第一章

勇者に負けた我

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ――われは、勇者に負けた。


 ――なぜ、なぜ負けたのだ……。


 ――我は世界で最強だった。こんな、クズで愚鈍、無知むち蒙昧もうまいな人間などに、負けるはずがなかったのだ。

 

 ――なぜ、なぜ、なぜ……!


 ――あ、でも負けたって言ってもそんな完膚かんぷなきまでにとかそういうのじゃないから、本当に紙一重、紙一重の戦闘であったから、そこのところは勘違いしないで貰いたい。


  

 バチバチとぜるような音を立てながら崩れ落ちていく、がティエムサラガ城。

 ぜいを凝らした玉座の下に、ずり落ちて背を預けた状態の我。


 もう、指一本動かすことも叶わぬ。

 勇者はこのまま、我と一緒に炎に包まれて死ぬつもりなのだろう。

 ふん、それも良かろう。

 死んでもこの勇者を道連れにできるのなら、それで。

 勇者は死んでも天国にいけるとか思っているかもしれないが、貴様の魂は我が掴み、共に地獄へと連れて行ってやろう。ヌフハハハハ!


 玉座に背を預けねば玉座前の階段からずり落ちて滑っていきそうな我を冷ややかな目で見下ろし、剣を突き付けながら勇者は告げる。

 兜の隙間から見える新緑のような色の瞳は、我から目を離さない。


「魔王よ、お前の敗因は愛を知らなかったことだ」 

「愛だと……? 何をたわけたことを……。その位知っておるわ。もうよい、殺すがいい」

 

 我の魔力アグマはもう反撃できるほど残っていない。そして生命力メチルマも、もう数撃受ければなくなるだろう。

 勇者には見下ろされ、こんな屈辱的な状況で。

 長々と勇者と話をしたいなどと、誰が思うか。


 それでも、勇者は続ける。


「お前は周りを利用するばかりで、配下の心を何一つ掴めてはいなかった」

「――我は魔王だぞ? 自分の配下を利用して何が悪い。全ての魔族は我の為に存在し、我の思うがまま! 配下は我を崇拝し、そしてかしずく。魔王様、どうぞ私を思う存分使ってください、とな。それは、我が配下の心を完全に掌握しているからに他ならない……。我は皆に愛されているのだ」 

「そんな風に勘違いしているから、こんなことになるんだ」

「――は?」


 勇者は火のごうごうと燃え盛る魔王の間をゆっくりと見回してから、我に言った。

 こんなこととは、どんなことだ。

 我が勇者に負けたことを言っているか? 

 全くうるさい奴だ。とっとと止めを刺せば良いものを。

 そのあきれたような眼をやめろ。死ぬほど腹が立つ。


「お前のその何も見えてなかった目でよく周りを見ろ。ほぉ~ら、よく燃えているな?」

「いだだだだだ」


 我が動けないと知っている勇者は、我の玉座に土足で上がり剣を置いたかと思うと、上から両手の中指で力任せに両まぶたをぐいぐいと押し上げる。


 ちょっ、やめろ! 痛いだろうが! あっ、ちょっとめり込んでる! めり込んでるから!! 眼球取れちゃう!

 見えるもんも見えんわぁ!!


「ほれ、お前の眼をしっかり開いてやったんだ、見えてるな。この、燃え広がった魔王の間の惨状さんじょうが。こんなに火の手が回ってたら、もう僕も逃げられない。……完っ全に巻き込まれた」

「我が城が燃えていることぐらい分かっておるわ!! その指を外せ!」

 

 あっ、あっ、離せって言ったのに押し込むのやめろ! ごあああああ!!


 勇者はやっと我の目を潰していた指を外して、優雅にハンカチを出す。

 汚いものを触ってしまった……とばかりに、これ見よがしに丁寧に指を拭いていた。


 我はばい菌か!!

 ぐうううう、我の玉座に土足で上がっただけでなく、このように見下されるなど!! 恥辱ちじょく極致きょくち!!


「こ、これは我に負けても我を殺せるようにと、貴様が王の間に来る前に火を着けたからであろう? この卑怯者が!」

 

 首をなんとか捻り唾を吐きかけるが、避けられた。

 あああああ……わ、我の玉座の背もたれにつばがっっ!!

