4.「My Generation」

 案内されてフロアに足を踏み入れると、予想通り、そこはライブハウスの会場だった。

 教室ほどの広さの薄暗い空間。立ち見で人が二百人入るかどうかの広さだ。

 フロアの一番奥には、一メートルほどの高さの段上ステージがある。両脇には巨大なスピーカーが二つ。上空にある星のようなサスペンションライトは、ステージ一帯を照らしていた。

 その下では、バンドマン達が調整を行っている。ギタリストがリフをくり返し、ベースとドラムが音を合わせてリズムを確認している。演奏の音は静かな空間に響き渡り、微かなフィードバック音が聞こえる。

「あれ? フクチ! どうしたんだよ!」

 高いステージの上に見えたのは、またしても見覚えのある顔だった。

「こんなところに何しに来たんだ?」

 ハルカにも勝るとも劣らない威勢のいい声の主は、私の知人の中で最も肝の据わった最も阿呆な男、マナカだった。

「お前こそ何してるんだ」

 マナカは「よいしょ」と言って、段になったステージを降り、私の方に向かってきた。

「ここってライブハウスか?」

「ああ。俺の格好見ればわかるだろ?」

 癪に障るほど自慢げなマナカの顔から目線を落とすと、その肩には木目模様の茶色いエレキギターが掛かっていた。

「バンドやってるって話、嘘じゃなかったんだな」

「なんで疑ってたんだよ。軽音部に入ってるって言ってただろ」

 マナカは話しながら、二人の女子の方に目線を向けた。

 それから、「なぁ」と言って口を私の耳に寄せた。

「あれってフクチの彼女なのか?」

 私は、人間の脳みそはそれほど複雑でないのかもしれないと感じた。

「そのくだりはもういい」

「どういう意味だよ」

 ギターがあまり似合っていないこの男は、不思議そうな顔でこちらを見た。

「いつもここで練習してるのか?」

 マナカは「いや」と言った後、それに付け加えるように言った。

「いつもはスタジオとか借りてやってる。今日は夕方からここでステージあるんだ。仲間内の発表会みたいなもんだけどな」

「そんな気軽に借りられるものなのかよ」

「それがよ、ここのオーナーのおっちゃんが知り合いでさ」

 マナカは得意気に言った後、何かを閃いたように「あ!」と言った。

「フクチもよかったら観てってくれよ! チケ代サービスしてやるからさ」

「え?」

 私は戸惑いながらハルカの方を見ると、「それが目的」と言わんばかりに、両の掌を胸の高さで開いてみせた。

「……わかった。観ていく」

「マジか! 頑張るわ!」

 そう言うと、マナカとカナタはステージをよじ登って、練習を再開した。

 彼らの鳴らす一音一音が、空っぽのフロアに反響する。六弦のストロークは、それぞれの弦の音が判別できるぐらい透き通っていた。

 その様子を眺めていると、やがてハルカが私の横に歩み寄ってきた。

「貴方、ライブハウス似合わないね」

 彼女は憐れみを含んだような嘲笑の声で言う。

「音楽は誰も拒まない」

 防音扉で閉ざした大きな箱の中は、いくつかの照明が発する熱のせいか、少しだけ熱く感じた。


 ♪♪♪

 

