第9話 デートプラン

「先輩、付き合って下さい」

「は?」


 部活動の休憩中、俺は丸が近くにいない時を見計らって、都築先輩に声をかけた。

 都築先輩は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

 彼女がこんな顔をするのは初めて見た。普段はあまり慌てふためく様を見られないので、してやったり感がある。


「まだ一ヶ月経っていないが、もう落ちたのか? 私の予定ではもうちょっとかかるはずだったんだが」


 先輩は露骨に困惑している。心なしか顔も赤くなっている気がする。

 まだ約束の一ヶ月後には二週間以上残っている。

 こんな早く返事をされると思っていなかったのだろうが、俺の付き合うはそういう意味じゃない。


「違います。次の日曜日空いてますか?」

「デートの誘いかな?」

「先輩はデートの語源って知ってます?」


 質問に質問で返す。

 よく都築先輩がやることを意趣返しのつもりでやると、彼女は微かにまなじりを上げる。

 彼女がよくやる手法なので、自覚があったのかもしれない。

 やられた方は結構イラッとするのを身を以て味わわせてやった。


「もともとは日付という意味だったのが、転じて異性と事前に決めた日時であうことに使うようになったはずだ」

「そうです。最近は恋愛感情の有無でデートかそうじゃないかなんて言われることもありますが、異性と日時を決めて会えば総じてデートなんです。まあその定義から言っても、デートかどうか微妙なところですけど」

「つまり、下心のないデートの誘いということかな」

「下心がないわけじゃないですけど、恋愛的な下心はないです。先輩には毎朝練習に付き合ってもらっているので、そのお礼だと思って下さい」

「それは残念だ」


 都築先輩はこれまた芝居がかったように両手を大きく広げて落胆を表現する。

 そんなわざとらしい仕草をしているにも関わらず、彼女の言葉は嘘じゃない。この人は全くと言って良いほど嘘をつかない。

 ここまで話して嘘を一度しかつかなかった人は都築先輩くらいだ。紅さんや丸でも少しくらい混じってしまうはずなのに、この人はそれがない。


「忙しいと思いますし、無理にとは言いませんけどどうですか?」


 都築先輩は俺の心の内を探るように、切れ長の瞳を更に細めて俺の目を見ている。

 いくら見ても俺の内心を読めるわけがないと思いつつも、嘘が分かる力を持っているだけにもしかしたらと思ってしまう。


「分かった。折角の君の誘いだから、喜んで付き合おう」

「それでどこか行きたい場所とかありますか?」

「私は君のエスコートに期待しているんだけどね」


 都築先輩は悪戯っぽく微笑む。


「下手な場所に連れて行くわけにはいかないですから。都築先輩も遊園地とか連れて行かれても嫌でしょう」

「遊園地……なくはない……こともない……かもしれない」


 都築先輩は遊園地に行く姿を想像しているのか、目を閉じて微妙な返事をしてくる。

 俺としても、この人と二人で遊園地に行く図が全く想像できない。ジェットコースターでもお化け屋敷でも顔色一つ変えなさそうな気がする。お化けをじっくり見て、特殊メイクについて語り出しそうだ。


「はっきりないって言ってくださいよ。じゃあ美術館とかはどうですか?」


 都築先輩のことだから、芸術方面の造詣は深いと予想して提案してみる。


「私は芸術を見るのは好きだが、君はどうなんだ? 印象主義と写実主義の違いくらいは分かるのか?」

「理屈では知ってますけど、実際の絵を見て違いが判別できるかは分かりません」


 はっきり言って絵画の良さなんて微塵も分からない。上手いなくらいは思うけれど、多分それ以外の感想は言えない。


「私と二人で絵を見て回って楽しめるのか?」

「俺は美術館とか行ったことないですから、行ってみないと分からないです」

「駄目だ、私は君と一緒に楽しめない場所に付き合う気はない。一つアドバイスをすると、相手のことを考えるのは大切だけれど、相手のことだけしか考えないのはよくない」


 確かに彼女の言うとおりかもしれない。

 いくら先輩の行きたい場所や興味のあることをしても、俺が楽しめなければ、先輩も心から楽しめない。その感覚は俺にも分かる。

 あわせられるというのはあわせている方からすれば良いことをしていると思いがちだが、あわせられている方は嬉しくないんだ。


「じゃあ映画とかどうですか? お互いに興味があることだと思うんですけど」


 ベタな選択とは思ったけれど、俺と先輩の共通項なんてそれくらいしか思いつかなかった。


「いいね、それなら私も君も楽しめそうだ」


 都築先輩は八重歯を見せて、俺の意見に賛同する。


「何を見に行くかは任せる。君のセンス、期待しているよ」

「プレッシャーかけないでくださいよ。じゃあ集合場所は追って伝えます」



 俺は家に帰って、ベッドに横になりながら学校でのことを悔やんでいた。悔やむというと少し語弊がある。やったこと自体に対してではなく、もっと良いやり方があったんじゃないかという後悔だ。


 別に都築先輩が可哀相だからとか、そんな上から目線で誘ったわけじゃない。そんなのは彼女にも失礼だし、あの人だってそんなことを俺に思われる筋合いはないだろう。俺だって友達は少ない。

