第4話 どちらの王子様も悪人だ


 コサックはホープを1本しかない腕で横抱きにすると、シリンダーに並ぶレバーの1つを下した。左足のアームに魔力が張り巡らされ、梯子を使わずに天井へと跳躍する。上の階の床から再び天井へ。景色が下へと流れていき、甲板に足がつくとホープは心臓を押さえて飛び出さないようにした。

 だが、コサックはレバーを戻し、再び銃を起動させた。甲板にはヤナと、彼女を連れたホームレスとカイバの2人がいた。


「ごめん、助けに行けなくて…!腕以外に傷は?頭は打ってない?」

「ちょ、ちょっと抱きつく相手間違ってるでしょう!」


 ヤナがホープに抱きつき、コサックは銃口をホームレスとカイバの2人の間で迷わせた。


「どういうことだ」

「お前に現実ってもんを教えてやろうってな。マジックスペルも魔法も殺すような巨人の血の権威なんぞ、もう通用しねえんだよ」

「こいつの言いたいのことは、これは現場の判断だということです。こいつとの繋がりは大尉にとっても、むしろ有益となります」


 カイバの言いたいことは、盗賊ギルドの残身である三つ猫を使っているコサックも理解できた。だが、1つだけカイバは忘れていることがあった。


「伍長、報告せよ。そいつのカードは何色だ」


 入隊前に何度も繰り返された訓示に、カイバは背筋が伸び、踵を合わせて直立不動となった。


「統合以前の冒険者ギルドの銀色のステータスカードです」

「つまり、銀行口座を持たないな。通貨を廃し、銀行を財布と金庫とするクレジットシステムに反逆している。国の認めぬ通貨を使用し売買をする者は」

「偽造ブローカーを擁護する者であり、納税が全て口座引き落としである以上、高額な額を不当に所持する脱税者でもあります」

「ならば」

「――もうたくさんよ!」


 肩で息をするヤナが婚約者の殆どが金属に覆われた顔を睨みつけた。その手が手袋に覆われていて、コサックは胸に痛みが走ったが、それを表すには彼の顔は戦闘用に変わり過ぎた。

 

「アイン、これがあなたのやりかた?」

「法は不動だ。そして、私は違法な行為をする者を取りしまる」

「そう、たった20年前に作られた法律に従わぬ者をな」


 義手からテーザーネイルが発射され、電撃にホームレスが膝をついた。ヤナが飛びついて横に逸し、乾いた音が響いた。赤くなった頬を押さえるヤナの前で、ホープが大の字になる。


「もう止めて下さい!僕はただ好きになった子に告白したいだけなんです。それくらい許してくださいよ。お願いです…」

「もちろん構わない。だが、今はサムライとの戦争の爪痕がある。少しだけ待て」

「少しっていつです!あなたたち大人の10年と、僕らにとっての10年は違うんですよ!」


 ヤナは目をつむり、懐から出した拳銃を自分の顎に当てた。コサックの目元が僅かに動き、ヤナには動揺していると分かった。


「あたしはあなたと一緒になるのが嫌なわけじゃないの。ただ、大人になることが自分を縛ることだとは思いたくない。だから、この数日だけでいい。ホープをあたしたちから自由にしてあげて」

「…出来ない」


 コサックがゆっくりと近づいて来たが、1メートル以上ある身長差でも、彼が本気で自分に手を上げはしないと知っているヤナは怖くなかった。古くさい父が婚前交渉をしたことを盾に取って結婚を迫り、それに頷いてみせた男なのだ。

 対してあたしはどうだ。妻になり、大人になることに実感が持てず、気に入らない現実への憤りばかりに支配されている。結婚なんて上手くいきっこない。そんな愚かな女が愛した男にできることは、早く解放してあげることだけだ。


「頼む、イブの前日にお前を失うなんて耐えらえない」

「ごめんね。ずっと嘘をつこうともしないあたしに傷ついてきたよね」


 ヤナが引き金に手をかけ、だがそれは引かれなかった。


「――――――――――――っっっ!!!!」


 空気を震わせるような獣の咆哮。それが船の中から響き渡り、2人を切り離した。甲板が大きく揺れ、急激に傾くとヤナが悲鳴を上げて縁へと滑っていく。


「船長、何事だ!」


 カイバが手すりの伝声管を開いて怒鳴ったが、操舵室からは何の意味のない喚き声しか返ってこない。甲板が刻一刻と傾いていく中で、コサックは迷った。職務に従い最重要人物ホープを避難させるべきか、婚約者ヤナを助けるべきか。これはZ1による牽制で、次に本格的な攻撃が来る。そして、何千クレジットの武器の塊である自分はその対抗策として存在する。


「馬鹿ですか、こんな時くらい自分の嫁さんを先に助けて下さいよ!」


権力への不信と反骨心に満ちた声に鞭打たれ、アインは甲板を滑って行った。


「ヤナ、手を伸ばせ!」


 1本しかない手が伸ばされ、甲板が再び揺れた。ヤナの身体が放り出される。コサックは手すりに衝突し、一縷の望みにかけて義手を伸ばした。白手袋がレバー類に引っかかって脱げ、指輪が光る手が露になった。つけててくれたのかという嬉しさ、なぜ今なんだというやり切れなさ。コサックに向け、ヤナは困った人だと笑みを浮かべ、真っ逆さまに落ちていった。


「ヤナ!」


 ヤナは死ぬんだなと人事のように現状を理解した。それは未来など見当もつかぬまま今を積み重ねてきた彼女にとって、初めて未来へと進む瞬間だった。遠くなっていく婚約者のへと手を伸ばし、それが別の手に握られた。

 窓ガラスが割られ、中から飛び出したセブンがヤナを空中でキャッチした。船体を小太刀で削りながら緩やかに氷の上に着地し、間髪入れずに走り出す。ヤナが正気に戻ったのは、岸に上がり、転覆し始めた船を目にした時だった。


「こんなことまでして、何が目的。ホープを使って何をしようっていうの!」


 セブンの答えは港の小屋を蹴り開けることだった。ヤナは扉が壊れる音に怯えてると、中に降ろされた。銛打ち用の特大の銛が引き抜かれる。二股に分かれた切っ先が光りもせずただあった。

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