第15話 露店



「傷は痛みませんか?」

 後ろをついて来た鴛翔えんしょうに尋ねる。鴛翔は大きく息を吐き出しながら頷いた。

「ああ、大事ない。だが、少し息が上がってしまったな」

「じゃあ、少しゆっくり行きましょう」

「助かる」

 いいえ、と螢月けいげつは笑みを浮かべる。鴛翔はもう一度大きく息を吐き出した。

 初めは馬に乗って歩かせていたのだが、山道は存外揺れて傷口に響いたらしく、結局徒歩に切り替えていた。歩いたほうがましだったのだろうが、療養で鈍った身体は予想以上に体力が落ちていたらしい。


 杷倫はりん山の麓に広がる杷倫の街は、この辺りでは一番大きく賑わっている土地だ。

 都寄りの方角から山に入った鴛翔は、下りた場所には見覚えがなかったらしく、物珍しげに周囲を見回した。表情が少し楽しげでもある。

「都に行くには大きい街道が東側からですから、あっちの方に」

「あ、いや。その前に、役所に寄りたい」

「役所ですか……?」

 道順を説明しようとすると遮られたので、螢月は首を傾げる。ああ、と鴛翔は頷いた。

「何日も消息を絶っていたからな、捜されているやも知れん」

 届け出があるようだったら、自分で行って直接無事を知らせた方が速い、と言う。

 言われてみればそうかも知れない。ならば役所への道を教えてやろうと思ったが、芙蓉楼ふようろうまでの通り道なので、近くまで送って行ってやろうと思った。


 二人で並んで歩いているのは、なんだか少し変な感じだった。

 鴛翔がずっと寝ていた所為かも知れないし、螢月に異性と出歩くような経験がなかったからかも知れない。そのことに気づいたら、ちょっとだけ胸がドキドキとした。

「螢月殿」

 呼び止められ、振り向く。しかし隣にいた筈の鴛翔の姿はなく、怪訝に思って振り返ってみると、たった今過ぎて来た店先で手招いていた。

「螢月殿にもなにか礼をしたい。好きなものを選んでくれ」

 そこは女性向けの小間物屋だった。

「別にお礼なんて……」

「今まで世話になったのだ。金銭を渡すでは色気もないし、普段使い出来るものならばよかろう?」

 選んでくれ、と尚も言われ、螢月は困ってしまう。

 世話をしたといってもたいしたことはしていないつもりだし、既に父が小刀を受け取っている。あれで十分ではないか。


「このお兄さんの言う通りだ」

 螢月が困惑していると、少し頭髪の寂しげな店主が口を挟んできた。

「お嬢ちゃんは可愛い簪を買ってもらって髪に挿す。するといつもより更に可愛くなる。お兄さんはそれ見て喜ぶし、礼が出来たとすっきりする。ついでにこのおいちゃんも、簪が一個売れて嬉しいってもんよ」

