第5話 商家の娘は野菜と出会う

 私は野菜をあまり特別なものだと思っていない。

 ぱりっとした食感でも、みずみずしい果汁が溢れても、所詮は野菜、といった程度にしか感じない。

 田舎にいるときは毎日食卓に出てくるものだった。

 だから、お父さんが財産を投げ打って王都で商売を始めると決めた時に、地元の野菜だけは売れないとずっと言い続けてきた。砥いだ刃物と違って特別なものじゃないと思っていたから。あまりに身近すぎる。

 野菜を売る店があるのは知ってる。

 でも、こじんまりしている露店で、土がついた状態で並べられているとばかり……


「どうだ、ティアナ? お父さんの言ったとおりだろ?」

「……うん」


 野菜を売る店が何店もあることが信じられない。土も洗い流されて、輝いているようにすら見える商品。陳列も工夫されている。

 通りを行きかう人たちが、喜んでそれらをいくつも買っていく

 王都って田舎と全然違うんだと思い知った。


「野菜って……商品になるんだね」

「そうだぞ。地元ではみんな野菜を作っていたから知らなかっただろ? 王都は食文化が急速に進んでいるんだ。肉は魔物を倒せば手に入る。冒険者だって依頼のついでに手に入れられる。でも野菜は別だ。作り手がいないと手に入らないし栽培が難しい。だからお父さんは商売のチャンスだと思ったんだ」


 私はお父さんの横顔を見ながら、こくりと頷いた。

 だけど、心配も湧きあがる。


「でも、こんなに似たような店があるのにお父さんの店を選んでくれるかな?」

「大丈夫。お父さんの店は絶対に王都でも負けないはずだ」


 どんと胸を叩いて、自信ありげにそう告げた。

 私は少しの頼もしさと、より一層の不安を同時に感じる。

 野菜にそんな違いがあるのだろうか、王都の野菜に勝てる部分はどこなのだろうか、と。

 さっき、一番近くにある店のキュウリを買って食べさせてもらった。敵情視察みたいなものだ。

 でも、正直に言って私には違いが分からなかった。

 大きさも色も、別に目立つ差は見当たらない。

 だから――


「ほんとに売れるかな?」

「大丈夫だって。ティアナは心配性だな。お父さんの見立ては間違ってないよ」

「……そう?」


 今まで育ててくれたお父さん。理由は知らないけど、お母さんが出て行っちゃってから私を一人で育ててくれた肉親。

 あまり言うのも悪いとは思う。

 でも、こればっかりは心配だ。


「それにね……ティアナ。お父さん、ついてると思ってるんだ」

「ついてる?」

「うん。王都に来る途中でハンターウルフに襲われただろ?」


 思い出すのは恐ろしい群青色の体毛を持つ狼たち。

 街道にたまに出ると聞いていたから、お父さんはお金を出して護衛を二人雇っていた。でも襲われた時のハンターウルフは五匹。到底かないっこない状況だった。

 今考えても体が震える。

 もしかしたら、運が悪ければお父さんも私もここにはいなかったかもしれない。

 でも――生きている。

 偶然通りかかった男の人と妖精さんに助けられたからだ。


「アンディさん……だっけ?」


 ふらりと現れた農夫のような格好のアンディさんは、真っ赤な髪の小さな妖精さんを肩に乗せて、私たちの荷馬車に近付いた。

 そして、飼い犬でも追い払うように平手で頭をぱしぱしと叩いた。何をしたのか分からないけど、ハンターウルフは悲痛な声をあげてよろめいていた。弱点があったのかもしれない。指でツボを押した……とか。

 私には複数に爪を立てられていたようにも見えたけど、アンディさんはじゃれつく犬をあしらうように押し返していたり……

 まさかとは思うけど、飼っているハンターウルフだったり……ってそれはないか。あの獣が懐かないことくらいは私も知っている。

 でも、立ち去った後の護衛の二人の呆然とした顔を見ていると、すごくおかしな場面を見たんじゃないかって疑ってしまいそうにもなる。


「そのアンディさんがね……これを渡してくれたんだ。何でもサンプルみたいなものだって言ってたけどね」

「…………キュウリ?」

「そうだよ。お礼をしたいと言ったら逆にキュウリを渡されたんだ。太さは倍くらいあるけど、一本だけもらったんだ。お父さんもどうしてこれを渡してきたのかまったく分からなかったけど……食べてみて分かったんだよ」


 お父さんの顔が一瞬でだらしなく緩んだ。初めてみる顔だ。とてつもなく楽しいことを待っているかのような締まりのない表情。

 その手元には三分の二ほどが無くなったキュウリが握られている。


「たぶん……ティアナも分かるよ。本当はお父さんが全部食べたかったんだけど……何とか我慢したんだ」

「これを……?」


 お父さんが私にキュウリを渡してきた。

 ナイフで切られた三分の一ほどの大きさ。これ以外は食べたのだろう。

 切り口を見る限り、普通のキュウリとさほど変わらない。

 お父さんは面白いものを見るように私を見つめている。なぜか少し恐ろしい。私は意を決して、それを一かじりした。


「――――っっ!?」


 勝手に目が大きく開いた。

 噛んだ瞬間に、とんでもない衝撃が口の中に走り抜けた。経験したことのないうま味と、一気に広がるキュウリの香り。

 青臭さなんて少しも感じない、キュウリ本来の香りだ。

 一度も食べたことが無い。

 こんなにおいしい野菜に私は出会ったことがない。


「……な、なにこれ?」

「キュウリだよ」

「ち、違うって……これはキュウリじゃないよ」


 こんなの野菜じゃない。キュウリと呼んではいけない。

 苦笑するお父さんに、私はむなしく反論した。そして、手元の残りをじっと見つめ、息をせず口に放り込んだ。

 再び押し寄せる奇跡の味。桁が違う。


「たぶん……アンディさんはこのキュウリを広めようと思っているんだよ。でも普通はキュウリ農家は小売商にツテが無い。だから、お父さんにこのサンプルを渡して、どうだ? 売れるか? と聞きたかったのだと思う。最初は謙遜していたけどね。荷馬車に積んでいるものを見れば、王都に行くと聞いただけで、お父さんがどういったことをするのかは予想できるだろうしね」

「……これは絶対に売れるって!」

「ティアナもそう思うかい? お父さんもそう思う。持ってきた田舎の野菜が負けるのは悔しいけど……それ以上に、このキュウリは売れる。お父さんも危うく丸呑みしそうな勢いで食べちゃったんだから。アンディさんに野菜を卸してもらえれば、絶対に王都でも負けない」

「…………だから、ついてるって言ったの?」

「うん。たぶんアンディさんは凄腕のファーマーか何かじゃないかな? お父さんはそう言われても納得するよ。田舎のファーマーとはレベルが違う。そんな人と早々に知り合いになれるなんて、幸運以外の何物でもないだろ?」


 お父さんの目が輝いている。

 でも、私もその言葉にはすごく賛成する。今のキュウリで、私の中の野菜の価値が一気にひっくり返ってしまった。

 あまりの興奮で動悸が激しい。

 私は気持ちを落ち着かせるつもりで、思っていることを口にした。


「助けてもらったうえに……こんな美味しい野菜まで……アンディさんってすごい人だね」

「そうだね。で……もうすぐそのアンディさんがここに来てくれる予定なんだよ?」

「……えぇっ!? ここに?」

「うん…………キュウリを卸しに来てくれるんだ」


 さらりと告げられた台詞に、思わず卒倒しかけた。

 そして、心のどこかで――

 個人的に二、三本分けてもらえないかな、と悪魔が囁いていた。

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