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フレデリカ・P・オルロックがスコロマンス女学院へやって来てから、はや一週間が経過した。
同室でともに過ごすうち、辰子はフレデリカの奇妙な体質について、いくらかわかり始めてきた。
フレデリカはニンニクが嫌いだ。本人いわくアレルギーらしい。食べると吐き気と頭痛がしてくるとか。とはいえ、淑女として口臭を気にするのが当然という認識か、スコロマンス女学院の食事でニンニクが出るコトはいっさいない。
だが、そもそも彼女は食事自体がたいして好きではないようだ。彼女がおいしそうな顔をしているコトは一度もなかった。いつもまずそうに食べている。朝と夜はムリして食べているが、昼はダイエットだと言ってかならず抜く。
原因を直接教えてもらったワケではないが、おそらく胃腸が弱いからだろう。フレデリカは食後しばらくすると、よくトイレにこもっている。部屋のトイレだと、壁が薄いので音が聞こえてきてしまう。どうやら毎回下痢をしているようだった。嘔吐のときもある。あの陶器の人形みたいに整った美しさの少女が、臭い汚物をまき散らしていると思うと、辰子は何やら背筋がゾクゾクするのだった。
一度など、ふたりでシャワーを浴びているときに便意がきて、大慌てで浴槽を飛び出して脇の便座へ座り、辰子の目の前で排泄したコトもあった。辰子は見ないフリをしていたが、その実シャワーカーテン越しに横目で凝視してしまった。白い頬を赤らめて苦しげにもだえながらいきみ、下品な音を立てて排泄する姿が、何だか妙になまめかしかった。うっかりおかしなシュミに目覚めてしまいそう。
だが不思議なコトに、それだけ消化不良が続いているにもかかわらず、フレデリカは健康そのものだった。やつれるどころか、むしろ日に日に肌ツヤが増していく。辰子はワケがわからなかった。何か特別な美容法でも実践しているのだろうか。けれども同じ部屋で寝起きしていて、それらしい行動はまったく見られていない。
今朝も校舎についてからフレデリカはトイレに駆け込んだので、辰子は先にひとりで教室へ。
すると、クラスメイト数名が何やら話し込んでいた。
「へえ、今日休みなんだ? めずらしいね。どしたの?」
「それがさァ、何かあの子、今朝から体調悪いみたいなんだよね。たぶん貧血だとは思うんだけど」
「生理ってワケじゃないよね。確か周期ズレてるし、いつもと違って機嫌も悪くなかったし」
「うん。そのはずなんだけど」
「ふだんはあんな血の気が多いのに、ホント急にどうしたんだろ?」
「元気だけが取り柄だったもんね」
「それはさすがに言い過ぎ」
「放課後お見舞い行ってもいい?」
「うん。いいよ。あの子ああ見えてけっこう寂しがり屋だし。行ってあげたらよろこぶと思う」
「お見舞いナニ持ってこうか? やっぱレバー?」
「いやいや、そんなの購買で売ってないっしょ」
「レバーパテなら売ってたよ。缶詰のヤツだけど」
「それゼッタイ先生の酒盛り用じゃん」
辰子もクラスメイトとして少し心配になる一方で、特に気に留めていなかった。きっとすぐによくなるだろうと考えて。
しかし昼過ぎには、ほかのクラスや学年にも六名、同じ症状で欠席している生徒がいると知った。あっという間に噂が広まっていた。一番最初の生徒は一週間前から、つまりフレデリカが留学してきた翌日からで、欠席者は一日に一人ずつ増えている。この規則性は実に不可思議だ。医者の診断によれば、ごく普通の貧血と見て間違いないらしい。ただし、原因はよくわからないそうだが。
翌日、さらに一名貧血で休んだ。明日もまた誰かが貧血になるのだろうか。まるで伝染病のようだ。
「フレデリカはどう思う? みんなホントにただの貧血なのかな?」
昼休み、辰子とフレデリカは屋上でランチタイムを取っていた。もちろんフレデリカは食べずに横で見ているだけだ。屋上は本来立入禁止なのだが、烏丸がコッソリ合鍵をくれたのでよく利用している。当の烏丸がここへ現れたコトはなぜか一度もないが。
「ただの貧血じゃなかったら何だと言うの?」
「例えばホラ、吸血鬼に血を吸われたとかさ。……いや、まァさすがにそれはありえないだろうけど」
「そうね。吸血鬼なんてしょせん作り話だものね」
「でも、だとしたら何が原因なんだろう? 生理がふだんより重かったとかならわかるんだけど、そうじゃないらしいし。そもそもこれだけ複数が同じタイミングでってのは不自然だし。貧血ってウイルスとか菌とかでなるもんだっけ?」
「そういうむずかしい話はよくわからないわ。でも、お医者様がただの貧血って言っているんだから、たぶん大丈夫よ」
その言葉通り、翌日にはチラホラと回復した者が登校してきた。傍目には病み上がりを感じさせず、特に体調は問題なさそうだ。
「元気になってよかったね。で、結局原因は何だったワケ?」
「それがさァ、全然心当たりがないんだよねェ。目が覚めたらとにかくダルくってもう。ベッドから起き上がれなくて」
