第11話:ガルァアァッ!!
「これこそが真の力! これこそが新しい強さだっ!、俺はもう誰にも負けねぇっ! 誰にも殺されねぇっ! 金も力も全て、俺は手に入れるっ!!」
荒く臭い息を吐きながら、大量の唾を飛ばし、大声で吠えるウィーダス。
それはもはや、人でも獣人でもなく、魔獣でもない姿をしている。
まるで理性を失った、狂気のみに支配されるその姿……。
しかしディーナは、いたって冷静だった。
むしろ、先ほどまで怒りに支配されそうになっていた心を、この目の前の馬鹿を見る事によって鎮めていた。
真の力? 新しい強さ? 誰にも、負けないだと……?
「おい、カミー……。本当に、あいつに負けたのか?」
信じられないといった目で、カミーを見つめるディーナ。
「なっ!? 仕方ないだろっ!? 俺は生身の人間だぞっ!? お前なんかと一緒にすんじゃねぇよっ!?」
こちらも、子ども染みたその言い方に、呆れて言葉も出ないディーナ。
「よそ見してんなら、こっちのチビからぶち殺してやるっ!!」
ウィーダスは、その巨体を突進させて、ペチェの方へと向かって行く。
ペチェは、ウィーダスのその姿、その恐ろしさに腰を抜かしてしまっていて、逃げようにも逃げられない。
子ミドヌーに抱き付いて、ギュッと目を閉じた。
ウィーダスの右手の鋭く尖った爪が、ペチェに襲い掛かる……、その一瞬の間だった。
瞬時にペチェの前まで駆け抜けて、振り下ろされたウィーダスの鋭利な刃物のような爪を、ディーナはいとも簡単に止めて見せた。
その手には剣など握られてはおらず、素手一本で、まるで爪を玩具のようにつまんで止めていた。
「な、何……!?」
現状を理解できないウィーダスは、動きが止まったままピクリとも動かない、いや、動けないのだ。
ディーナのその鋭い瞳に睨まれて、恐怖の余り、思考が停止してしまっている。
「こ、こんな事が……。そんな、まさかっ!? 俺は……、俺は最強だぁっ!!」
そう叫んだウィーダスは、未だ自由である左手の存在を思い出し、ディーナ目がけて振り下ろす。
が、その左手は、ディーナの右足の跳び蹴りによって、ボキッとへし折られた。
「うぎゃぁぁぁぁ~~!!?」
あらぬ方向に曲がった左手を押さえながら、ウィーダスは地面に倒れ込む。
すると、見る見るうちにウィーダスの体は黒い煙を上げて、小さく小さく縮んでいく。
「なっ!? なんだっ!? どうなって……!?」
困惑し、声を上げるも空しく、ウィーダスは手の平サイズの小さな獣人になってしまった。
「何が、起きたんだ?」
怪我した右足を引き摺りながら、ディーナたちの元へと近付くカミー。
「きっと、強化の呪いをかけられていたんだと思います。一時の力を得る為に……」
子ミドヌーに抱き付いたままのペチェが、カミ―にそう告げた。
ディーナは面白くなさそうに、小さくなったウィーダスを摘み上げる。
「離せっ!? たっ、助けてくれぇっ!?」
小さくなったディーダスの声は高く、その姿は世にも珍しい醜い妖精だ。
そんなウィーダスを、汚い物でも扱うかのように、嫌な顔をしながらカミーに手渡すディーナ。
「……やる」
ボソッと言ったその言葉に、カミーが青筋を立てたのは言うまでもない。
地下室と解体部屋を出て、外の空気に触れさせてやると、子ミドヌーは元気に立ち上がって、「フュ―ン、フューン」と鳴きながら、小麦畑を駆けて行った。
おそらく、大人のミドヌーたちがすぐに迎えに来るだろうし、他の討伐隊にはミドヌーは倒せないだろうから、きっと大丈夫だ。
小さくなったウィーダスを小銭と一緒に革袋に入れて、カミーはズルズルと屋敷の壁にもたれかかり、座り込む。
すぐさまペチェが駆け寄って、カミーの傷ついた足に両手をかざした。
その両手からは白く清らかな光が放たれて、カミーの傷を癒していく。
「さすが、エルフの治癒能力は素晴らしい。君は一流の魔法使いだよ」
カミーの言葉に、ペチェは嬉しそうに微笑んだ。
ディーナはというと、これまた先ほどと同じように、面白くなさそうな顔でカミーの前にドカッと座っている。