 ライブが始まる十八時前。

 ライブハウスの周囲をうろついてから会場に戻ると、入り口の前には列ができていた。

 マナカは「身内のバンド仲間の見せ合い」とだけ言っていた。しかし、彼に連れられフロアに入ると、十七時半過ぎにはその収容量の八割を埋めるほどの人間がいた。

 その一人一人を見ると、原色に近い髪色の女性や、耳の痛覚が壊死してるのかと疑うほどピアスを開けた男がいた。私が特に苦手な人種だ。

 私とハルカは最後列にいたが、それでも異様な熱気と圧を肌で感じていた。

 手首に付けた腕時計を見る。暗闇で光るその分針が真下を指すタイミングで、カナタを含む数人の女性とマナカが舞台袖から出てきた。

 彼は今日、自分のバンド以外にもMCのような立場を兼ねると言っていた。私の中では、そんな大役がこいつに出来るのかという心配が回った。

 中央のカナタが、肩にギターのストラップを掛ける。ベースとドラムも自分の相棒達を手に持ち、何度か握り直した。

 彼女らが準備をできたのを見てマナカはマイクを持って、スッと息を吸った。

「準備はいいか!」

 マナカは聞いたことがないほど、大きな声を出して叫んだ。鼓膜にズキリという痛みが走る。私は咄嗟に両手を上げて耳を塞いだ。

 しかし、ハルカも含めた周りの人間は、その声に応えるように、雄たけびを上げていた。どうやら彼らは、耳の外部だけでなく内部までも痛覚を失っていたらしい。

 歓声が完全に無くなる前に、カナタが六弦を豪快に鳴らした。ノイズ混じりの長い轟音が会場いっぱいに響き渡る。

「フロントアクトのシャングリラです! よろしくお願いします!」

 ドラムのキックが鈍いリズムをつくる。そこにスネアとハイハット、そして太いベースの振動が混ざった。

 三人が顔を見合わせると、ダン!と音が揃い、ギターがメロディーを乗せた。

 それと同時にタン、タタン、という手拍子が起こる。そのリズムに合わせて、ステージ背後のバックライトが明滅する。

 会場が宗教の儀式のように一体となった。

 力強い声と、太い音が響く。小動物のようにハルカの後ろで蹲っていた少女の姿はそこにはなかった。

 

 カナタのバンドはその後も二曲を演奏した。全てアップテンポで明るい曲。たった三人で表現できる音をプランク密度まで閉じ込めたような演奏は、会場のボルテージを一気に引き上げていた。

 バンドが交代する暗転の間で、隣のしたり顔の女が話しかけてきた。

「すごいでしょ。カナタ」

「……あんな人だったのか」

「ああいうギャップがあるところが、なのよ」

 そういったハルカの顔は、授業参観で自分の娘を見守る親の子煩悩に近いものを感じた。


 それから、いくつかのバンドが自分達の音を披露した。

 有名なバンドのコピーをするバンドもいれば、オリジナル曲を演奏するバンドもいた。

 バンドの出来栄えに優劣はあったが、そのどれもに共通して言えるのは、彼らが堂々と演奏をして、その音を楽しんでいた。

 三時間ほどのフェスの真打ちは、マナカのバンドだった。

 マナカは同じ年代の三人の男を連れて、照らされた舞台の真ん中に立った。

「どうも! 大トリの『ザ・ムーン』です!」

 一層、会場が沸いた。

「最後まで盛り上がっていこう!」

 マナカが叫ぶと、後方のドラムがバチを叩き合わせてリズムを作った。

 それに合わせて右の男が、鋭いカッティングでリズム・ギターを打楽器のように鳴らす。荒々しいベースも混ざって、イントロが完成した。

 ステージ左のスピーカーからベースが、右からギターが客席に襲いかかるようにして鳴っている。

 その振動は鼓膜ではなく、私の内臓を直接揺らすような波。

 たまに聞く、「頭ではなく心に語りかけるような音」というのが本当にあるのだとしたら、こういうものなのだと思った。

 そこに少し戯けた顔をして、マナカが割って入って歌う。というよりも、叫んだ。

「ディス・イズ・マイジェネレーション!」

 内臓をそのままひっくり返すみたいなマナカのシャウトが響く。二百人というキャパシティのフロア、五臓六腑の入った一メートル何十センチメートルの体を奮い立たせる。

「トーキン・バウ・マイジェネレーション!」

 吃音みたいに遊んで歌うマナカとバックコーラスの掛け合いは、ブルースを思い起こした。

 ――音に食べられる。

 そう感じたのは初めてだった。でも、麻痺した鼓膜や脳はで、その感覚が少しも不快ではない。

 気づけばステージから発されたリズムは、私の体まで伝って胴体を揺らしていた。

 やがて、その音波が客全体を巻き込んで、床が、壁が、臓物が震えた。このまま店が割れて倒壊するのではないかと思うような揺れだった。

 曲の終盤になると、それまでお利口に暴れていたドラムが我を失ったように乱れ打ちする。私を含めた誰もが、その腕に、音に釘付けになっていた。

 

