第150話 妖精奇談

 妖精の存在と情報を雛鳥たちと共有しただけで、俺の日常が変わったわけではない。いつもの様に羽音を立てながら俺の周りをチックが飛んでいる。昨夜は物珍しそうにチックを見ていた彼女たちだったが、たった一夜で、ただの五月蠅い小動物にまでチックの価値は暴落していた。


 昨日はあれだけ降り続いた雨だったが、今日は雲一つ無い晴天に恵まれている。山道は雨で大分ぬかるんではいるが、目的地まで我慢すれば大金が稼げると思うと足取りは軽かった。


 雨粒で濡れた藪を抜けるとハナリア草の群生地が見えてきた。しかし、一昨日見た景色とは、全く異なっていた……。悲しいことにこの場所は、昨日の降雨の影響で崖崩れが起きて、群生地の半分以上が土砂で埋まっていた。


 全部のハナリア草を狩り取れば、まだ金貨数十枚ぐらいは、充分に稼げそうだったが、薬草狩りを生業としている冒険者の仁義は守らねばならない。俺は泣く泣く、今日の分の稼ぎだけをソリに乗せ、仕事を終わらせることにした。


「くーー! 昨日は無理してでも行けば良かった!」


 俺は小さく呟くと、チックは叱られた犬みたいに、しゅんとしてうなだれる。そんな顔をさせてしまった自分に罪悪感を感じた……。


「そんなに落ち込むな! これだけ稼がせて貰ったからありがとうな」


 俺はそれを誤魔化すかのように、チックに声を掛けた。


「チックは悪くないの?」


 上目遣いで、目を潤ませながら俺の方を向いている。


「当たり前だ。もしここで狩りを続けていたら、崖崩れにあって死んでいたかもしれん。チックの大手柄だぞ」


 そう言うと、チックは空中でくるくると回って歓喜の舞を踊った。それでも俺は、チックが弱々しく飛んでいる様な気がした……。


「プリンを沢山作らないと行けないし、早く帰るとするか」


「プリン、プリン、プ・リ・ン」


 ハンミョウが山道を案内をするかのように、チックは鼻歌交じりで俺の前を飛んでいた。


 ギルドの窓口でハナリア草を換金して貰う。今日狩り取った収穫物を台の上に乗せ、ドヤ顔で担当者の顔を見るとマリーサさんだった。


「ハナリア草の群生地を見付けたんですか!?」


「ああ、残念ながら昨日の雨でほぼ全滅だったがな……」


「その言葉。…本当ですか?」


 マリーサさんは疑いながら、ジト目で俺を見つめる。


「稼げるものならもっと沢山狩ってきたさ」


 俺は彼女が握っていた金貨を受け取る際、わざと彼女の手を強く握るセクハラをかましてやった。こんなセクハラは慣れているはずの彼女の顔は、耳の先まで真っ赤になったのがおかしかった。『お酒十杯追加です!』と、マリーサさんの怒鳴り声を聞きながら店を後にした。


    *      *      *


「わわわ、チックの大好きな果物が山積みだ」


 チックはその果物の周りをぐるぐると飛び回る。蠅みたいな奴だなと思いながら、店主に黄銅貨を渡して果物を一つ受け取った。それをチックに投げつけると一瞬で食べてしまう。店主は信じられないという顔をしながら、果物が空中に吸い込まれて消えた光景に目を丸く見開いてこちらを見ていた。


「お、お客さん、どうやって消したんですか?」


 まだ、驚きを隠せないまま疑問を投げかけてくる。


「ただ、口に放り込んだだけだよ」


 そう言って、愉快そうに笑った。


 なじみの店を巡りながら、食材を買いあさる。毎回、かなりの量を購入するので、値段交渉することなく、適正価格で物が買えるから楽になった。日本では食べ物を値切ることなどまずしなかったので、異世界に来たばかりの時は、物価しょくざいの高さに驚いた。取りあえず値札の半値から交渉が始まると気がついたのは、かなり遅くて笑い話にもならなかった。


