【10】考える昼休み

 昼休み。彼は友人の誘いをすげなく断り、教室を出た。友人が昼食に選んだのは食堂で、聞き耳を立てずとも聞こえてくる転入生の話もまた食堂を指していたため、さほど引き留められることなく済んだ。いつもなら昼食を買うための財布だけを持参するが、今日は鞄を丸ごと手にし、とある場所に向かっていた。

 教室を含む一般棟の一階の奥。備品倉庫と管理作業員が詰める部屋が並ぶ一帯は、普段は人気がない。行事などが近づくと準備などで賑わうこともあるが、今はテストの方が近いために静かだった。

 彼はその静かな廊下をぱらぱらと資料をめくりながら歩いていた。今朝読み込んでいた風紀委員による報告書は用紙十枚以上の量だったのだが、彼はその最後の紙をはらりと読み終えた。

 報告書の束を脇に抱えたまま、一つの扉の前に立つ。ノックをすると、くぐもった声が返ってきた。

「失礼します。……あ、すみません、食事中でしたか」

「ん、悪い悪い。もう食べおわっから」

 管理作業員室は二つ。事務仕事用のものと、休憩用。彼が訪ねた休憩用の部屋は一段高く、畳が敷き詰められた正方形をしており、中央に昔ながらのちゃぶ台が一つある質素な造りだった。

 かたかたと弁当をかきこみながら彼を招き入れたのは、昨夜の管理作業員。彼は靴を脱いでちゃぶ台についた。

「ごっそーさん。で、どうした?」

「少し話を」

「飯は? この時間じゃあまだだろ」

「今朝多めに食べてきました。体育もありませんし」

「そりゃだめだ! 連絡して手配させる」

「え、いや……」

 彼の制止などなんのその、作業員はポケットから取り出した携帯でどこかに電話をかけ、なにやら料理名をつらつら並べ立てぶつりと切った。これでよし、と満足げに頷く作業員を前では言葉は飲み込むしかなく、彼はさっきまで読んでいた資料を取り出した。

 大まかな情報をかいつまんで話し、事件のあらましを共有する。そして今朝の出来事を付け加え、整理した。

 彼がここに来た理由は、捕まえられた実行犯の話を詳しく聞くためだった。作業員はうんうんと唸りながら彼の話を聞き、語り始めた。

「昨日言ったよな、ただの不良じゃないって話」

「はい。家が違うと」

「そうそう。姑息な手を使うような奴じゃない。それが俺の印象っつか、実際そうなんだよ」

「知ってるんですか?」

「ずばり、アッチの子供だ」

 作業員はそう言いながら、頬を人差し指でついと撫でた。傷物であるという動作は、極道者を示す暗喩の一つだ。

「そんじょそこらのヤのつく野郎なら姑息なこともするだろうが、ここに通ってんのは安い奴じゃあない。まぁ中には外れもいるだろうが……」

「そんな印象は持たなかったんですね」

「ああ。どうしてこんなことしたんだって問いただしたときだって、指示する紙一枚見せてそれだけだ」

「もしかして」

「もしかするかもな。指示した相手を知ってて黙ってる」

「なるほど。確かに、疑問だったんです」

「なにがだ?」

「いやがらせの実行は見つかったときのリスクが高い。なのに易々と代行する人間なんているのかと。同じくらい妬み嫉みを抱いているならまだしも、親衛隊に所属していない不良がなんのために引き受けたのかわからなかったんです」

 一つ答えを得た。頷いて資料に手を伸ばしたとき、こんこんと控えめなノックが響いた。作業員が短く応え、彼に対してはちゃぶ台の上を片付けるよう指示した。

 台車を引く音とともに、白衣の男が現れる。同時に鼻孔をくすぐるいい匂いが立ちこめ、昼食の配達が届いたことに気付いた。時計を見ると、すでに昼休みは半分を過ぎようとしている。