 けるんじゃない、この野郎!

 

 ふ、ふん、自分のやったことを棚に上げ、巻き込まれたとは。

 案外勇者は間抜けな奴だったのだな。

 やーい! 間抜け間抜けー! 

 間抜けな自分を恨みながら死ぬがいい!! ピッピロポプゥー!!


 ん……? 何やら握り直した剣の切っ先が先ほどより近付けられたような……? 

 あれっ、ちょっと刺さってない? 気のせい?


「魔王に卑怯者呼ばわりされるとは思ってなかったが、この火をつけたのは僕じゃない。刺し違えて死ぬつもりでなんて来るか。生きて帰るつもりだったに決まっているだろう。多分火を着けたのはお前の配下の誰かだ。……やっぱり魔族なんか信用しちゃいけなかったな」


 バカな勇者だ。

 間抜けなだけでなくバカだ。

 我の配下に何を吹き込んだかは知らぬが、魔族はみな我の為に生きているのだから、勇者の戯言ざれごとなどに耳を貸すまい。


「魔王と同じ場所で死ぬことになるなんて。二番目に死んでもやりたくなかったことだったのに……」

  

 一番目は一体なんだ。気になる。


 ――ん? いや、それより重要なのは、そこではない……のか?


 この火を着けたのが勇者ではなく、我が配下の誰かだと……?

 そのようなバカなことがあるか。我がまだ城内にいるのに……。

 それにおもだった配下は皆、勇者によってその命を散らされている筈なのだ。


 勇者は頭に被っていたかぶとを取る。

 ウェーブがかった長いブロンドの髪がふわりとこぼれ落ちて、こんな状況だというのに、見惚みとれてしまった。

 勇者は、伝説の兜を無造作にその辺に放り投げた。


 ――勇者お前……女だったのか。 


「お前の配下は、お前を愛してなどいなかったぞ」

「な、何を……! 貴様が我の配下の何を知っているというのだ!」

 

 こ、こんなことで揺さぶさぶろりろろうとしてもむむむ、無駄だ無駄。

 

「ええと、側近のハーピー『チェルル』、四天王の氷龍『デゴニアスカ』、あと炎獣『トールニエ』。性別的には全て女に属する配下たち、その他もろもろ。みな、お前の為に死ぬのは嫌だそうだ」

「はっ!? ……はああああああああ!!!!?????」

 

 なぜ配下の名前を知っているのだ。そ、それも女ばっかり!!


 名持ちの配下が名乗るのは、生きている状態でその体に封印されている装備を出す時だけだ。殺されても出てくるが、その場合個体の識別名は分からないままのはずなのに……。

 勇者が装備しているものを見て、四天王や側近は……我の為に死んだのだと思っていたのに! 部下を死に追いやった勇者を恨み、そして我はいたむ気持ちも込め、全身全霊で力を振るったのに!!

 あれほど……我に忠誠を誓うと言い続けていたのに……! 

 あああ~、のにのにのに~!! そんなのってないよ!!


 ――裏切ったなぁああ!!! 我の気持ちをおおおお!! 我の気持ちを裏切ったんだぁ!!

 

 シラケきったまなこで、勇者は我を見つめていた。


「絶対に裏切らないと思ってたんだろ? 部下に愛されてると思ってたんだろ? 魔王って可哀そうなオツムしてるんだな。間抜けにも程があるぞ。お前全然人望……ん? この場合魔望か? まあいいや。人望全然ないな。笑うわ」

 

 はっ、とバカにしたように鼻で笑う。


「僕の村がお前らに滅ぼされて、僕は勇者になって……、どうやったらお前が絶望するのかとずっと考えてた。殺す以外にも何か方法はないかと。今のお前の顔、最高に笑えるからもういいわ」

 

 そう言う割に、最高に笑っている顔には見えないが……。

 勇者は玉座から降り、動けない我の隣に座った。


「待て! もういいってなんだ!! 自分だけスッキリするんじゃない!! 早く殺せ! もう殺せよぉおおお!」

「魔王様~、死にたいんでちゅか~? そうでちゅか、じゃあ殺さないでちゅ~。バブバブゥ~」

 

 下あごを突きだしながら、ふざけたようにそう言う。

 いちいち腹の立つ女だ。

 いや、もしかして、さっきのピッピロポプゥー!! の仕返しかこれ……?


