゃないだろう。彼らがボクらのために勝とうとしたんだとしたら、彼らはボクらじゃないか。恥ずかしいと言って切って捨てられる距離なんて、彼らとボクらの間にはないんだよ。そんなものがあると思っている人はよっぽどおめでたい人だね」


カスガ「…………」


アイチ「わたしはサッカーにもワールドカップにも興味無いけど、ルールに則ってしたことにケチをつけるのは違うと思う。そんなのただのいいがかりじゃん。もしその行為がおかしいとしたら、ルールの方を変えればいいんじゃないかな」

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