小説・政治的未関心Ⅳ 続・12人の呆れる日本人

鷹香 一歩

第1話 目黒川の桜とウィル・チェア・ラグビ―

 「ここが都内で人気ナンバーワンの花見スポットか」

「何たって“ナカメ”から徒歩1分だからね」

2019年の4月中旬、小笠原広海と大宮幹太は地下鉄日比谷線の中目黒駅に程近い目黒川にいた。混雑を避けて朝早くやってきたので、まだ少し肌寒い。観光客らしい外国人が目立つくらいで、花見客の姿はまばらだ。SNSなどで紹介されているライトアップされた夜桜のイメージだろう。日が暮れた後はこうはいかない。

「やっぱ、夜桜の方がよかったかな?」

「ううん。花見客を見たかったわけじゃないから。駅の改札口からところてんのように押し出される夜桜見物なんて遠慮するわ。ロマンチックなムードがお好みなら、誰か別な娘を誘って」

「いやいや、広海と一緒じゃなかったら、つまんないし」

幹太が慌てて答えた。

「あれ? もしかして私、誘導尋問しちゃった?」

「ううん、そんなことないさ。マジ、本音」

「そう。じゃ、そういうことにしとくね」

広海と幹太の距離感は高校時代と変わっていない。広海はさりげなく話題を変えた。

「ほら、桜だって昼間はみんなのために精一杯きれいに咲き誇るんだから、夜くらい休みたいってのが本音でしょ」

「そうかもな。眠たいのに照明いっぱい当てられてストレス感じてるかも。大勢の花見客で酸素も薄いしな」

幹太も“小6男子”流に応じて見せた。

「うーん、それはちょっと大袈裟かな」

800本のソメイヨシノが並ぶ川沿いを歩く二人の脇を、近くに住むジョガーが追い越して行く。ヘッドホンを耳に当て、首には蛍光色のタオルを下げている。ドラマに出て来そうなオシャレを絵に描いたようなシチュエーションだ、と広海は思った。

中目黒から日比谷線で神谷町まで戻り、広海と幹太は東京タワーを目指した。

「地下鉄の出口から見えるのかと思ったけど、どっち?」

「こっちだよ」

電車の中でスマホの地図アプリで確認済みの幹太が先を歩いていく。特に高層ビルがあるわけでもないが、東京タワーはなかなか姿を見せない。上り坂になった道を数分。突然、現れた主役は意外と大きかった。

「思ったより大きいのね」

「いつもは遠くから見ているだけだから、大きさは実感できないんだ。今は真下にいるんだもん。そりゃ大きいよ」

「東京スカイツリーができて、平成から令和を迎える今となっては、完全に昭和を象徴するランドマークか。スカイツリーと比べても前近代的なイメージがあったけど、根元から上がっていく曲線美。芸術的な感じがしない?」

「言われてみれば、スカイツリーはパーツは丸みを帯びているけど、構造は直線的だもんな。東京タワーと比べると、アナログとデジタルのような違いを感じるのは確かだな」

幹太は新旧の電波塔の違いを分析した。

「じゃあ、東京タワーあるある。東京タワーの材料にリサイクルされたのは何?」

「なめんなよ。男子はそういうのは押さえてるんだなぁ。アメリカ軍の戦車だろ。使用済みっていうか、壊れた戦車」

「何だ、知ってたか」

少し残念そうに広海。東京タワーは1957年に建設が始まったが、当時の日本は鉄不足。朝鮮戦争で壊れた米軍の戦車を安価で買い取って建設に用いた歴史がある。

「うわっ、何、何、何」

広海が珍しく素っ頓狂な声を上げた。どこか力ない轟音とともに、スーパーマリオに出て来そうなカートの集団が現れたのだ。赤や黄色のむき出しの車両が、ワゴン車やトラックと同じ車線を6、7台一団になって通り過ぎて行く。

「ここもカート場か」

幹太が眉をひそめて呟いた。前にも渋谷近くで目撃していた。

「あれって危なっかしくない?」

「道路交通法上は普通自動車扱いだから、ヘルメット着用の義務がないんだ。その上、シートベルトがついていない自動車にはベルト着用の義務がないから、シートベルトも要らない」

