第3話 デリンジャー
映画『デリンジャー』 主演ウオーレン・オーツ 、ミシェル・フィリップス
1974年日本公開ウオーレン・オーツ主演の「デリンジャー」はまさに青春映画であった。もはや記憶が定かではないが、有楽町の日劇の封切館で一人で観た。見終わった私は映画館を出て、肩で風を切り颯爽と大股で歩いた。
あまりにも危うく刹那的な青春像。
ドレスアップした恋人同士の優雅に見える儚い晩餐。
繰り返し映し出される銃撃戦。
“I’m Dillinger!”
と仲間にさえ発せられるセリフの狂気。
当時の社会情勢にだけ生まれた犯罪ではない。
未だに地球のどこかでまさにこのような殺戮が行われている。
それが義のためなのか、ただの強欲のためだけなのか、本人にもわからなくなっているのだろう。
映画を見る側も自分自身の生活に対して不満をくすぶらせており、しかも自分の力では打破できないでいる。そして映画を観る。
主人公に共感する。
主演ウオーレン・オーツはこの制作1973年当時、45歳。
デリンジャーの死亡時年齢 31歳。
口ひげを生やしていたからというのもあるかもしれないが、実際のデリンジャーの写真は、とても30歳31歳とは思えない面構えである。
当時、最初は主役はポール・ニューマンがやる予定だったか、検討されていたか、中学生時代からの大ファンの私でさえ、ポールニューマンは年をとりすぎているだろうと感じた。
ポール・ニューマンは1973年当時48歳。
ウオーレン・オーツと3,4歳しか変わらないが40代の4歳は大きいかもしれない。
『明日に向かって撃て』1969年当時は44歳。
『スティング』1973年48歳。
『マンマミーヤ』の40歳くらいの主人公を当時59歳だったメリル・ストリープが演じたのは全く暴挙と感じた。
素晴らしい役者であり歌も演技もとんでもなく良かったけれど、なんといってもブロードウエイや日本の劇団四季を観た者にとっては、「やめてほしい」の一言のキャスティングだった。
映画は興行収入などを考えて、実力はもちろんあり、しかも観客を呼べるビッグネームを、というのは致し方ないのだろうが、それにしてもこれはひどかった。
老けた未婚の母など観たくなかったというところだ。
メリル・ストリープが例え、どんなに演じたかったとしても、舞台じゃないのだから、下りるべきだった。
と思う。
観ている間中、老け顔のメリル・ストリープの張り切りぶりが痛々しかった。
今は「マンマ・ミーア」の紹介ではない。
つまり、ポール・ニューマンは『デリンジャー』を引き受けなくて、つくづく良かったと思う。
謙虚さの表れなのかもしれない、と思う。
それに対して、ウオーレン・オーツの実年齢は?どうか?
これはOK!!!太鼓判!!誰が何と言おうと、老けてると言おうと何だろうと、
適役!はまり役!この人以外にはいない。
伝記映画の傑作!
私は何故か伝記映画が好きだ。本で伝記を読むのも好きだし、もっと言えば、小説を読むとき、小説を先に読むこともあれば、その作家の年譜を先にじっくりと読むこともある。そして、すっかりその作家をわかったつもりになり、少々の満足感もありあとは面倒で小説は読み飛ばす。
犯罪者はどのようにして犯罪者になるのだろう。
デリンジャーに関していえば、貧困によるものではないという。
赤ん坊のころから犯罪者だったものはいない。
自分の欲望を抑えることなく、一線を超え、突っ走った。
映画『デリンジャー』を観るとき、実在の主人公デリンジャーの、破滅に向かって突っ走るあまりにも短い人生が胸に迫る。
デリンジャーそのもののウオーレン・オーツの魅力が最高度に開花した傑作である。
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