プロローグ

0.「Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?」

拝啓


 すっかりあたたかくなり、春たけなわを実感する毎日です。

 貴方が私達の中心を離れてから、どれだけの時間が経ったでしょう。

 

 さて、かの有名なパンクバンドによると、私達には変化が必要なようです。

 それも早急に。ロックが過去の産物になってしまう前に。

 

 これから寒が戻る日もあるようでございます。

 ご体調をくずさぬよう、お気をつけてお過ごしください。

                                  敬具


 本当に俺たちのロックは、ラジオは、になってしまったのか。



 ♪♪♪

 

 「春眠、暁を覚えず」とはよくいったモノで、四月の土曜日、それも晴れた昼下がりとなると、大抵の人間は一切の行動力を失う。こんな環境であっては、短時間睡眠で名を馳せたあのナポレオンであっても、帽子に身を隠して惰眠を貪るに違いない。

 その可塑性に富んだ春の陽気に穏やかなラジオの音を乗せようものなら、六畳の部屋に即席のニルヴァーナが出来上がる。

 かくいう私も小説を片手に腰を下ろし、好きなラジオ番組を聴こうとしていた。

 「R-MIX」という番組であった。

 邦洋問わず、ロックの名曲をその名の通りMIXして流す番組だ。ちっぽけなローカル局の一番組だが、ラジオパーソナリティのフルタという男には全国規模でファンがついている。

 そのため、ラジオという再編の繰り返しを前提とした荒波の上で、R-MIXは二十年続く人気番組となっている。

 とはいっても、そもそも今どきラジオを聴く人間自体がまれである。特に、私のような若い学生でラジオを聴いている人間なんてものは、よほどのモノズキか他の同世代とは異なるものを好む天邪鬼な自分に酔っている愚者のどちらかだ。私は両者に該当するだろう。

 今日も私はいつか父親に貰った黒いラジオを点け、知らないうちにズレていたダイヤルを回す。

 緩くなってしまったダイヤルをもって一つの周波数を探り当てるのは至難の業で、私は夜の海のようなノイズの中から、なんとかRAR-FMのヘルツ「77.7」を見つけた。


 ――その瞬間だった。

 ダンッダンッ! と脳を揺らすようなドラムの音が耳に飛び込んだ。

 そのリズムは私の鼓動を無理矢理に急かして、四肢の端に向けて血を送った。

 今度はそこに幾何学的なシンセサイザーや猛然たるギターが旋律を作って乗りこむ。

 それから、しゃがれた男の歌声が同じフレーズを繰り返した。

 

 ロッキン、ロクンロール、レディオ、レッツゴー……。

 

 曲が終わりハッと気づいた時には、既に私の脳はその余韻で浸されていた。

 アウトロのあとの静寂で、私は急いで息を整えた。

 どこの誰の曲なのか、フルタはこの曲について何を語るのだろうか、と楽しみにして声を待った。

 聞き慣れたジングルが響き、幕が上がる。

 

「R-MIX! みなさん初めまして。フルタさんのピンチヒッターとして、今週からこの番組のパーソナリティを務めさせていただきます! ハルカです!」

 かくして、平穏が去った。

 私のラジオが発したのは、馴染みのある温和な男の声ではなく、チワワのような若い女のパワフルな声だった。

「フルタさんは体調を崩したということで、しばらく休養期間に入られました。そんなに重い病気とかではないみたいなので、少しの間になるとは思いますが、どうかお付き合い下さい!」

 過剰なほど元気溌剌な声に唖然とする私を置いて、「ハルカ」はこう続けた。

「そして、今日最初にお送りした曲はラモーンズで『Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?』でした! 四十年ほど前の曲なのに、全く古さを感じないパワフルで元気の出る曲ですね! この曲が発表された一九七〇年代後半では、サイケやプログレという複雑化した音楽シーンからロックの原点に帰ろうという動きが……」

 油紙に火が付いたような語り口で、は始まった。

 

 それからは、彼女一人の独壇場だった。

 フルタの語りが大洋を渡るクルージング船だとすると、ハルカの語りは渓流を下るゴムボード。何を言い出すか分からない危うさと独特の感受性が垣間見えた。しかし、その中には、自若とした話し方や進行の手際の良さが共存しており、新人のとは明白に違った。

 快晴の空に、一筋の飛行機雲を描くような鋭く明朗な声も天性のものに違いない。

 私は、外見も素性も知らない彼女のステージに魅せられていた。

「ここまでお付き合いありがとうございました! 来週も私が担当させてもらえることになっているので、よろしければ、またお会いしましょう! バイバイ!」

 エンディングの曲がかすみがかっていくと同時に、私は少しずつ自分を回復した。

 それからゆっくりと首だけを回し、枕元の時計に目をやると十六時を指していた。

 私は浮かんだハテナを消すために、手持ちの携帯で「ハルカ」について考えられる手を尽くして調べたが、一切の手がかりを得られなかった。


 これが彼女との一度目の邂逅だった。

 「ハルカ」という謎めいた女性パーソナリティ。

 過去の遺物となりかけた私達のロックは、ラジオは、革命が起こされるかもしれない。

 ヘルツを彼女に合わせた春の日に、私はそれほどまでの衝撃を感じた。

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