第19話 狭霧の教室 I

 



 教壇の上で揺れる白衣。

 それを眺めながら、あたしは


「……はぁ」


 もう何度目かもわからないため息を吐いた。




 あの日から、一週間。

 彼は何事もなかったかのように、また淡々と仕事漬けの日々を送っていた。

 恋人らしい進展はナシ。

 あたしだけが、あの夜の熱情を。

 未だ消火できないまま、胸の奥で燻らせている。


 ……ていうか。

 冷静に考えてみたら、恋人が下着姿(それも下はスッケスケ)で目の前に立っているのに、それを見て吹き出すって、あり得なくない?えっ、あり得ないよね?

 挙句、あたしを散々言葉で辱めて……

 また、放置。


 ローザさん…これが、"恋愛の緩急"ってやつなのでしょうか。

 であれば、それを楽しめないあたしは、まだまだ子どもで。


 "大人の色気"には、ほど遠いってことなのでしょうか。


「…………」


 ふと、自分の胸元に目線を落とす。

 お世辞にも大きいとは言えない、しかし全くないわけでもない、謙虚なサイズ感の二つの膨らみ。


 ……やっぱり男性は、大きい方がお好みなのかしら。

 これであたしがお色気むんむんのグラマラスボディだったら、あの時の展開も違ったのかしら。


 そう聞いてやりたい相手は、今日もあの白衣を着て、黒板の前で教鞭を執っている。

 模範的な、聖職者の仮面をつけて。




「──と、このように、精霊の性質によって使い方をよく考えなければいけません。戦闘の場においても、先陣を切るのに適しているものもあれば、サポートや防御に徹した方が効果を発揮するものもあります。そもそも戦闘に不向きな力だってあるでしょう。どんな性質であれ、皆さんは自身の能力をきちんと理解し、受け止めなければなりません」


 魔法学院内の、一番広い演習教室。

 その、階段状の座席の一番端っこで。あたしは今日も、クロさんの講義を見学する。

 新入生向けの授業は、こんな風にまだまだ基本の考え方を教えている。恋人としてのもやもやを抱えつつも、受講者としては真剣にそれを聞いていたりするのだ。


 悔しいことに、『先生』としてのクロさんも、普通にかっこいい。

 程良いテンポで淀みなく、わかりやすく話すその姿は、理想の教師そのものだ。見た目が美青年なだけあって、かなり様になっている。女子生徒たちからも人気があるようで、噂されているのをよく見かける。


 こんなに清廉潔白そうなクローネル先生が、下着姿のあたしを、あんな言葉で辱めるだなんて…

 一体誰が、想像できるだろうか。

 そう思うと、なんだかまた、うずうずと…


 いけないいけない。講義に集中集中。



 魔法の体得へのアプローチ方法はいくつかあるようで、体術だったり、先人の知恵…つまり歴史学だったりと、講義の内容は教授ごとに様々だ。

 その中でもクロさんが担っているのは、どうやら精神面からのアプローチ方法らしい。


 入学式の式辞の時点からそうだったが、彼は一貫して『自分自身を見つめ、認めること』の大切さを学生に説いている。

 魔法の能力は千差万別、人の数だけ種類がある。そういった意味では確かに、他者と比べるのではなく『自分自身』と向き合うことこそが、能力の向上において最も効率的であるというのは理解できる。


 しかし。

 恐らく彼のこの理念には、二面性があって。

 それはきっと、言葉を選ばずに言うのなら。


『使える奴は使えるし、使えない奴は使えない。自らの分を弁え、さっさと進退を決めろ』


 ということなのだろう。


 彼は軍部の重役も担っている。学生たちの能力が軍にとって、国にとって使えるのか否か、それは努力だけではどうにもならない部分があることを、彼はよく知っているのだ。

 授けられた精霊の能力。いくら自在に操れるようになったとしても、こといくさや自衛において不向きと判断されれば、それまでである。


 彼の講義は、とても優しくて、とても残酷だ。


 軍部と学院、彼のどちらの顔も見ているからこそ、そう感じるが。

 ここにいる生徒たちは、果たして何時いつそのことに気がつくのだろう。

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