「そうだな、お前が苦しんで死ぬのを見届けてから死のうかな。ほんのちょっとだけ肉を切って、血が流れ出る様を見続けて、血が止まったらまた切って。それを致死量まで続ければ、死ぬだろ。焼けるのとどっちが早いかな。お前もう動けないもんな」

「確かにもう我はあと数撃も攻撃されれば死ぬが……。貴様、恐ろしいことを考えるやつだな」

「人類を滅ぼすつもりだったお前にだけは言われたくない」 

 

 至極もっともな返答。正論で返すのはやめろ。


 王座から延びている真っ赤な絨毯に着いた火が、こちらへと迫ってくる。

 なぜか勇者は、水魔法アクリタスを使ってそれを鎮火した。


「あーあ、これで僕の魔力アグマもすっからかんだ」

「どうせ死ぬのに、なぜ消したのだ」

「わからん」

「そうか」

  

 しばしの沈黙。

 

「……魔王よ、お前は愛を受け取ってこなかったから、愛を知らないんだな」

「何をバカな。私は父上にも母上にも愛されて育てられた」

 

 時に厳しく鞭を振るい、最強の魔王たれと、愛を注いでくれた。

 私が良き魔王になる為に、冷徹に氷のように接してくれていた。

 あれが愛でなくてなんだというのだ。

 皆が他の者と接し方が違うのも、我に冷たく感じるのも、我を愛しているからだ。

 だからなぜ裏切られたのか、全く分からない。


 しかしその瞬間、チリッと焦げる様に胸の中に何かが浮かんだ。


 ――そういえばただ一人、先々代の魔王であった祖父だけは……我への接し方は違っていたか。


 我にただの飴を渡してきたり、我をドラゴンの背に乗せてただ散歩をしたり。

 体を毒に慣らすための毒入りの飴や、縛り付けられてウインドドラゴンの最高速を体感させられていた我には、あの行動は奇異に映った。 

 父も母も、祖父の我への接し方をとがめるばかりで……。そんなことだから我らよりも下等な人間に魔族が滅ぼされそうになるのだと、そういつも怒っていた。

 父は人間に奪われていた領土を取り返した英雄。誰も刃向うことなど許されない。それが祖父であろうと。

 我は祖父が咎められるのが嫌で、拒絶したのだ。


 人との融和政策を取ろうとした『腰抜けの王』。祖父はそう呼ばれていた。


「なら、愛という感情をどこかに忘れたか。……それとも勘違いしていたか。お前にほんの少しでも配下への愛があれば、そして配下に愛されていれば、僕はお前の前に無傷で現れる事なんてなかった」


「――勇者よ、我は……間違っていたのか?」

 

 口をついて出てしまった。こんなことを勇者に聞くようでは、魔王失格だ。

 間違ってなどいなかったはずだ。我は……父の言うとおり、我の思うままに何者もかえりみず悪辣あくらつに生きたことを誇りに思わねば。

 でなければ……。


「知らないよ、そんなこと」


 勇者に答えを拒絶されて、鼻白む。

  

「今更それが間違いだったと言ったところで、僕の村が滅んだことも、お前の部下が裏切ったことも、何も変わりはしない。時間が巻き戻ることはないんだから。そうだろ? 僕らはもうここで、死ぬんだ」

「――そうか、そうだな。……勇者よ、最期に聞いておきたい、我を倒したお主の名は?」

「……ふん、お前に名乗る名などない、と言いたいところだが、冥土めいどの土産だ。僕の名は……サ――ッッ!!」


 ガラララッッ! と床が音を立てて抜けて、我らはそのまま階下へとなだれ落ちた。


 冥土の土産も貰えず、少しだけ残念だ。



 ――裏切られた魔王の死因が落下死とは、なかなか皮肉が利いている。

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