「空間と20分の壁」

スミ子はベッドの上で目を覚ます。


天井には見覚えのない蛍光灯。


夢の中で見たとおり、

シャツに黒のスラックスと楽な服装になっている。


ぼんやりとしつつ半身を起こすが、

自分の手元を見たスミ子はギョッとする。


スミ子の左手をユウキが握っていた。


そして、ユウキも今しがた目を覚ましたらしく、

ボーとした顔で周囲を見渡す。


「ん、目を覚ましたらしいな。『虚人うろびと』にならなくて運が…」


「良かった」と続けようとした

 ユウキの頬をスミ子は素早く叩く。


パアンッという小気味良い音とともに、

ユウキは左右に大きく揺れ、痛そうに頬を押さえた。


「あー、もー、これだから。

 女の『うろ』に入るのは嫌なんだよ。

 師匠のところで女の急患が入る度にこうなって、

 もうマジ無理。」


そう言うと、ユウキは横にあったついたてに向かって叫ぶ。


「曽根崎さん勘弁してくれよ。

 次からは女性の『潜深士ダイバー』にしてくれよ。」


すると、ついたての向こうから、

苦笑している曽根崎が姿を現した。


「うーん、そもそも潜深士の存在自体、

 希少だからね。君がそのポストについてくれると

 こっちとしても大助かりなんだが…」


ユウキはそれに首をブンブン振る。


「ヤダヤダ、もうゼッテーしない。

 俺は修理師になりたいんです。

 潜深士の仕事から足を洗いたいんですから。」


そして、ぎゃあぎゃあ叫ぶユウキをなだめると、

曽根崎はふいに真面目な顔をしスミ子に頭を下げた。


「…すまない。もっと早めに気付いておくべきだった。

 長時間、空間にいた人間は『うろ』に陥りやすいはずなのに。」


スミ子が耳慣れない言葉に当惑していると、

椅子に座り直したユウキがボソッと言った。


「空間内を移動する時間には限りがあってな。

 それを『20分の壁』って言うんだ。

 オーバーすると今回のスミ子さんみたいにぶっ倒れたり、

 最悪、人の形をした空間…『虚』という存在になっちまうのさ。」


まだ事情の飲み込めないスミ子に対し、

曽根崎は自動販売機で買ったらしいボトルの水を

渡しながら詳しい説明を始めた。


「…まず、空間には時間の概念がないんだ。

 ただし、常に周囲のものを取り込み変化する

 性質があるため空間の近くにいる人間はもちろんの事、

 内部にいる人間はもろに強い影響を受けやすい。」


「そのため、あまり長い時間空間にいると体に負荷がかかり、

 空間から出た時に様々な症状を引き起こすんだ」と曽根崎は続ける。


「…おそらく君の場合、

 駐車場にできた空間と本部で迷い込んだ空間の

 トータル分の負荷がかかってしまったんだな。」


そして、空間に迷い込んだ人間は

肉体や精神のバランスを崩しやすい。


運が悪いと人間そのものが動く空間として

外でさまようことになる。


それを『虚人うろびと』と呼び、修理師は少しでも超過した場合、

潜深士ダイバー』という『うろ』の専門家に相談する。


「本来なら精密検査を受けさせるべきだったのに、

 君が空間内にいた時間は20分よりも短いと思っていたんだ。

 …これは、私のミスだ。」


そう言うと曽根崎は再びスミ子に頭を下げた。


「マンションまで送った時にスミ子さんの様子がおかしかったから、

 心配になった曽根崎さんが俺を連れて部屋まで見に行ったんだよ。

 そしたら、開けっ放しのドアの向こうでスミ子さんが倒れてて、

 二人して近くの総合病院まで運んだんだ、それだけだよ。」


ユウキは頬を叩かれたことをまだ怒っているのか、

ブスッとした顔で曽根崎の言葉を補足した。


スミ子は周囲を見渡す。

…そこは、病院の個室。


水色の壁紙にカーテンの隙間から

すでに暗くなった外の様子が見える。


スミ子は急に二人にしたことが恥ずかしくなり、

ユウキと曽根崎に頭を下げた。


「…すみません、

 お仕事の手をわずらわせてしまって。」


曽根崎はそれに手を振る。


「いやいや、こちらの不手際だよ。

 一応、この病院の医者にも診てもらったが、

 体調面ではすぐにでも退院できるということだ。

 …治療費云々はこっちで払うよ。」


「…ところで」と曽根崎は続ける。


「車の中でも聞いた質問なんだけど、

 君の精神状態について引っかかるところがあってね。

 勝手ながら君の財布から心療内科の診察券を見つけて、

 主治医の先生に連絡を取らせてもらったんだ。」


その瞬間、スミ子の心がズンッと重くなる。

このまま、隠していたことを咎められるのか…


だが曽根崎は「いやいや」と言って、にこやかに手を振る。

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