Wandering Fenrir ~異世界魔物討伐記~

玉美 - tamami-

第1話:引き受けた

「お~い! ディーナ!」


 聞き覚えのある声に呼ばれて、女は振り返った。

 長い黒髪に小麦色の肌、切れ長の目とスッと通った鼻筋、海のように深い藍色の瞳が印象的で、凛とした雰囲気を漂わせる。

 見上げるほどの高身長に、筋肉質ながらもスラリとした細身の体は、一見女だとはわからないほどに逞しい。

 薄手の軍服は黒一色でまとめられ、いかにも軍人らしい恰好だが、その制服はやや昔のものだ。

 そして、ただの人間というわけでもなさそうだ。

 頭部にある黒い獣耳と、臀部の上より伸びる太く黒い尻尾は、明らかに人間離れしている。

 黒い髪の間から覗いているピンと尖ったその獣耳が、声の主を探す。

 その鋭い瞳が捉えたのは、大通りの人波をかき分けて、こちらに向かって駆けてくる一人の男。


「……ローザンか、久しぶりだな」


 呟くようにそう言って、男に向かって精一杯の微笑みを返す。

 精一杯というのは、この女の性格上、笑う事が苦手なためだ。


「驚いたぞ、ディーナ! 久しぶりじゃねぇか!? こんなところで会えるなんて思ってもみなかった!」


 ローザンという男は小太りな体格ながらも、動きが良さそうなフットワークで、ディーナと呼ばれた女の傍までやってきた。

 ローザンは普通の人間らしく、中世の騎士のような鉄の甲冑に身を包んでいる。


「……私も、驚いている」


 ディーナは、およそ驚いているとは捉えられないだろう目つきで、自分よりも身長の低いローザンを見下ろした。

 しかしローザンは、そんなディーナの様子に慣れているのか、笑顔を崩すことなく話し続ける。


「そうかそうか! だってもう、あれか? 軍の同じ部隊に所属していたのは、もう五年も前だもんな!? 今はどうしているんだ? 隊長は? 元気かっ!?」


 一度に沢山の質問をされて、ディーナは戸惑いつつもとりあえず頷いた。

 ローザンはどちらかと言うと喋るのが好きな奴なので、下手に言葉を発する必要はないのだ。


「そうか、良かった! で……、何見てたんだ?」


 ローザンの言葉に、ディーナはぽりぽりと獣耳を掻いた。





 