 俺がこんなことをしようと思ったのは、彼女の嘘を聞いてしまったからだ。嘘をつかなければ付き合えないような友達は要らないという言葉は本心だったが、友達が要らないという言葉は嘘だった。つまり、今の彼女は孤独で彼女自身がそれを寂しいと感じている。

 唯一の友人である紅さんが入院してもう三ヶ月近く経っている。その間彼女はずっと一人。授業中も休み時間も部活中ですら。

 それは彼女が嘘をつかないという生き方を選択した代償。本来の彼女は取っつきにくい性格というわけじゃない。まだ付き合いは浅いが俺はそう感じた。空気を読むようなことを言わないだけだ。

 そんな先輩がついたたった一つの嘘。それは助けて欲しいというSOSに聞こえた。俺が嘘を分かることをあの人が知っているわけはないんだけれど。俺にはそう聞こえた。

 彼女を囲う分厚い壁がつかせた嘘に気付けるのは俺だけだ。


 それに、もう誘ってしまった以上そんなことよりも更に大事なことがある。

 何の映画を見に行くかということと、その他のプランだ。折角誘ったのに、映画を見て終わりじゃいくらなんでも悲しい。映画を見た後に昼食を食べて、その後少しどこかに行って帰るくらいが理想だろう。丸と遊びに行くときは大体そんな流れだ。

 俺はインターネットで現在公開中の映画を検索する。ある程度評価が高く、面白そうな映画であればまず外れない。

 そして、次は場所。

 映画館なんて何処にでもあるからこそ、渋谷新宿のように人の多い場所はわざわざ選ぶ必要はない。そこまで人の多くないショッピングモールにある映画館当たりが無難だろう。

 見る映画の候補をいくつかと、その後にいく飲食店の候補をいくつか決めておく。

 これで多分大丈夫なはずだけれど、俺の中から漠然とした不安が消えない。

 だって、年上の女性と遊びに行ったことなんてないからだ。紅さんと丸と三人で遊びに行ったことはあったけれど、それは丸と俺に紅さんが保護者代わりに付いてきたみたいな感じだ。

 丸を相手にしたときと同じようなパターンで良いのかが分からない。紅さんにアドバイスをもらうのが一番良いことは分かる。でも、それをしたら紅さんは誰といくつもりなのかを瞬時に察するはずだ。

 別にばれたからどうだという話でもないんだけれど、何となく恥ずかしい。

 そうなると、丸に聞くしかない。丸ならば内容をぼかせば察さないはずだ。

 俺はスマホを取り出して丸の番号を呼び出す。ニコールくらいで丸はすぐに電話に出た。


『もしもし、たいちゃん?』

「今大丈夫か?」

『うん、平気だよ!』

「料理研究部って男いるか?」

『え、急にどうしたの?』

「いいから」

『一学年下に一人だけ』


 あつらえたような存在がいたことに、俺は内心でほくそ笑む。


「ほう、じゃあ仮にそいつからデートに誘われたとする。そして――」

『行かないよ』丸が即答する。

「は?」

『私、誘われても行かない』

「仮に行くとして聞いてくれ」


 誘われたら誰にでもついていく軽い女みたいに見られたくないからなのか、丸の声は不機嫌さを漂わせている。


『行かない!』

「分かったお前は行かないでいいから、行く人になった体で聞いてくれ」

『うー……行かないのに……』

「映画行った後に飯食って、ショッピングに行くとするだろ」

『うん』

「そのプランをどう思う? こいつ守りに入ったなとか思うか?」

『たいちゃんとなら別にそれでいいよ』


 もう始めに言ったはずの前提が忘れさられている。


「だから俺じゃなくて、その後輩の男」

『じゃあやだ』

「なんで?」

『男の子と二人きりはやだ』


 確かに丸の性格なら、よく知らない男と二人で出かけるのは嫌なんだろう。

 ただそんなことを言い出したら仮定の話は成り立たない。

 「宝くじ当たったら何に使う?」「いや当たるわけないじゃん」みたいな、それ言うか?みたいな空気の読めなさだ。


「仮にお前が男との二人きりが嫌じゃないとして」

『それって私に聞く意味あるの? 大体なんでそんなこと聞くの?』

「分かった、俺と遊ぶとしてでいいから答えてくれ」

『遊園地!』

「遊園地……ないな」


 映画に行った後遊園地なんて意味が分からない。それに都築先輩は遊園地に行きたい感じではなかった。


『ない? 誰と行くつもりなの? たいちゃんが年上の女の人とのデートプランを私に相談してるように聞こえるけど』


 鋭い。いや、普通察するか。

 丸だから勘づかないと思っていたけど、流石に甘く見ていた。


『まさか……そうなの? そうじゃないよね?』


 切羽詰まったような丸の声。


「あんまり深く考えないでくれ。おやすみ」

『ちょっと、たいちゃん、待って切らないで!』


 これ以上話していても建設的な話はできなさそうだったので、俺は通話を終えた。

 丸の悲痛な声を残して切るのは心が痛んだけれども仕方ない。

 映画自体は都築先輩も乗り気だった、その後の飯に不満を抱くはずがない。

 そもそも、友人と出かけるようなものなんだからこんなに深く考えるのはおかしい。加えて、考えて答えの出るような問いじゃないし、何時間悩んだところで果たして意味はあるのだろうか。

 そして、俺は深く考えることをやめた。

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