82.六英雄の推しは誰か

 宗谷は今一度、手に取った六英雄物語の二ページ目の登場人物一覧、そして表紙を見た。

 あれから二十年経つ。一つの伝説が伝記となっていても不思議ではない。だが、宗谷は一つ疑問を抱かずにはいられなかった。


(著者が記載されていない。一体誰が……)


「……アイシャくん。この物語の著者だが、司教ビショップである、灰のラナクによるものかね?」


 宗谷は著者として一番可能性の高そうな、かつての仲間の名を挙げた。というよりは、このような伝記を書きそうな人物が、それ以外思い当たらなかった。


「灰のラナク様は、今は最高司教アークビショップになっています。学術都市ルーネスの知識神ラスター神殿の最高責任者。……あたしの大恩人であり、故郷の誇りです」


 ラナクの事を嬉しそうに話すアイシャ。大恩人という事は、おそらく面識があるのだろう。

 何となく予想していたが、彼女の出身地は学術都市と呼ばれるルーネスだった。知識神ラスターの勢力が最も強く、冒険者ギルドの支部が置かれた、大陸における三大主要都市の一つ。

 そして知人であった、灰のラナクはルーネスで大きな出世を果たしていたようだった。尤も最高司教アークビショップという知識神ラスターにおける最高の地位に到達した事に対しては、彼の才能を考えれば別段驚きは無い。


「……六英雄物語を執筆した事を、ラナク様は否定しています。本の著者は分かっていません。……ですが、本を書いたのは、他五名の仲間の内の誰かで、おそらくは行方不明である白銀のレイに違いないと仰ってました。……あたしもそう思います」


(……何だと?)


 半ば黒歴史ノートを見せつけられるような気分であり、物語を読み始めることに対し躊躇いがあったが、宗谷はアイシャの言葉に、思わず物語のページをめくっていた。そして速読を行う。三ページ目。四ページ目。五ページ目……

 十二ページ目まで読み進めると、ラナクやアイシャが、作者を白銀のレイと想定した理由が何となく分かった。


 六英雄物語は三人称単視点と呼ばれる形式により書かれている。そして、レイ視点により物語は始まっていた。

 十二ページまでは魔術師レイが、後に黄金の勇者と呼ばれるアレスと、白の聖女と呼ばれるフィーネの二人の出会いが綴られている。

 レイが二人に出会うまで、単独ソロの冒険者として活動していた事については、大きく端折られていた。当然ながら、異世界転移の事も書かれていない。


「一体、誰がこのようなものを」


 宗谷は驚きのあまり、目を見開き、思わず口から呟きが漏れていた。


「……誰がって、アイシャの言うように、白銀のレイが書いたんじゃないのか? わたしも物語は本で読んだ事あるが、そう思ったぜ」


 本を読み進める様子を見ていたメリルゥが突っ込みを入れてきた。宗谷は呟きを漏らした事に気付き、慌てて取り繕う言葉を考え始める。


「いや。……見た処だが」


 宗谷は再び十二ページ目に視線を送る。

 魔術師レイが勇者アレスと聖女フィーネの勧誘を拒絶するシーン。うろ覚えではあるが、宗谷が二十年前に実際呟いた台詞に近い物だった気がする。


(では、著者はアレスかフィーネのどちらかか……? あるいは二人から、この逸話を聞いた誰かの創作。いや、それにしては……)


 どうにもピンと来ない。勇者と聖女の二人が、こういった俗っぽい物語の執筆に興味があるようには感じなかったし、仲間の許可を得ず、半ば辱めるような事を脚色せずに、誰かに伝え残すようにも思えなかった。

 少なくとも勇者や聖女が書いた物ではない。宗谷は断定した。だが、勿論著者は彼女達が思っている白銀のレイではない。宗谷はその定説を否定したくなり、口を開いた。


「……このレイという少年……人間不信のように見えるな。……果たして彼がこのような物語を書くだろうか? 行方知れずのレイという人物の視点を借りて、勇者と聖女の活躍を際立たせる狙いではないかな」


 宗谷は感情を悟られぬよう、棒読み気味に小声で呟いた。


「人間不信……あ、そのページは勇者アレスと聖女フィーネが、魔術師レイを勧誘するシーンでは。『……ふん、勇者様と聖女様か。いい身分だな。……引き立て役は御免だ。僕の目の前から、今すぐ消えてくれないか』」


 話題は人間不信という言葉ワードを切っ掛けに、明後日あさっての方向へ向かった。

 アイシャは物語の台詞を暗記しているのか、レイの台詞部分を、若い男性の声真似をして朗読した。迫真の演技がツボに入ったのか、面白可笑しそうに拍手をするメリルゥに、思わず宗谷は顔をしかめた。


「……人間不信というか、心に闇を抱える事が、カッコいいと思い込んでるヤツだな。もし、いい大人になってたら絶対後悔してる筈だぜ」


 メリルゥはレイの性格に対し、否定的な意見を呟いた。

 その意見に対し、宗谷も同意した。世に生まれた事を恨み、自分を不幸と思い込んでいる若造である。そして後悔。二十年越しに、このような辱めを受ける事になるとは思わなかった。


「……わたしは、ロザリンド姉が一番好きだ。強く、優しく、誇り高く、美しい。物語だと、ロザリンド姉がレイに惚れてるような描写があるけど、レイが書いたとしたら、きっとヤツの都合の良い解釈に違いない。ロザリンド姉も怒った様子で、それを否定してたしな」


(……そんな事まで、書いてあるのか?)


