第3話 もう一人の天才
開いているのは文書作成ソフト、その題名は『演劇部台本7』。
二年前、立花高校に演劇部が創部された際、部員は
だから、
そして、彼女は書いた脚本を俺に見せてアドバイスを求めてきた。俺が普段からよく本を読んでいるからちょっと感想を聞きたかっただけだったのだろう。
俺はその脚本を読んで色々アドバイスをした結果、脚本の内容は大きく変わり、その脚本で地区大会を優勝することが出来た。
それからというもの、演劇部の脚本担当である紅さんは、脚本の元になるストーリーやプロットの作成を俺に依頼してくるようになった。
とはいっても、俺の作ったものは紅さんによって演劇向けに改良されている。俺のやったことが無駄とは思わないが、そこまで影響を与えたとも思えない。だから、紅さんには俺の名前は出さないで欲しいと頼んだ。
演劇部の部員でも俺が脚本の作成に関わっていることを知っているのは紅さんだけのはず。もしかしたら、都築先輩は知っているのかもしれないけど。
一ヶ月後に迫った次の夏の大会でも同様に俺へ依頼が来て、すでに出来上がっていた。でも、急遽紅さんが病気になり、大会に出られなくなったため、内容を変えざるを得なくなっていた。
立花高校の演劇部の強みはなんといっても都築先輩と紅さんという二大女優の存在。彼女達がいるからこそ、ダブルヒロインの構成に強く、現に今までの脚本も全てダブルヒロインでやってきた。
今回もそのつもりで書いていただけに、どう変えるべきか頭を悩ませていたのだ。
結局、都築先輩の台詞を減らし、もう一方のヒロインの台詞を増やしただけで、その日の作業はやめて、パソコンの電源を落とす。
そして、俺はベッドに横になりながら都築先輩のことを考えた。
やっぱり、俺が演劇部に関わっていることを知っているのかもしれない。それ以外に、俺を選ぶ理由がない。俺に感謝の念を抱いていて、それが恋心に変わった。
いや、ないな。俺はその思考を首を振って否定する。
俺がもう少し演劇部に関わっていたならともかく、紅さんを通じて物語の枠組みを提供しているだけだ。
実際、都築先輩と面と向かって話したのは昨日がはじめてなくらいなのだから。
にしても、なんで今まで俺は都築先輩とろくに話したこともなかったんだろう。
演出担当でもある都築先輩が俺の存在を知っていたら、コンタクトをとってきそうな感じがする。
丸は会って話したことがあるのに、俺だけないのはおかしな話だ。
兎に角、今のままじゃ情報が足りない。明日、紅さんに会いに行って話を聞こう。
俺はそれ以上考えることをやめて、その日は眠りについた。
◇
次の日の放課後。俺は、紅さんのお見舞いに行くために、彼女の入院している病院に来ていた。
受付で面会証を受け取り、病室へと向かう。病室につくと、俺は白い引き戸を二度叩く。
「どうぞ」
紅さんの返事を聞いて、俺は引き戸をゆっくりと引いて、中に入った。
八畳ほどの広めの個室。ベッドだけでなく、テレビと冷蔵庫も設置されている豪華な病室だ。内装も白一色ではなく、ブラウンの木製の机と椅子が殺風景になりがちな病室を温かく彩っている。
「久しぶり、
紅さんは俺の姿を見て、にっこりと微笑む。
長い入院生活のせいで少しやつれてはいるものの、その美しさは決して色あせていない。病室というマイナスの雰囲気を持つ場所の中でも、彼女の持つ明るさは少しも陰っていない。
丸と同じように穏やかそうな丸い目をしているが、身長は丸よりも20cm近く高く、スタイルも全てがミニサイズの丸と違って色々と大きい。
一学年上とは思えないくらいの女性らしい色気がある。決していやらしい意味ではなく。
丸が大人っぽく成長していれば、こうなっていたのかもしれないというのが紅さんだ。高校二年の時の紅さんは今の丸よりも遙かに発育が良かったので、悲しいことに丸がこうなることはないのだろう。本当に悲しいことだ。
「どうしたのってお見舞いですよ」
「嘘」
「え?」
「他にも何かあるでしょ? もともと来るつもりだったらもっと早く連絡してるはずだよ」
今日のお見舞いはふと思いついたことだったので、紅さんには前日の連絡になった。普段のお見舞いはもう少し前に連絡していたので、何か緊急の用事があると察されてしまった。
「確かに他の用事もありますけど、お見舞いに来たのは本当です」
「ふふ、ごめんね意地悪言って。
全然顔見せてくれないから、私の事なんてどうでもよくなったのかと思っちゃった」
「そんなことあるわけないじゃないですか。
それとこれ、ギフトカードとちょっとだけ修正した台本です」
俺はお見舞い用に持ってきたギフトカードと演劇部用に作った台本のデータが入ったUSBメモリーを渡す。
この病院ではノートPCの使用が認められているため、ギフトカードがあれば好きな電子書籍を買うことが出来る。
俺が色々悩んでお見舞いの品を買っていくよりも喜ばれたので、お見舞いの品は毎回ギフトカードにしている。
「いつもありがとう。早速読ませてもらって良い?」
「どうぞ」
紅さんはノートPCにUSBメモリーを差し、俺の書いた台本を読み始める。
前に紅さんに見せたものとそこまで大きく変わってはいなかったので、数分で読み終えて、俺の方へと向き直る。
「これは
「そうです、もともと都築先輩の恋敵は紅さんが演じるはずだったんです。
だからこそ、同じくらいの台詞量でキャラの魅力を拮抗できると思っていたんです。
ただ、この紅さんが演じる予定だった方を他の人が演じるとなると、都築先輩の相手には弱すぎる。
そこで、都築先輩の方の出番を減らして、無理矢理拮抗させるようにしたんです」