「だって、遊園地で見かけるカートってヘルメット被っているよね」

「カートの専用コースではね」

「公道は遊園地と違って、一般車両もバスやトラックの大型車両も走ってるんだからおかしいでしょ」

「法律が追い付いてないんだよ。外国人に人気だから、インバウンドの増加でもっとこういう光景が増えると思うよ」

「最初がこんなにルーズだと、後で規制しにくくない?」

「ヘルメットとシートベルトの着用を義務づけようとしたら、業者とか反対すんだろうな」

「オリ・パラで道路の混雑を心配してるけど、公道を走るカートってもっと増えそうじゃん」

「多分ね。でも、事故でも起きないと規制はしにくいと思うな」

広海はカートが大挙して、我が物顔で疾走する光景を思い浮かべた。増上寺で桜と東京タワーを楽しんだ二人は、その足で喫茶『じゃまあいいか』へ向かった。


「君たちの疑問に答えてくれる格好の人物がいるよ」

「オリンピックとパラリンピックを分ける理由ですか?」

声の主は店主の渋川恭一と秋田千穂だった。昼過ぎのカウンター。先客の千穂と志摩耕作、そして剣橋高校時代の担任だった横須賀貢のスツールに二人は腰を下ろし、話の輪に加わる。

「そう」

「誰ですか」

「上原大祐(だいすけ)さん。上原選手と言った方が分かりやすいかもしれない」

「なるほど。彼か」

横須賀は思い出した。

「もう。先生、自分だけ分かってないで、教えて下さいよ。共有、共有」

千穂が駄々っ子のように、隣に座った横須賀の左腕を引っ張る。担任と生徒の関係だった高校時代には見せなかった振る舞いだ。

「スポーツについては見聞の広い大宮の守備範囲にも入っていなかったか」

「大宮は去年の暮れ、ウィル・チェア・ラグビーの日本選手権行った、って言ってたな」

「はい。広海と一緒に。千葉のポートアリーナ」

「そこ、いる?」

広海が口を挟んだが、幹太は続けた。二人が行ったのはウィルチェアラグビーの日本選手権だった。

「車椅子の競技には理解があるんですよね、千葉県。都内を含めて多くの屋内施設が、車椅子のタイヤ痕が残ることを嫌って貸し出し自体を渋る傾向にあるんですが、ポートアリーナは2013年に誕生したRIZE千葉がホームグラウンドで、毎年のように日本選手権が開かれているんです。これも開催場所が限られている現状の証明ですよね」

千葉ポートアリーナは千葉市のモノレール「市役所駅」から程近い総合施設だ。メインアリーナは、固定席に4000人以上。仮設席で2,500席以上を収容できる。

「大体、体育館が傷がつくことを気にして貸し出しを渋るっておかしいでしょ。屋外施設もそうだけど」

と千穂。

「故意にラケットを叩きつけたりする方がよっぽど罪がある」

耕作は、錦織圭や大坂なおみのプレーを思い出して言った。よいプレーには拍手を惜しまないが、ストレスで道具に当たるのは別だ、と考えている。

「うん。今は、ポートアリーナとRIZE千葉は置いといて、上原大祐だ。彼はパラアイスホッケーの銀メダリストだ。下半身に障害のある選手がスレッジというソリに乗って戦うから、アイススレッジホッケーとも呼ばれている」

横須賀が説明した。

「アイスホッケーと同じ“氷上の格闘技”ですね」

幹太が言った。

「その上原選手が何を答えてくれるんですか?」

千穂が先を急いだ。

「分かりやすい彼の主張の中でも『知りたがり屋と分けたがり屋』というのが興味深いんだ」

「知りたがり屋と分けたがり屋?」

広海が復唱した。

「そう。国民性を皮肉った小噺で沈没船から避難を促す話、聞いたことないか?」

「ドイツ人には理詰めで、中国人には儲け話。で、日本人には『みんなが降りていますよ』って、アレですね」

と耕作。

「そうだ。それに似て、欧米人は何でも知りたがる。例えば上原さんの使うパラアイスホッケーの道具についても、名前や使い方を聞いてくる。そればかりか専用のスティックを借りて試してみたりもする。そこに壁はない。“知りたがり屋”というわけだ。ところが、日本人は何事についても分けたがる。男と女、大人と子供、健常者と障害者などなど」

「それ、すっごく分かりやすい。分かりやすいだけじゃなく、当たってると思う」

横須賀の説明に納得顔の千穂。

「“勝ち組”と“負け組”なんかも同じですね」

「“富裕層”と“貧困層”」

「出てくる、出てくる。分けたがり屋ジャパン」

「もう。分別するのはゴミだけにして、って」

次々と例示する二人の男子に満足そうな女子たち。広海のオチで場は笑いに包まれたが、問題の根が意外と深刻なことも、みんなが理解した。

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