「あたしはクールでカッコいいと思いますよ。白銀のレイ。それに六英雄は皆、見栄えが良かったと聞きますし。……一番の推しはラナク様ですけど。レイはラナク様と良い好敵手ライバルだったみたいで。失踪した事を非常に残念がっていました。……そういう関係って、良いと思いませんか?」


 メリルゥとアイシャは、六英雄物語の話で盛り上がっていた。メリルゥは森妖精ウッドエルフの精霊使いである薔薇のロザリンドが一推しらしい。その口ぶりから、どうやら魔銀級ミスリルの冒険者である彼女と面識があるようだった。

 アイシャの方は最高司教アークビショップとなった灰のラナク。同じ故郷で同じ信仰を持ち、恩人でもあると宣う彼を推すのは当然とも言えた。


(まずいな……死にたくなってきた)


 宗谷は無表情のまま、瞳が潤みそうになるのを何とか堪えつつ、気取られないように溜め息をくと、六英雄物語を一旦閉じ、手で顔を眼鏡ごと抑えた。

 動悸がする。十二ページまで読み進めただけで、こんなに気分が悪くなったのは、全くの予想外であった。今、これ以上、この場で続きは読みたくない。先程の様子だと、アイシャは物語を読み込んでいる可能性が高く、また何か嫌な描写を突っ込まれる可能性がある。

 だが、物語の著者を突き留めておく必要があるかもしれない。この英雄物語は、どれ程正確な事が記されているのか、そして、何故白銀のレイ視点で書かれているのか。宗谷は当然このようなものを執筆した覚えは無かった。


「……ふむ、私は王都で六英雄の劇を見ました。やはり私は勇者、それと聖女が良いと思います。ヒーローとヒロイン。物語の人気はこの二名に集中しているのではないですかな。……まあ、商人の英雄でもいれば、それを推している処でしょうが、流石に商人で黄金の魔王ゴールドデーモン討伐という物は不可能なようです」


 六英雄トークに、依頼人の行商人ぺリトンが参加をした。

 宗谷はペリトンに似た体型の商人が、英雄の一人となる物語を知っていたが、それはあくまで昔遊んだ事のあるゲームの中の話である。彼がこのように魔王を倒す英雄を志すのは難しいだろう。

 そして、どうやら王都では六英雄物語が劇の題目にもなっているらしい。口ぶりからすると、おそらく劇の中では勇者と聖女が主役なのだろう。

 

「ペリトンさんは勇者と聖女か。やっぱり一般人気はその二人に集中してるんだろうな。……そういや、ミアは六英雄物語は知ってるのか?」


 メリルゥは一人黙って話を聞いていたミアに質問した。


「……ええ、知ってます。私は本は読んでいませんが、物語を知る吟遊詩人の歌を、毎日楽しみにしていた事がありました。毎日少しずつ話が進んでいくので、続きを聞く為に通い詰めた事があります」


 どうやらミアも六英雄物語は知っているらしい。各地を旅する吟遊詩人の題目にもなっているようだと、物語は世界中に伝わっていると考えて間違いなさそうだった。


「……ミアは誰がいいと思った? やっぱり勇者か? 聖女か?」


 メリルゥの質問に対し、ミアは少し思案する。


「……そうですね。世界を救った英雄ですから。皆、素敵な方だと思いますが、あえて一人挙げるなら、白銀のレイでしょうか。私もペリトンさんと同じように、もし大地母神ミカエラ司祭プリーストが六英雄にいらっしゃったら、その方を推してたと思います」


「えっ?」

「白銀のレイ?」


 驚きの表情を浮かべるメリルゥとアイシャ。


「意外。ミアなら絶対、黄金の勇者様を選ぶと思った。……あっ、ごめん。勇者は」


 アイシャが両手で口を抑えた。

 かつてミアが、風を断つ者達ウィンドブレイカーズのリーダーである勇者ランディに言い寄られ、苦手としていた事を知っていたのかもしれない。彼は古砦の依頼で白銀の魔将シルバーデーモンを召喚する為の生贄となり、命を落としている。


「アイシャさん、ランディさんの事は関係ないです。……吟遊詩人の歌を思い起こすと、白銀のレイは仲間想いの優しい人だと感じました。その活躍が楽しみで、話を聞きに通っていました」


 思い出話を懐かしむように、柔らかに微笑むミア。


「……まあ、見方によっては、そういう面も無くは無かったかもな。……そうか、ミアは、ああいう尖ったクール気取りが好みか……。おい、ソーヤ」


 メリルゥが宗谷の方を見ると、宗谷は本を傍らに置き、体育座りをしながら、顔を両膝に突っ伏していた。

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