「ホントね、寝坊かと思って見たらビックリしたんだから。肌がヤバイくらい青白くなっててさァ。てっきり死んじゃったかと」
「ねえねえ、その首のトコどうしたの?」
「ああコレ? たぶん虫刺されじゃないかな? べつに腫れてはいないけど、チョットかゆいし」
「虫ィ? でもフツー一度に二ヶ所も刺す? 二匹いたとしても、こんなすぐ隣の場所に」
それを小耳に挟んだ辰子は、ふだんでは考えられないくらい積極的に会話へ割り込んだ。「チョット、その傷見せて」
その行動にクラスメイトたちは困惑しつつ、傷痕を見せてくれた。
外頸動脈の上に、赤くて丸い点がふたつ並んでいた。まるで針でウッカリ刺してしまったかのような傷痕だ。さらによく見てみると、縁の部分がうっすらと白く変色している。その傷の正体に思い至り、辰子は衝撃を受けた。
「……ねえ、もういい? 鼻息が当たって気色悪いんだけど」
「ああ、ゴメンゴメン。ありがとう」
いぶかしるクラスメイトを尻目に、辰子は自分の席へ戻った。
その後、辰子は授業の内容がまったく頭に入らなかった。ある考えが彼女の脳裏を支配していたからだ。
――アレではまるで、吸血鬼が噛みついたかのようではないか。
おのれの単なる妄想だとかたづけてしまいたくて、昼休みに貧血で欠席していたほかの生徒を見に行った。結果、首筋に同じ傷があるのを見つけて、さらに疑念を深めるコトとなった。
貧血になった生徒全員に同じ傷があるコトは、すぐにうわさが広まった。辰子と同じように考えて、吸血鬼のしわざだと告げる生徒も現れたが、さすがに現実的ではないので一笑にふされた。何か大きめの虫か小動物に噛まれたとのではないかという見解が、多数を占めている。とはいえ、信憑性のある具体的な虫や小動物の名前を挙げられる者は、誰ひとりいなかったが。
さらに数日が経ち、新たに貧血患者が増える一方、また同じ生徒が貧血になるケースも出てきた。辰子が思い切ってお見舞いに押しかけてみると、傷口の点は以前より大きくなっていた。学院は害虫駆除業者に依頼して、寮に潜むダニやネズミを徹底的に駆除させたが、この異常な現象が収束するきざしは見られなかった。
ある夜、辰子は夢を見た。自分のベッドに吸血鬼が潜り込んでくるのだ。その姿はなぜかフレデリカのもので、あまりの真に迫った光景は現実と見まごうほどだった。ハダカのフレデリカが、辰子の寝間着を脱がせると、全身を舌でなめまわす。唾液まみれでザラザラとした舌の感触が肌をくすぐる。足指のあいだから、耳の裏までくまなく。抵抗したくても、辰子は指一本動かせない。そうして最後に、フレデリカはあごを大きく開き、異常に伸びた犬歯を辰子の首筋に突き立てた。ブチャブチャと下品な音を立てながら血液を吸い上げられ、だんだんとカラダ冷え切っていくのを感じた。
「――んあァっ! ハァ、ハァ、ハァ――夢、か――」
そこで目が覚めて飛び起きると、時刻はまだ夜中の二時だった。全身が汗でグッショリ濡れていて、辰子は寒気を感じていた。バスルームに駆け込んで鏡を見、首筋に傷痕がないコトを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。それから汗を流そうとシャワーを浴びた。ひとりで落ち着いて入れるのは何だかひさしぶりだ。
そういえば、フレデリカの姿は鏡に映っていただろうか。トンと見覚えがない。思えば、彼女が毎度バスルームへ乱入してくるときには、シャワーの熱気で鏡が曇っているのだった。それに貧血の生徒が出始めたのは、フレデリカが留学してきた翌日からだ。
「……バッカじゃないの……アレはただの夢でしょ夢……」
そう自分に言い聞かせて、辰子はベッドへと戻る。
ふと気になって、二段ベッドの上で寝ているフレデリカの様子を確認しようと思い立った。彼女の寝顔は天使のようにかわいいだろう。きっとそうに違いない。けっして他意はないのだ。
けれども、そこにフレデリカの姿はなかった。
こんな真夜中に、いったいどこへ出かけてしまったのだろうか。捜しに行ってみようかとも考えたが、そこへ外から物音が聞こえてきた。廊下ではなく、窓の外だ。とっさにベッドへ潜り込んだその直後、窓を開けてフレデリカが入り込んできた。辰子は息を呑んだ。この部屋は寮の三階なのに。
問いただす勇気を出せず、辰子は寝たふりをし、本当にそのまま朝まで眠ってしまった。
朝、フレデリカは何事もなかったような笑顔で「おはよう」と辰子に告げた。辰子も平静を装っておはようと返した。われながらなかなかの女優ぶりだったと思う。心なしかフレデリカの肌は昨夜よりも、さらに血色がよくなっている気がした。
登校するとき、何げなく寮を振り返ってみた。外壁には足場になりそうな部分は見当たらない。少なくとも、素人が何の道具もなしに移動できるとは思えなかった。
そして、クラスメイトが貧血でひとり欠席だった。
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