第20話 海月と猿の肝【前編】
光があまり届かない薄暗い森の中を突き進む。背の高い山笹をかき分けながら薬草を探す。この数日、碌な収穫が無かったので、少し深い狩り場まで足を伸ばした。初めて行く場所ではないが、身体が藪に覆われるとかなり不安を感じる。
魔物にも注意しながら薬草の群生地を目指す。中級冒険者でないと足を踏み入れることはできない危険な場所だが、無茶をせず生きていけるほど甘い世界ではない。奥に進むにつれ籠の中に薬草が溜まる。
藪の向こうに人影が見えた。その人影がこちらに近づいてきたので、声をかけようとした――アレは人じゃない!
肌は青みがかり目鼻が整った美女が妖しい笑みを見せる。それを見た俺は一気に青ざめる。何故なら彼女には下半身が無かった……いや腰から下が蛇だったのだ。魔人ラミア――噂には聞いた事はあったが、まさか自分がこの魔物に出会うことなど想像だにしていない。本能が戦っても勝てない……そう告げた。逃げようとした瞬間、『ドゥン』という雷音が俺の前に落ちた。地面から焦げ臭い焼けた匂いと煙が上がる。何が起こったのか理解できなかった。
「そなたは魔法を見たことがないのか?」
「ああ、魔法なんてあったのかよ」
ぶっきらぼうに答える。ラミアは俺の身体にしっぽを巻き付けながら
「美味しそう……」
にたりと笑いながら、口からちょろりと舌を出す。
「クッ……血を吸うのか」
俺は真っ青な顔をしながら、ガタガタと震えた
「 はぁ? 妾がそんな下品なことをするとでも。動物を狩ったら血抜きして料理する。猿はそうしないのかえ」
「猿じゃない俺は音茶だ」
「ふふっ、そうじゃの猿は喋らない、にんげんだったわ」
「俺を食っても旨くない!それより、もっと美味い料理をつくって持ってきてやる」
「妾は生き肝を望むクラゲではないぞ」
「逃げやしない! 一度食ってみてそれで満足できなければ、お前の晩飯にでもなってやる」
「お前ではない! ターニャじゃこの猿ッ!」
青みがかった顔が更に濃くなる。
「あー残念だね、死ぬ前思うんだろうぜ、あの不味い肉を食わずに猿が言っていた物を食べとけば良かった。そして後悔してん死んでいけ」
ターニャは呆れた顔をして
「口が回る猿じゃの、騙されてやるとするか」
可愛い声でころころ笑う。
* * *
太い身体を動かして前に移動する様は、まるで蛇神を思わせる。道すがら会話もなく重苦しい空気の中、ようやく俺たちは森を抜けた。俺はタリアの町が見えて安堵した……。
「ハハハハハ、もう俺を殺すことは出来なくなったな」
「そうじゃな、魔王様の取り決めでこの森を抜ければ人間を襲ってはいけないと言われておる。しかしのうお前さん、ここで一匹の猿が死んだとして誰が見ているのかえ」
「魔王様ーーーーーここに一匹の裏切り者がいますよ!」
大声を出すと、頭から電撃を落とされた。
「このまま町に入るのはさすがに出来ないぞ」
「そんなことは簡単じゃ」
彼女は何か唱えたかと思うと、長い黒髪の人間に変化した。
『俺の髪色に合わせるなんて可愛いとこあるじゃねーか』
彼女は真っ赤になって
『お、お前にあわせたんじゃないからね、人間の髪色にしただけだから』
肝を握られた猿がそんなことをいえるはずもなく、二人は静かに町へ入った。
「それにしても人間の住むところは汚くて臭いの~」
「ああ、俺もそう思う。ターニャのところはどうなんだ?」
「どうと言われたら説明しにくいがな、見るからにここは文明が遅れておる。木造の建物だらけで、継ぎ接ぎはぎの服など着る者はいないぞ」
俺は失礼ながら上半身裸の蛇たちが、竪穴住居みたいなところで生活している風景を想像していた。
家に帰る途中、終始ターニャに出す料理方法を考え続けた。どの食材が好みだとか、普段の食べ物など少しでも情報を得ようと彼女と会話する。しかし、喋れば喋るほど絶望に近づく。彼女はどうやらかなり身分の高い女性だと言うことが分かる。俺の知っているラミアといえば上半身裸で男の血や精液を啜る魔物だが、彼女は俺たち以上に清潔で柔らかそうなシルクの服を着ており、下半身には綺麗な宝石をあしらった宝飾品を付けていた。
天ぷらや唐揚げで本当に彼女が満足してくれるのだろうか……。ここで物語ならカレーという飛び道具が出るのだろうが、現実は香辛料の配合など分かるはずもない。そんな物は用意出来るはずもなく、じょじょに家に近づく。とりあえず商店で出来るだけ良い素材を集めることはした。
「見た目とは違い、中は猿が住んでいるとは思えない良い感じじゃな」
毎回、猿といわれるのは気になったが、好感触なのでほっとする。食べる前に部屋が気に入らなければ、それだけで食事が不味くなる。
「いまから飯を作るからくつろいでくれ」
「分かっておるな、早く用意しないと……」
脅しをかける蛇姫。料理をしながら彼女を見ていると、最初は退屈そうに床でゴロゴロしていたが、いつの間にか寝息を立てていた。俺はこのまま逃げることも出来そうだと思ったが、彼女の上にそっと毛布を掛けて料理を続けた。
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