 給仕係だろう白衣の男は室内まで踏み入らず、作業員に促されて帰って行った。運ばれた食事は雑多に選ばれており、好きなものを、と作業員に言われたためラーメンとチャーハンの中華セットを手に取った。

「残りは仲間と分けるから心配するな。食え食え」

「はい、いただきます」

 ほかほかと立ち上る湯気。作業員に告げた通り、今朝は多めに胃袋を満たしてきたが、やはり育ち盛りの高校生にとって昼抜きは厳しいものがある。気付けば、器が冷める前に完食してしまっていた。

 その様子を作業員は笑いながら眺めていた。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさん。やっぱり腹減ってたんじゃないか」

「食べなくても平気でした」

「お前って意外と強情だよな」

 くつくつとのどを鳴らす作業員を横目に、彼は改めて報告書を取り出した。空になった皿をちゃぶ台の端に寄せ、一枚、二枚と広げる。

「まだなんかあるのか」

「はい。今朝のこと、言いましたよね」

「ああ、前の会長の親衛隊がロッカーを片付けてたっていう話か」

 彼が広げた中の一文を示す。

「ここには風紀委員会が現状報告をしている、とあります。でももしそうなら、必然的に片付けも風紀委員会がしますよね」

「そりゃあな。つまり、風紀委員会はやってもないのにやってるって報告したわけだ」

「なおかつ、親衛隊はそのことを黙認しています」

「顔を立ててるってとこか」

「さっきの話に戻りますが、いじめの実行は不良にとって割に合わないリスクの高さでしたよね」

「そうだな」

「いじめの片付けも、当然リスクが高い。現に今朝の親衛隊隊長の慌て方は尋常ではありませんでした。なのにどうして黙々と付き従うんでしょう」

「え……そんなの決まってるじゃないか」

「わかるんですか?」

 ちゃぶ台から視線があがり、交錯した。見合わせる顔がそろって困惑する。

 苦笑いになったのは作業員の方で、いとも簡単に告げた。

「お前だってそうだろう。好きだからだよ」

「はあ……」

 彼の顔がくやりと歪んだ。納得がいかない、という表情だ。

「でも、行動しているのは前会長の親衛隊ですよ?」

「その前会長が、現会長のことを好きなんだろ。その助けがしたいってわけだ」

「好きな人が好きな人のために動いているから、風紀委員会のいいなりにもなると」

「青いねえ、青春だねえ」

 青い。それは先日、理事長も口にした言葉だった。同じ言い回しはやはり二人が兄弟なのだと思い知るひとつだ。またその青さは彼にとっては理解しがたい動機であり、解決を模索する思考の連鎖に絡めることができなかった。

 生徒会に近づく転入生を嫉妬して起きたいじめ。理事長はそう推測し、彼も倣った。しかし、状況は明らかに転入生を放置している。その裏で、転入生に関わらない人間の好意が飛び交っている。

「もしかして」

「お、なんかわかったか?」

「転入生は関係ないのかもしれませんね」

「ええ? いじめられてる張本人だろ?」

「そうですが、もう一人いるんです。とばっちりが、隣に」

 そこにあるのが悪意か好意かまで断定はできない。しかし、輪の中心は転入生ではなかったのかもしれない。もう一人の当事者は、報告書の中に小さく登場する。

 紙の束から一文を抜き出した。詳細はない。

「被害者は転入生とその同室者。同室者の彼にはどうやら、喧嘩が強い友人がいるそうです」

「なんだよその漠然とした情報は」

「書いてあるままを読んだまでですが……」

「ふぅん。で、お前は、その同室者とは友達?」

「ノートの貸し借りくらいは。……ノート」

「どうした?」

 彼の思考はころころと転がっていく。報告書に添えられた現場写真。今朝、実際に見たロッカーの惨状。渦巻く悪意と好意。緩い坂道でも転がり続ければ勢いが増し、止まらなくなる。彼の中の推論は熱を蓄え、確実に進む。