「……なんだ? 不服そうだな?」
カミーが訊ねる。
「……結局、こいつは何がしたかったんだ?」
ディーナは、ディーダスの入ったぼこぼこと波打つ革袋を指さす。
「さぁな……。今この国は、どこぞからやってきた悪い輩によって、秩序が乱されつつあるんだよ。それは違法薬物を作る奴だったり、危険な魔法を遣う魔法使いだったりといろいろだ。さっき、こいつが正義がなんだかんだ言ってたが、あながち間違っちゃいねぇ……。正義ってのは、自分で決めるもんだ。自分の信じる道を歩むことが、それ即ち正義だ! こいつはその道を間違えた、ただそれだけさ」
そう言って、カミーが革袋をペンッと指で跳ねると、革袋はピタリと動きを止めた。
正義か……、なんだか前にも、そう言った事を聞いた事があるな……。
ディーナはマリスクの言葉を思い出す。
「悪い奴を捕まえるのが、俺の仕事だ! それが俺の正義だ! わかるかぁっ!?」
酒を煽りながら、大口開けて、ガハガハ笑って、そう言っていた……。
その時のマリスクは相当に酔っぱらっていたので、完全に聞き流していたが、あれは冗談ではなく本心を語っていたのかと、ディーナは今更になって理解した。
すると、屋敷の玄関扉の方から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「急げ急げっ! 早くっ!」
「荷物は最低限だそっ!」
「薬の在庫はっ!? ちゃんと積んだのかっ!?」
そう言った声が、次々と聞こえてきたのだ。
どうやら、ドルクを初めとし、アーモンズの手下である屋敷の使用人たちが、違法薬物を持って逃走しようとしているらしい。
ディーナがぼんやりしていると、「ヒヒ~ン」という馬の鳴き声と共に、馬車が走り去って行く音が聞こえた。
「くっそ、あいつらぁっ!? ディーナ、追ってくれっ!」
カミーが慌てて指示を出す。
しかしディーナは動かない。
「何してんだっ!? 早く行けよっ!?」
ディーナは、じっとカミーの目を見つめる。
「報酬は出るんだろうな?」
ディーナの言葉に、カミーの額の青筋は、破裂しそうなほどに膨れ上がった。
「ひぇ~!? 怖いっ!? 速いっ!? 落ちるぅ~!?」
真っ黒で艶やかな毛並みの背にしがみつきながら、ペチェは悲鳴を上げる。
月に照らされた夜道を駆け抜けるのは、闇に紛れそうな漆黒の体躯を持つ、黒く巨大な魔獣フェンリル。
「見えた。逃がさない!」
人型の頃と全く変わらない声で、フェンリルの姿となったディーナは言った。
目前にあるのは、追手から逃れようと必死に馬を走らせる、哀れな犯罪者たちの馬車。
「ディ、ディーナさんっ!? どうするつもりですかっ!?」
背中のペチェが、叫ぶような声でディーナに訊ねる。
「全員噛み殺すっ!」
この姿に戻ったとなっては、もはやディーナはただの魔獣だ。
理性や計画性などは全くなく、ただただ目の前の敵に、死の制裁を下すのが目的だ。
「だっ!? 駄目ですよぉっ!? みんな生かしておかないとっ! アーモンズ侯爵の悪事を暴けないじゃないですかぁっ!?」
ペチェの言葉に、ようやく人間らしい理性を少し思い出したディーナ。
「……わかった。じゃあ、馬車を止めよう」
そう言って、猛スピードで馬車の横を走り抜け、馬車の前に出た途端に立ち止まり、振り返って……。
「ガルァアァッ!!」
野獣の如く吠えた。
馬車を引いていた馬が急停止してしまうほどのその鳴き声と、凄まじい威嚇に、馬車前方に座り馬を操っていた男は放心する。
馬車が停止したのと確認して、ディーナの背からスルスルと地に降りたペチェは、すかさず馬車の周りにチョノマ草の種を撒き、言葉を唱え始める。
「ストレーン、エメリルカ。彼の者たちを捕えよっ!」
すると、撒いたばかりの種から新芽が出て、あっという間に長く長い蔓が伸び、馬車をグルグル巻きにしてしまった。
後に残ったのは、身動きが取れずに必死にもがく、ドルクを含めた屋敷の使用人たちだけだった。
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