 彼らのバンドはそれから三曲を奏でた。その間、会場は今日一番の熱量をもっていた。

 これで終わりだと息をつき、私の緊張の糸が切れた瞬間にアンコールが始まったため、気圧され気分の悪くなった私は会場を飛び出た。

 蜘蛛の巣が張った店前の自販機で、水を一本買って壁に寄り掛かる。風に当たってペットボトルを額に付けても、頭の中で色んな音が響き続けていた。

 音に食べられような打たれるような感覚。自分の体が、ハルカのラジオを初めて聞いた時と似たような興奮状態にあるのを自覚した。

 すると、ほどなくして、会場に続く階段からハルカが出てきた。

「最後まで盛り上がらなくていいの?」

 いつも通りの茶化した声で問いかけた。

「あんなエネルギーは僕にはない」

「年寄りみたいね」

「大人びているんだ」

 彼女も自販機でコーラを買って一口飲んだ。

「貴方のお友達も良く暴れてたじゃん」

「マナカは昔からちょっとおかしいやつなんだ。ネジが十五本ぐらい足りてない」

 それから私は、「でも」と付け足した。

「あの曲は、あいつにピッタリだった」

「……確かにね」

 マナカの叫びは、若者の眩しさも痛々しさも辛さも全部含んでいるようだった。歌詞というよりも、彼の体から出る音そのものがそう語っていた気がした。勿論、本人はきっとそんなことを考えていないだろうが。

「あれが『若さ』かもね」

 ハルカは言った。

 私は仕返すように「老人みたいだな」と返した。

 それから、私は連想ゲームみたいに、昼に話していたことを思い出した。

「……というか、『若さ』を推したいなら、もういっそ彼らをスタジオに呼んで演奏でもして貰えばいいんじゃないか」

 私が言葉を発したあと、横の彼女から暫く返事はなかった。何かについて考え込むような素振りをしている。

 私の話を聞いているのか、手元のコーラに夢中なのかは分からなかった。

 それから、数十秒の沈黙を抜けて彼女は言った。

「……貴方ってごく稀に、面白いこと言うわよね」

「何が?」

 彼女はニヤリと笑ってみせた。

「彼らを拝借するのよ」

「……本気でやる気なのか?」

「だって、高校生のバンドの曲を流すなんて、そんな面白いことする番組、他にないでしょ」

 彼女の口角は上がっていたが、決して冗談交じりの顔ではなかった。

 そんな会話のドッヂボールを楽しんでいると、会場から十代の香りを纏った若者達が流れてきた。マナカ達のステージが終わったのだろう。

 彼を待とうとも考えたが、携帯に「先に帰れ」という伝言が入っていたので、その指示に甘えて帰宅することにした。

「もう帰るの?」

 荷物を肩に掛け直した私にハルカが言う。

「あまり遅くなると、不審者に狙われるからな」

「……そんな物好きの不審者はいないと思うけど。じゃあ、夜道には気をつけてね。お嬢さん」

 私は、一寸の熱を冷ますようにして、駅までの暗い道を一人で帰った。しかし、加速したままの心音と、心地よい耳鳴りはまだ止んでいなかった。


 ♪♪♪

 

 ハルカとライブハウスへ行った二週間後の土曜。

 先週はゴールデンウィークに合わせて番組が特別編成となり、「R-MIX」は休みであった。

 そのため、私が五〇五スタジオに向かうのも二週間ぶりで、体が浮くような気持ちになる。久々のラジオ局の匂いを鼻腔に寄せて、扉を開けた。

「こんにちは」

「遅い。今日は早く来るように言ったでしょ」

 いつもの集合時間である正午より、一時間ほど早く着いた部屋には、既にハルカとシイナが座していた。

「十分早いだろう。なんでこんな早くから駆り出されたんだ」

 私が聞くと、ハルカはふふふと黒幕みたいな笑い声をあげる。

「届いたのよ。の曲が」

 彼女は、数枚のCDをこちらに見せる。ディスクに反射する光と彼女の目が同じように輝いている。

って?」

「……貴方、記憶力も低いの?」

「『も』とは何だ」

「先々週、ライブが終わったときに話したでしょ? あのライブハウスにいる若いバンドマンたちの力を借りるって」

「それで、そのCDに彼らの曲が入ってるってこと?」

 彼女が手に持ったCDを裏返すと、油性マジックで荒々しい文字が現れた。バンドの名前と曲名のようだ。

「そうよ。今日はこの中から一曲を流す」

「……本気?」

「コーナー名も決めた。『スーパーソニック』。」

 なぜか自慢気な彼女の横でシイナは少し微笑んでいた。

「ただ、このCDが届いたのが今日だったから、今から流す曲を決める」

 彼女はそう言って、いつもはミキサーのミヤモトが座っている特等席に腰を下ろし、手探りで機材をいじり始めた。

 あれでもないこれでもないと苦戦するハルカを横目に、私は自分の荷物を置いて座った。鞄の中からイシイに渡されたマニュアルを取り出そうとする。そこで、横のイスに腰かけていたシイナが話かけてきた。