 いくつもの情報を捕らえ、繋ぎ、いつしか真相にぶつかるまで、そう時間はかからないと思った。


 同日、同時刻。

 特別棟三階。重厚な鉄扉とは過大評価だが、セキュリティーが万全な生徒会室には本来妥当な人間がいた。生徒会役員六名。すでに話し合いは終結し、午後の授業に向かう準備をしていた。

 手にはそれぞれ、完結した書類を持っている。彼らがこなしたとされる生徒会の仕事。部活動からの申請、行事予定表、そのほか諸々。いずれも余裕を持って納期があり、すべてクリアしている。言ってしまえば、今でなくても支障はないものばかりだった。

 細かく中を見ると、ほとんどがプリントアウトされ、手書きで済みそうなものまで逐一活字へ変換されていた。内容は完璧といって申し分なく、各委員会を経て提出されたものなどには修正がなされ、厳しく目が通されていることがわかった。

「放課後、集まれ」

「午後の授業にも出るんですか」

「これからは出るようにする。お前たちに強制はしない」

 会長はそう言って、扉に向かった。手には誰よりも多い書類がある。

「会長が出て僕らが出ないわけにはいかないよね。いこいこ」

 補佐の片方が台詞の割には楽しそうにのたまった。もう片方は少し陰りを見せる。しかし、会長に付き従い、共々歩調を合わせて扉の方へ進んだ。その隣には寡黙な書記が立つ。

 副会長は光が注ぐ窓のカーテンに手を伸ばし、その側では会計がふらふらと体を揺らしていた。全員の手にある書類の中、会長に次ぎ二番目に多いのは会計だった。予算というものは優先されやすく、何事にもついて回る。役員内で分担されることもあり、仕事量は少なくない。

「誰なんだろ、準役員」

「見当もつかない。今はそんな状況です」

「理事長を問いつめたの?」

「答えると思いますか」

「ぜーんぜん」

 はやくしろ、と会長の呼ぶ声に導かれ、二人はぱたぱたと急いだ。がちゃん。重い鉄扉のオートロックが仰々しく口を閉じる音を背に、かすかに届くグラウンドの喧噪を迎えながら、六人は一般棟までゆっくり歩いた。

 予鈴の気配がする。


 仕事を再開したと明言することはできない。会長は午前の授業を受けていた際、考えていた。

 新学期を迎え早半月。会長がしていたことと言えば、転入生に関することばかり。学校のことがわからないと悩む転入生に一から教え、どうやら授業にも遅れているらしいとなれば生徒会の特権を行使して授業を休ませ、ついていけるよう手伝ってもいた。

 そして四日ほど前から起き始めた、嫌がらせ。匿名希望の通報から発覚した事態を、ただでさえ正義感の強い転入生が知ればどうなるかと懸念し、前生徒会長へ協力を仰ぎ、秘密裏に風紀と連絡を取り合っていた。そしていよいよ本格的に対応を始めようとした矢先、生徒会室のカードキーの変更が判明。同時に、手をつけていなかった生徒会の仕事が、あたかも難なく続けられているかのように積まれていたことは衝撃以外のなにものでもなかった。

 すべてが今更であることは明らかで、非がどこにあるかも理解している。会長という役に課せられた義務と責任を放棄したのは間違いなく自らであり、転入生をいいわけにしてはならない。

「(なのにどうして、苛立ちを感じるんだ。焦燥や罪悪感は確かにあるのに)」

 黒板に書かれた授業の内容はすっかり入ってこないまま、ぐるぐると渦を巻く思考の中で戸惑いを持て余した。その中にぼうっと浮かび上がるのは、年相応の姿をしながら悪ガキのような笑みを張り付けて嘲る、とある大人の影。真っ先に怒りの矛先を向けてしまった最高権力者。そして、質量すら曖昧な生徒会準役員という言葉。

 放課後は風紀委員会の元へ赴くことになっていた。こみ上げる黒い塊はひとまず飲み込み、嫌がらせについて考えを馳せることにした。

 目を背けてはいけないものがあることを確かに感じながら。

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