第86話 エルフ皇国【其の五】
身体を揺さぶられている……昨日というより、朝方までエルゾナ皇妃と語り合っていたのでまだ起きる気がしない。皇妃から侍女に、お昼過ぎに起こして貰えるように伝えていた。年を取ると疲れが取れないと、今更ながら実感する……。
昨日は侍女の手を振り払うという、大失態を起こしたのを思い出す。彼女にもう少し揺さぶられるのも心地がよいと、この振動を堪能する。何故か顔に髪の毛が当たりくすぐったい。堪らず目を開けると、俺の面前にはくるりとした眼で見つめる金髪のエルフ、テトラが居た。
「早く起きなさいよ、もう朝食の準備はとっくに出来ているんだから」
透き通るような青みがかった緑の目で怒りを表す。
「ち、朝食って昼食じゃあないのかよ!」
「当たり前でしょ! 何処の世界に朝食を昼食という馬鹿がいるものですか」
俺は頭をボリボリ掻きながら、ベッドから抜け出した。
「そりゃあ、疲れも抜けきってないわ……」
そう言って、ぼやいた。
テーブルにつくと、朝とは思えない豪華な料理がずらりと並び胃もたれを覚える。皇妃と皇女が信じられないぐらい大量の料理を食べるので、残すに残せなくなってしまう。出された料理を無理矢理、腹に詰め込んだ優雅な朝食になった。
食後のお茶と焼き菓子が出てきたので、焼き菓子をそっとテトラの皿に移し替えた。
「今日一日、どうすごしますか?」
俺が皇妃に聞かれたのにも関わらず、テトラが真っ先に答えた。
「昨日は殆ど買い物で終わったので今日は観光ね」
俺の意見は全く反映されない形で、今日一日のスケジュールは観光に決まった。
「どこか行きたいところはないのかしら?」
「情報もないのにどうやって選……世界樹があれば一択なんだが」
「世界樹はあるけど」
然も当たり前のように答える。
「えっ!? 魔王が燃やしたといってたよな」
「全部燃やされたとは、一言もいってないけど……」
(世界樹が何本も生えている発想は全くなかった……。世界で一本だけの樹木が、エルフ皇国に生えてるって設定の方がよく考えればおかしいよな。)
世界樹は郊外にあるということで、馬車が用意された。
整然とした石造の建物の横には、いたるところで花々が咲き誇る。街並みと緑が調和すし、エルフが森の番人だったことを伺わせる。
街道を馬車でゆっくりと進む。
城門をぬけてしばらく行ったあたりで、高台の中腹に大きな木が見えてきた。
「あれが世界樹よ」
馬車の窓から身を乗り出して、テトラが指を指した。
ファンタジーの定番である世界樹を遠目に見て、年甲斐もなく胸が高鳴る。平坦な道から、なだらかな登りに変わり、目的地まではあと少しだと感じた。
馬車が止まり御者がドアを開いた。俺はそろりと馬車から降車した。
目に飛び込んできた世界樹は小さかった! もう一度繰り返す。世界樹は小さかった! オーストラリアのモンキーポッドや日本の屋久杉、アメリカのジャイアントセコイアなどの巨木を数十倍大きな木を想像していた。日本各地にある巨木と呼ばれる大きさな木と、サイズはさほど変わらない。俺は北海道の時計塔を初めて見たときと同じような寂しさを覚えた。
「立派な木でしょ」
「ああ、おおきいな」
北海道に遊びに行ったとき、札幌の時計台を案内してくれた友達が、同じこと(立派な時計台でしょ)を言っていたのを思い出す。
せっかくなので世界樹をペタペタと触ってみた。樹皮はスベスベしており、樹皮全体に葉脈のような薄い筋が浮かびあがっいる。なんだかこの木が生き物のように思える。
俺が世界樹を眺めていたとき、テトラは馬車からバスケットを重そうに運んでいる。それを、世界樹の下に広げられた敷物に置いた。
「早く、こちらに来て座りなさいよ」
敷物の上には彼女が用意した、軽食が並べられていた。
「いつこんな物を用意したんだ」
彼女はフフフと笑って答えなかった。
綺麗に切りそろえられていたサンドイッチの中に、少しだけ歪な物が混じっている。俺はわざとそれを選び美味しそうに食べた。テトラはそれを見ながらにこにこ笑っている。
「旨いな! テトラも俺ばかり見ていないで早く食べろよ」
耳まで真っ赤にしながら
「食べるに決まってるでしょ」
大きな口を広げて、サンドイッチにかぶりついた。
「ここは観光名所なのに、人がいないのは何故なんだ?」
「世界樹の周りは、神事の時以外は入ってはいけない決まりよ」
「マジですか!?」
世界樹の木陰で、VIP扱いされながら軽食を楽しむ。風に飛ばされた世界樹の葉が、手元にぽとりと落ちてきた。俺はそれをひょいと拾い上げ、くるくると回した。
「世界樹の葉は、死んだ人間を生き返らす秘薬になるのか?」
テトラに葉を見せながら尋ねてみた。
「そんなわけないでしょ、でも、大量の魔力を含んでいると聞いたことがあるわ」
俺は落ちてきた葉を縁起物として懐にしまった。
世界樹の木陰で、用意された温かいお茶をすすりながら、時折流れてくる冷たい風が顔に当たって心地よい。 こんなゆったりした時間を外で過ごしたのはいつぶりだろうか……。目を閉じて自然に耳を傾けた。
サンドイッチをがっついて食べている、テトラの咀嚼音だけが聞こえてきた――
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