第2話 転移というテンプレートの波に流されて

 東京の山手線の車内で静岡音茶は、今月達成したノルマに安堵していた。ルートセールスなので営業として優秀とはいえないが、ノルマをこなすということは給金をもらう側として、一定の安心感を与えてくれるのは事実だ。 


 このまま社内に戻っても雑務が少なく時間をもてあます。そこで御徒町で降りて、服でも見ようと途中下車をした。駅からすぐそこの店は軍服がならび、一種異様な雰囲気を醸し出す。彼は軍服には全く興味はない。しかし、軍服以外にも革ジャンを豊富に取り扱っており、彼はこれが目当てでこの店に来る。おしゃれには全く興味がない音茶だが、革ジャンが大好きなのだ。普通の服よりかなり重い着心地が、鎧に守られているような感じ――それが俺の中二心にビンビンと響く。 


 店内で物色していると一つの服に目がとまる。持ってみると意外に軽い。材質は羊かと思いきやそうでもない。さわり心地から牛や豚でもないことが分かる。とりあえずスーツの上から着るとサイズはぴったり、不思議なことに通気性がある。姿見で自分の姿を見ると営業鞄を持ちながらでもいい感じに映る。これは買いかなと思い、値札を見ると給料の半分以上する。まあ、高い革ジャンならこれぐらいは当たり前なのだが――この店の価格帯にしては少し高い。


 今月は出費も多かったので諦めようかと思うのだが、この店では一点物も多いので、これを逃すと二度と手に入らないことがある。姿見を見ながら心の中の天使と悪魔が葛藤する。こうなると悪魔のささやきに負けることが大半なのだが……そのとき急に地面が揺れた。バランスを崩して身体が壁にぶつかる。しかし、壁には感触がなく、ぬるりと壁をすり抜けてしまった。緑色の光に包まれたような気がしたとたん、すさまじい勢いで地面を転がる自分がいた。


「イテテテテ!」


 ゆっくり起き上がり辺りを見回すと、木々に囲まれている。店の外にこんな風景はない、完全に山中に自分がいた。


 スマホをつけても繋がらない。神隠し――それが一番に思いついた感想だった。


 山に取り残された自分に、まずは上に行くか下に行くかの選択が迫られる。上を見上げると太陽は見えないが、光の大きさからして夜までには時間がありそうだ。山で迷った際にはむやみに下山すると遭難しやすい、頂上を目指すのが生き残るコツだ。そこで上を目指して開かれたところを探す。しかし、二時間ほど歩いたが道が開けてくる気配はなく、山中をさまよい不安が増すばかりだった。日が傾き始めると今まで普通に見えていた森の中が、暗さのせいでその表情が一変した。


 周りの異様さと疲れが俺の胸を圧迫させる。山中を歩き続けて身体は悲鳴を上げ始めた。今日はここで野宿とすることに決めて、適当な木のうろを探す。暫く探してちょうどいい窪みを見つけて腰を下ろした。一息ついた頃には真っ暗な闇が自分を包み込んだ。


 闇になると草むらからザワザワとする音や、近くの地面からバキバキと枝を折り進む動物の足音が聞こえる。そしてキーキーと、今まで聞いたことのないような鳴き声が闇の中で大きく響いた。このまま一睡も出来ないと震えていたら、いつの間にやら朝まで呑気に熟睡していた。


 朝露で目覚めた俺は更に開けたところを目指して山を登る。数十分ほど歩いたところで、木々の間から光が漏れてきた! 草をかき分け光の出口をのぞく。


 見渡すと眼下に平原が広がっている……。文明の痕跡が見えない。俺は膝から崩れ落ちた。

 

 鞄からお茶を取り出しグビリと飲む、そして昨日の昼に買ったあんパンを頬張る。なんて美味しいあんパンなのだろう! 昨日は食事を食べるのも忘れていた自分を思い出す。腹が満たされると少し冷静になる。もう一度草原を見渡すと、かなり遠くに建物のような固まりと、平原とは違い畑のように見える一角があるのに気がつく。


 鞄についたおもちゃの方位磁石は北を示している。こんなキーホルダーが俺の心に光をともしてくれるとは思わなかった。畑のある東に向けて足を進める。命をベットに賽は投げられた――もしそこに何もなかったら俺は死ぬ。山を下りる途中小さな沢からペットボトル二本に水を入れる。1リットルでは心許ないのでコンビニの袋に水を貯めた。鞄の中のゴミもこれほど役に立つとは思わなかった。自分のルーズさに感謝――。


 結論から先にいうが、俺は賭に勝った! 最後のペットボトルが空になる頃畑に着いた。そして第一村人を発見して安堵のあまり涙を流していた。


「ここはどこですか?」


 青い髪の男に声をかけた


「タルチウ チュウウク エデンデバ」


男が異国の言葉で何か返事した。


 言葉が通じない……しかし腐っても営業職の俺、なんとか身振り手振りで水をもらい街の方向を教えてもらう。ここまで一日中歩き続けていた俺は、近くの木のそばで休息をとっていると、やがて深い眠りに落ちていった。


 腹が空いて目覚める。まだ日は昇っていないうっすらとした空の中、ゆっくりとした足取りで街道を進む。昨日は人と出会った嬉しさのあまり、何も思わなかったが、青い髪の毛の地球人なんていないはずだ。村人の髪の毛がヘアーカラーと考えるのは不自然すぎる。しかも、現代では似つかわしくない服を着ていた。俺は腹をくくる。


ここは異世界だ――。

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