第113話 テレサたちの挽歌

「安心して行ってくるがよい」


「じゃあ、行ってくるからソラを頼む」


 おっちゃんはそう言って、ソラを私に預けて出かけていった。ソラは閉まった扉を前足でガリガリ掻きながら「キューーン、キューーーン」と鳴き続けている。


 私はその姿を見ながら小さな溜息をついた。ソラはそんな私を見て近づいてくる……。


「ヒィーーーー」


 おっちゃんやレイラがソラと遊んでいるときは、なんとか触れることが出来た。でも今は無理、絶対ーーーーーーーーーい無理!! 昔から虫やトカゲ、ヘビは大の苦手であった……あの地面を這いつくばって歩く姿は受け付けない。しかも、あの動物離れしたフォルムは、神が作りしものとは到底思えなかった。どれだけ剣を振り、人を切ろうが、あの恐ろしい姿を見てしまうと身体が自然とすくんでしまう。


 「キュピピピピー」


 そんな私の気持ちもお構いなしに、ソラは背中の突起物をぱたぱた動かし寄ってきた。あれが動いているときは喜んでいる証拠だと、レイラは話してくれたが、犬の尻尾みたいに言わないで欲しい! あれはどう見てもおぞましい翼だ……。


 あまりの恐怖に尻餅をついてしまった。その上にソラが飛び乗ってきた。


「ふひぃ~~~~~!!」


 自分でも驚くぐらい変な声が出てしまう。まだ生まれたときは、小さかったのでなんとか我慢出来たが、今の大きさで乗られてしまうと、ヤバイと言うしかない。私は恥ずかしながら少しちびったかもしれない……。部屋にはソラしか居ないのは分かっているが、辺りをキョロキョロ見回してしまう。


「キュキューーッ」


 私のまたをスンスン臭いを嗅いでくる。


「これ以上、私を辱めないでくれ……」


「キュピピピ」


 ちっとも遊んでくれない私に飽きたのか、ソラはようやく自分から離れてくれた。ソラがいなくなったので何をしようか考える。いつもの休日なら――


 おっちゃんやレイラたちが家にいなければ、当たり前のように剣を持って部下たちの指導にいってたと……


 「キュピ~~~」


 悲しくなって自然にソラの頭を撫でていた。正直することがないので、飾りのように置いていた本を読むことにする。暫くの間文字を眺めていたが、中々頭に入ってこない。自分は本とは相性が悪いと目をそらすと、ソラが何かをかじって遊んでいた。


 ソラは皮の手袋をくちゃくちゃ音を立て噛んでいる。どうやらレイラがほっぽり出したのを、どこかで見付けてきたのだろう。仕方がないのでソラから取り上げようとすると「グルルル」と凄まれてしまう。


 流石に剣士として舐められてはいけないと、気丈に振る舞う。


「それは玩具じゃないぞ!」


「グググゥゥ」


 ソラの唾液でべっとりと濡れた手袋を引っ張る。すると負けじとソラも、手袋を取られまいと首を左右に振る。そんな引っ張り合いを続けていると、ビリッと音がして手袋が破れてきた。それでもソラはお構いなしに引っ張るので、手袋は二つに千切れてしまった。


 私が離せば破れなかったはずの手袋をじっと見た。するとソラは前足でその手袋をバンバン叩き、お前に片方をやると鳴いた。そんな仕草を見て私は吹き出してしまった。


             *     *      *


 冷蔵庫の前で「キューキュー」と、ソラが鳴き声を上げる。これは我が家でよく見る光景だ。時計も見ていないのに食事時間は分かるらしい。私は冷蔵庫からソラの食材を食器に移し替えると、早くくれと「キューキュー」鳴いきながら足にまとわりついてくる。


「ふひゃあ~~」


 また変な声が出てしまった……。


 ソラは支えもなしで二本足で食器を覗き込もうと立ち上がっている。(こいつは、はたしてトカゲなのか!?)そうしてぎゅーと足にへばりついきた……。


「すぐにやるから、足に……ひ、ひっつかないでくれ!!」


 私の魂の叫びが届いたのか足から離れ、ソラは右手でトントンと床を叩いてご飯をくれと催促していた。


 なんとかソラの前に食器を置くことに成功し、一息つくことが出来た。私もようやく、おっちゃんが用意してくれた昼食にありつけた。ソラに食事を与えるだけでへとへとに疲れた私は、お腹がふくれたのも相まって眠気に襲われる。ソラを見ると身体を寝かし私を見ながらうとうとしていた。そしてお互いまぶたを閉じて意識を手放した……。


 「ぐへっ!!」ソラが私の腹を踏みつけた重みで目が覚めた。ソラがリビングで何かを捕まえようと追いかけ、走り回っていた。遊びの一環だろうが、危険な行為には変わらない。私が留守番を頼まれたのも、ソラが部屋の中でやんちゃするのを止めるためでもあった。いつもはレイラの一括で、ソラはぴたりと走るのを止める。だが私が注意しても一向にやめない、むしろ私が追いかけて遊んでくれていると思っている。


 部屋を走り回っていたソラは勢い余って棚にぶつかった。棚の上にあった花瓶がぐらりと揺れる。


「危ない!!」


 棚から花瓶が落ちてきてソラを庇い、私の頭に花瓶が当たった。


「うっ……痛ッッ!!!!」


 あまりの痛さに息が止まった。暫く動くことが出来ず、その場にうずくまる。


「キューーン」


 か細い声でソラが鳴いて近づいてきた。


「だから暴れるなと言ったではないか」


 私はソラを軽く叱ってから頭を撫でてあげた。幸い、痛さの割には怪我も無く、花瓶も割れなかったので、大事には至らなかった。


「キューー」


 ソラが私に甘えてくる……


 ソラは私の足を引っ張り、ついてこいと強引に誘ってくる。仕方がないので、ソラに付き合うことにした。そこは、おっちゃんの部屋だった。ソラは扉をカリカリ掻いて、私に開けてくれと鳴いている。扉を開くとソラは私を押しのけて、部屋の中に入っていった。そしてベッドの下に潜り込み、ゴソゴソと音を立て何かを探していた。



 暫くすると、ソラはベッドの下から這い出して、何かを咥えて持ってきた。そして私の手にそれを置いた……。


 それがさっきのお礼だとすぐに気が付く。その手のひらには、干からびたセミがポツンと乗せられていた。


「うーーーん」と唸った私は白目を向いて意識を失った――




 ―― 「キュキュキュキューー」


 ソラの鳴き声を聞いて飛び起きる。どうやらおっちゃんが家に帰ってきたらしい。


「今帰ったよ」


 おっちゃんがソラに声を掛けている。ソラは嬉しそうに、おっちゃんの周りをぐるぐると回って、愛想を振りまいていた。


「留守番してくれて、ありがとな」


 そう言って、彼は私の頭を冗談交じりに撫でてくれた。


「ああ、何も問題なかったぞ」


 素っ気ない素振りで返事を返したが、自分もソラと同じだな……


 見えない翼をぱたぱたさせたながら、床に転がっているセミの死骸を眺めていた。

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