「少年、君もライブハウスに行ったんだってね」

「はい」

 彼女は「ふぅん」と言って、すらりと長い脚を組み直した。

「……でも、大丈夫なんですか? そこら辺の名前も知らない若者のバンドの曲を流すなんて」

 私が尋ねると、彼女は意外そうな顔をした。

「あら、だって面白そうじゃない」

「……そうですか」

 シイナは机の上の真っ黒なコーヒーを一杯飲み、諭すように語った。

「若い人は前だけ見て、何でも好きなようにやればいいのよ。それで、本当に絶対的に間違ってるときだけ、大人が他の方法を教えてあげれあばいい」

「そういうもの、ですかね」

「そうよ。あの子が何をしようと、何を言おうと、私は大丈夫だって知ってる。フクチくんだってそうよ」

 シイナは、もう一度コーヒーを口に運んだ。

 その言葉で、シイナがハルカを心から認めていること、それと同時に、ハルカがシイナを尊敬している理由が、私には分かった気がした。

「あ、そういえば今日イシイくんいないから」

「え」

「大丈夫よ。マニュアル貰ったんでしょ? それに彼、そんな大層な仕事してないから」

 私は胸が苦しくなった。可能な限り避けて通ってきた「責任」というものが、ずしんと両肩に乗った気がした。

 顔を上げると、他人の会話など耳にも入ってない様子のハルカが、やっとCDを入れて再生をしようとしていた。

「これで……よし。じゃあ流すよ!」

 ハルカがなんらかのボタンに触れたその瞬間、スタジオには爆音が響いた。メロディや声を認識することなどできない、どがんという爆発音だった。私とシイナは思わず手を挙げて両耳を塞ぐ。それにも関わらず、ハルカは目を輝かせたままその曲を楽しでいる。

 ほとんど公害のような轟音の中で、ハルカはパクパクと口を動かしているが、その音は私まで届かない。

 やっと痺れを切らしたのか、シイナがミキサーの前まで行って音量のバーを下げたところで、やっと音楽の輪郭が見えてきた。

 マナカの歌声だ。ギターを持った時にだけ出せる、ロックスターに真に迫るようなあいつの声と若々しく無骨な演奏。

 あのライブハウスの雰囲気や匂いをそのまま閉じ込めたような音楽だった。

 

 計三曲、続けて流し終わると、スタジオにはライブと同じように余韻が生まれた。

 その空気を壊しながら、ハルカが声を上げた。

「いい! いい! いいよ!」

 玩具を与えられた子供のようにはしゃぐ彼女に呼応してシイナが頷いた。

「これなら流しても問題ないわね」

 実際、どの曲も尖っているのに完成度は高く、同じような年の人間が作ったものとは思えなかった。

「どうしよう。どれにしよう」

 息を荒くしてハルカはCDを見つめる。

「でも、全部曲の長さ違うけど、大丈夫なんですか?」

 私は、ふとした疑問をシイナに尋ねた。

「このコーナーの時間は粗方決めてあるから大丈夫よ。数十秒の差なら、この子がどうにでもするだろうし」

 それを聞いて、彼女は自慢気な顔をした。

「で、フクチはどれが気に入った?」

「……一曲目は半分ぐらいまともに聞けてない」

「え? ちゃんと流したでしょ?」

 おかしいことを言っているのはお前だという顔で彼女は言う。

 私は諦めて「贔屓するわけじゃないけど」と言った。

「一曲目でしょ」

 私の回答を、私の口が発するよりも先にハルカが言った。

「だろうと思った」

 彼女はにやりとして、そのCDを高く挙げた。

「よし。じゃあ一曲目のこれで行こう!」

 確固たる歴史をもつ一局のスタジオに、生まれたての春風が吹き抜けた。

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