 ここは、王都の北に位置する港町セレッセ。

 王都ほどの賑わいはないものの、他国との貿易で栄えるこの港町は、国の中でも上位に位置する都会だ。

 しかし、都会と言ってもそれは、この世界での話だ。

 煉瓦積みの三階建ての建物が立ち並び、道も綺麗に舗装されているものの、衛生的には決して良いとは言えない環境である。


 金属機械もなければ、化学や物理なんて言葉もこの世界の大半の者たちには通じない。

 非科学的なこの世界に流れるのは電磁波などではなく、普通の人間には感じ取れない魔力というものだ。

 この世界の住人の半数は人間だが、後半分は魔法使いと異形の種族たち。

 とりわけこのヴェルハーラ王国には、多種多様な種族が暮らしていた。


 ディーナもそのうちの一人、巷では人狼などと恐れられる獣人である。

 獣人とは、人と似て異なる生物を言う総称だが、その分類は曖昧で、殊に獣人と魔族の違いなどは明らかになっていない。

 ディーナは、おおよその見た目からして、獣人に分類されるのだろう。

 しかし彼女は、生来獣人には分類しきれない特徴も併せ持つ種族であるために、人狼などという恐ろしい俗称で呼ばれる事もしばしばあった。

 彼女の正体は、人化の術を持つ、名をフェンリルと呼ばれる魔獣なのだった。






 ディーナが立っていたのは、セレッセの町でも港にほど近い場所にある、国営軍の駐屯所の前だった。

 そこには巨大な掲示板があり、いつでも沢山の依頼書が無数に張り出されている。

 それらの依頼は全て国営軍が直々に出すものであり、報酬も保障されている。

 内容は、畑の耕作手伝いから魔物討伐まで幅広く、定職に就けない者たちの砦となっているのだ。


 ディーナは元々、今現在のローザンと同じ、国営軍の一員だった。

 しかし、長年続いていた隣国との争いが五年前に終結し、相棒であった男が除隊すると共にディーナも軍を去ったのだった。


 相棒であった男とは、ディーナの育ての親でもある、当時軍の部隊の隊長を務めていた男だ。

 名をマリスクというその男は、国営軍の中でも優秀な戦闘員として有名で、どこの部隊からもスカウトの要請が絶えなかったという。

 その戦闘能力を認められて、二十代の前半で一部隊の隊長に任命されたほどだ。


 ディーナと出会ったのは、マリスクが部隊の隊長を務めて三年目の事だった。

 片田舎の孤児院でディーナを見つけ、その身体能力の高さに驚き、実の正体がフェンリルと言う恐ろしい魔獣であることを知った上で、自らの里子として引き取り、軍の中で育てた。

 その結果、生来の運動能力も助けて、ディーナは部隊の中でも一二を争う、とても優秀な戦闘員に成長したのだった。

 こうして、公私共に相棒となったディーナと隊長マリスクは、先の戦争で前線に立ち、大きな功績を上げた。

 しかし、最後の最後でマリスクは足に大怪我を負い、生活には支障をきたさないものの、軍人としての道は絶たれてしまったのだった。

 そうして除隊を余儀なくされたマリスクと一緒に、ディーナも軍を去ったと言うわけだ。

 マリスクは今、王都にて、故郷の島国の郷土料理をメインとした料理屋を営んでいる。


 一方で、ディーナはと言うと……。

 戦う以外に特記した才能もなく、北方の出身のためか訛りが強く常に片言で、感情表現も下手な上にあまり物事を深く考えない質なので、除隊後は流れに身を任せて生きてきた。

 金が無くなれば仕事を探し、金が手に入ればのんびり過ごして、時にマリスクの店に立ち寄っては手伝いと称してただ飯を喰らう。

 一匹狼とはよく言ったもので、普段は一人でいる事を好み、風の向くまま気の向くままに、自由奔放に生きていた。


 そして今現在……。

 この港町セレッセにふらりとやって来たはいいものの、手持ちの金が底をついてしまったために、国営軍の仕切る報酬が保障された依頼で小金を稼ごうと、国営軍の駐屯所に赴いたのだった。

 

「本当に、全然変わってねぇなぁ~、お前はっ!? 戦地で何度その奔放さに振り回された事か……。まぁ、お前らしいっちゃお前らしいよ! はっはっはっ!」


 豪快に腹を震わせて笑うローザンに連れられて、ディーナは駐屯所の休憩室にいた。

 ローザンはどうやら昇格したらしく、周りの者の目も気にせずに、偉そうに椅子に座って葉巻をふかしている。

 もともとどちらかと言うと、戦闘員というよりも参謀に向いている性格だったからな、とディーナは納得する。


「で? 今日泊まる場所もねぇんだろう?」


 にやにやと笑うローザン。

 嘘をつくのも面倒なので、素直に頷くディーナ。


「よしっ! ナイスタイミングだっ! 実はな、頼みたい事があるんだ」


 ゴソゴソと内ポケットを探って、一枚の依頼書を取り出すローザン。


「ここから少し西に行ったスレーンの森の近くに、ここいらで一番金持ちの大地主が所有する小麦畑があるんだがな……。先週から野生のミドヌーが畑を荒らし始めて、ちょうど討伐依頼が来ていたんだが……。さすがに相手がミドヌーだ、そんじょそこらの兄ちゃんじゃ対処できねぇ。それなりに経験積んだ奴に行ってもらいたかったんだが、お前なら問題ない。全くもって、問題ない! ……ちなみに、宿有り三食付きの依頼だ。報酬も高いぞぉ~!? ……どうする? 行くか?」


 悪い奴ではないとわかっていたので、何か良い情報をくれるのだとうと期待してついてきたが、それがとても上手くいったとディーナは笑う。

 これも何かの縁だ、行く宛もないし、王都のマリスクの元に帰るにも金が必要なのだから、今は流れに身を任せればいい。


「引き受けた」


 ディーナの言葉に、ローザンは依頼書にドンッと判子を押した。

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