 市場を回り、お目当ての食材を買い終えた頃には、チックが俺の頭に止まり足をぶらつかせている。耳元で『ねぇつまんない。帰りたい早く帰りたいの……ねぇーえぇぇー!』と、騒いでいたので、この蠅を握り潰してやろうかと何度も考えた。


 早い目に仕事を切り上げ、買い物を済ませたつもりが、家に着いたときには、もう空に綺麗な星が宿っていた。扉を開ける前に少し違和感を持ったが、桶に浮いている梵天の花から、薄らとしか光を発していなかった事に気が付いた。


 食材を冷蔵庫に詰め込む間、チックはずっとプリンが食べたいとせがんでくる。俺は最初の躾が肝心とばかりに、夕食は風呂に入ってからだと教え込む。 


「チックはお腹がすいたの。この箱にプリンが入っているのは分かっているよ」


 そう言って、冷蔵庫をドンドンと叩いている。夜の光に集まる虫みたいだなと、チックの猛抗議を受け流す……。居間から出てこないのをみかねて、俺の前に飛んできたチックは、地団駄を踏んで悔しがる。仕方がないので、まだ風呂は完全に沸いていないが入ることにした。


 少し温いお風呂に浸かりながら一息ついた。チックは水飛沫を上げながらバタ足で湯船の中で泳いでいる。俺は一帯何を見せられているのだろうかと、異世界生活を噛みしめていた。そういえば、この妖精にお風呂の凄さを見せていないことに気が付き、スイッチを押した。風呂からぶくぶくと泡が吹き上げ、チックは湯船の底に沈んでいく……。


「あばば、チックは死ぬとこでした!!」


 チックは俺を睨みつけ、怒りをあらわにする。俺は笑いながら電気風呂に変えようとしたが、流石にこれをすると嫌われそうなので思いとどまった。


 まだ怒りが収まらないのか、チックが俺の顔に水をバシャバシャと掛けてくる。そこで反撃とばかりに、両手を使い組んだ手の隙間から、お湯を飛ばしてチックに当ててやった。怒ると思ったら、この水鉄砲に偉く食いつき、教えろとせがんできた。チックが上手に水が飛ばせるようになった頃、茹だった二人はフラフラしながらお風呂から上がった。


 今日は雛鳥たちは家に帰ってこないので、夕食は市場で買った出来合い物と乾き物で済ます。日本では当たり前のように食べていたおつまみが、こちらでは美味しい物を見付けるのがかなり難しい。しかも、自分のために買い置きしたおつまみは何処に隠しても、雛鳥たちが見付けて食べてしまう。今日は市場で大量に仕入れたので、気兼ねなく食べることが出来た。チックはおあずけを解き放した犬のように、プリンにむさぼりついていた。


 チック流プリンの食し方――チックが言うには、最初は器から直にプリンを食べるのが醍醐味らしい。その後、器から皿に移したプリンを、皿の下に溜まった、とろとろのカラメルソースと一緒に食すのが、至高のプリンの楽しみ方だと……。


 チックが皿の上でプリンと格闘しているのを見ていると、不思議な動きをしはじめた。プリンにかぶりつき、モゴモゴと動かしてていた口の動きが急に止まる。そしてゆっくりとまたプリンに顔を近付けそのまま、プリンに顔面を押し付けて動かなくなる。何をしているのかと続きを待っていたら、顔をプリンからゆっくりと離れ、また同じ動作を繰り返す。最初はわざとしていると思ったのだが、どうやら眠気と戦っているみたいだった。うとうとしながらもプリンを食べたいという本能が、この妖精を突き動かしている。結局、睡魔には勝てず、今度はカラメルソースの海にチックは沈んだ。


 俺は学生時代に、部屋に置いてあったコンビニ弁当の空箱にぺたりとひっついて死んでいた、黒光りの嫌われ者とチックが重なってしまい顔を歪めた……。


 俺はプリンで汚れたチックの身体を綺麗に拭いてから、ベッド代わりにしているバケットを入れるカゴにチックを寝かせた。昨夜の半分ほどしか用意したプリンを食べなかったので、何もしないのに疲れる居候の世話をしながらぼやいてみせた。

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