 いいこと尽くめさ、と笑みを向けられ、その言い回しが面白かったので螢月は思わず笑った。


「じゃあ、ひとつだけ……これで」

 そう言って、端に碧い玉のついた飾り紐を手に取る。

「……そんなものでいいのか?」

 あまりにも質素なものを手にされたので、鴛翔は少し不満そうに尋ね返した。

 はい、と螢月は苦笑する。

「私、髪の量が多くて硬いし……簪があんまり綺麗に挿せないんです。結べるものの方が使えます」

 月香げっかくらい柔らかくて編みやすい髪だったら、店主が勧めてくれた蓮花の簪もきっと似合っただろう。少し残念だ。


 そうか、と僅かに残念そうな表情で頷き、鴛翔は店主に金を渡した。

「毎度。今釣り銭用意しますんで」

「あ、店主殿。その残りで、他にもなにか買えるだろうか?」

「もちろんですよ」

 螢月に買った紐なら追加で五本は買える、と満面の笑みを向ける。

「では、なにかよいものを見繕ってくれぬか」

「お任せを! すぐにご用意しますんで、少しお待ちください」

 鴛翔の言葉に店主は嬉々として店の棚を漁り始めた。


 少しして用意されたのは、簪や櫛だけでなく、玉の腕環や指環に帯飾りなど、螢月にはまったく縁遠かった装身具の数々だ。

「このあたりですかね。あとは――おぅい、かかぁよぅ」

 店先から顔を出し、隣の店へと声をかける。どうやら隣の反物屋は、この店主の妻が店番をしているらしい。

 店主が事情を説明すると、隣から顔を出した幾分ふくよかな女性は、さっさと何本かの反物と、既に仕立て上がっている衣を持って来た。

「このあたりからひとつふたつはお選び頂けますよ」

 金払いのいい客だとわかったからか、店主夫婦はにこにこと商品を見せて来た。口調まで先程より改まっている。


 ご家族にお土産かしら、などと思いながら、螢月は並べられた品の数々に目を奪われた。

 月香程に執着したりはしないが、年頃の螢月も綺麗なものは好きだ。なんでも似合う月香のことを可愛く装わせてやることは好きだが、自分自身が着飾ることにあまり興味がないし、元々そんな余裕もないから手に取ろうなどと思いもしないが、眺めていいのならいくらでも見ていたい。


「螢月殿は、何色がお好きか?」

 綺麗な珊瑚の簪を眺めていると、鴛翔から話を振られた。

「若い娘の意見として参考に」

 にっこりと魅力的に微笑まれて言われるので、螢月はちょっとだけ頬を染めた。

「私の意見など参考になるものでしょうか」

「なるさ」

 そう言われ、妹さんにお土産なのね、と解釈した螢月は、さっと反物を手にした。

「私は青とか緑とかが好きですけど、同年代の子達は薄紅とか、こういう蒲公英たんぽぽ色とかが好きです。うちの妹は、桃色と珊瑚色が好きだし、とても似合います」

 螢月の答えに鴛翔は、なるほど、と頷き、にこにこと満面の笑みを向けている店主に耳打ちした。店主は心得たとばかりに出した品々を一旦奥に戻し、忙しなく動き回り始める。


 あまり美的感覚というものに自信のない螢月は、本当に役立ったのだろうか、と僅かに不安になる。こういう意見は月香の方が向いていただろうに。

 そこではっとする。

「あ、あの、鴛翔さん。私そろそろ行かないと」

 遅くなってくると妓楼である芙蓉楼は忙しくなってしまう。落ち着いて話が出来なくなるのはいろいろと困るので、慌てて鴛翔を急かした。

 そうか、と頷いた鴛翔は、螢月の手から碧い玉のついた飾り紐を取り上げる。

「これは包んでおいてもらうから、帰りに受け取るといい」

 店主はそれも受け取って「お預かりしておきますよ」と笑った。

 確かに、芙蓉楼に行ったあとに薬種問屋にも寄る予定なので、歩き回っているうちに落としたら嫌だ。親切な言葉に甘えておこうと思う。


 今日中に取りに来てくれればいいから、という言葉に頷きながら、まずは鴛翔を役所の見える場所まで連れて行くことにする。

 賑やかな大通りを歩いて行くと開けた場所に出て、そこが役所の目の前だ。


「本当に、世話になった」

 役所の門を確認した鴛翔は螢月に向き直り、改めて深々と頭を下げる。いいえ、と螢月は首を振った。

「都までの道中も長いでしょうから、どうかお気をつけて」

「螢月殿も、健やかであられよ。ご両親と、妹御にもご自愛召されよと」

「伝えておきます」

 微笑んで頷き、荷物を背負い直す。




 会釈を残して立ち去って行く螢月の後ろ姿を見送りながら、鴛翔は僅かに笑みを零す。

 とても気持ちのいい娘だった。親切で明るくて、家族思いで優しい。健康的な働き者で、料理も上手い。そしてなによりも、パッと弾けるように笑う顔が可愛らしかった。

 きっと自慢の娘だろう、と仏頂面しか見たことのなかった守月の顔を思い浮かべる。

 彼等父娘おやこには大変に世話になった。あれくらいでは礼をしたうちにも入らないと思うが、きっとあれ以上は受け取ってくれないだろうし、仕方がない。


 気を取り直し、役所の門へと目を向ける。

 手綱を引いて近づいて行くと、番兵がチラリと目線を向けて来た。その男へ腰に下げていた佩玉を差し出す。

「長官にお会いしたい。隆宗りゅうそうが参ったと伝えてくれ」




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