演劇において、台詞の多さはキャラの魅力に直結しやすい。演劇だけじゃなく現実だってそうだ。沢山喋った相手の方が人となりが分かるのと同じこと。
演劇ではそれに加えて演技の上手さもある。演技が特徴的だったり、演者の容姿なんかでもキャラの魅力を出すことは出来る。
「それって本末転倒じゃないかな。
双日の演技力が高すぎるから、彼女の出番を減らしてたらその演技力を生かせないじゃない」
「それは俺だって分かってます。でも都築先輩は負けるんです、あまり魅力的すぎても駄目じゃないですか」
この話は、二人のヒロインと主人公の三角関係が主題。そして、都築先輩は最終的に振られる。だからこそ、メインヒロインを食ってしまっては駄目だ。
代役が誰になっているかは知らないけれど、紅さんほど演技力と容姿が優れた人が都築先輩以外にいるわけがない。点の大きさがあまりにも違いすぎると、三角関係は成立しない。つまり、どうしても都築先輩を抑えるという選択をとらざるを得ない。
「それだったら、役を交代すればいいだけじゃない?」
「それじゃあ、都築先輩は負けないじゃないですか」
「帝人くんは頑なに双日を負けさせようとするよね。それで今まで上手くいってるからいいけど、どうしてなの?」
「都築先輩って、喋らなくても活力に満ちてるというか、自分は絶対に負けないみたいな自信満々な感じじゃないですか。だから、負けたときが一層輝くと思うんですよね」
「前々から思ってたけど、帝人くんはSだね」
自分でもよく分からないが、初めて紅さんと都築先輩の演技を見たとき、直感的にそう思ったのだ。
そこまで拘ることなのかも分からなかったけど、上手くいってるのでずっと同じようにしてきた。
「もう少しだけ練ってみてくれない?」
「分かりました」
紅さんはノートPCからUSBメモリーを抜いて、俺に渡してくる。
俺自身納得のいくものじゃなかったのだから、紅さんからゴーサインがでなかったのも当然かもしれない。
「ところでさ、最近丸はどう?」
「あいつ見舞い来てないんですか?」
「来てるよ」
「それなら、俺に聞く事なんてありますか?」
「私といるときの丸と、帝人くんといるときの丸は違うでしょ?」
「別に違わないと思いますけど……。普段通り俺の後ろをついてきてますよ」
丸は人見知りで引っ込み思案だ。
俺も社交性の高い人間じゃないけれど、丸はそれに輪をかけて人見知り。
クラスメイトですらよほど仲良くないとろくに喋らないのだから、初対面の相手なんて酷いものだ。言葉を忘れたのかと思うくらい黙り込む。
だからこそ、昨日都築先輩に突っかかっていったときは驚いた。
「そっか……」
紅さんは、窓の外を見ながら呟く。
お互い何も喋らずに一分近い沈黙が流れる。
「それより、その、俺なんかが言うべきことじゃないのは分かっているんですけど。
手術は受けないんですか?」
俺は意を決して、紅さんに問いかける。
彼女にとって手術の話はあまりよくないことは分かっていたが、言わずには帰れなかった。
紅さんは元気そうに見えるが、かなり重い病気を患っている。手術すれば治る病気らしいが、手術の成功率は高くもなく低くもない。そして、手術のリミットは一ヶ月しかないらしい。
「手術……最終的には受けなきゃいけないから、早いほうがいいのは分かってるんだけどね……。失敗することを考えると。心残りを抱えたまま、受けたくはないの」
「心残り? なんか悩みがあるなら聞きますよ、俺なんかが聞いてどうにかなることじゃないでしょうけど」
手術しなければ紅さんは死んでしまう。俺ができることなら、なんでもしてあげたい。
「秘密、帝人くんには言えないな」
「そうですか……」
紅さんは儚げに微笑して、唇に人差し指を当てる。
俺には言えない……それは俺だからこそ言えないのか。それとも俺程度の人間には言えないのか。
細かく問いただせば、嘘が分かる俺には知ることが出来る。
でも、俺はあえてしなかった。この話題は彼女にとってあまりいい話題じゃない。
「都築先輩ってどんな人なんですか?」
「双日? 急にどうしたの?」
「どうしたというか、単純に気になったんです。本人の性格と役は関係ないとはいえ、知っておいた方がいいかなと思って」
今日紅さんを訪ねた理由の一つ。
少し強引すぎたかとも危惧したが、紅さんなら茶化したりはしないと思ってのことだった。
「ふぅん……。どんなって言われても、普通の子だよ」
紅さんは少しだけ探るように俺の目を見たけれど、素直に答えてくれた。
「あれで普通? 紅さんから見たらそうかもしれないですけど……」
「頭はいいし、美人だけど、美味しいものを食べれば美味しいって言う。楽しいことがあれば笑う。本番前には緊張する、至って普通の子だよ。あの子を別格たらしめているのは、彼女じゃなくて周りの皆。周りが自分と違うところばっかりを双日に見出して、別格だと思い込んでる。同じところも探してみればいっぱいあるのにね」
紅さんは物憂げに目を伏せる。多分紅さん自身も似たような経験をしているのだろう。天才の悩みは天才にしか分からない。俺みたいな凡人では想像もつかない。
「もてるんですか?」
俺が一つだけ思い至った可能性。それは俺のことを男避けに利用しようとしていること。一目惚れしたという言葉が嘘でない以上その可能性はないに等しいが、念のため聞いておきたかった。
忠は告白されてないと言ってたけれど、あいつの情報網は信用できない。
あの人はそんな回りくどいことをしなさそうにも思えたが、もうそれくらいしか思いつかない。
「もてるの基準が告白された回数ってことなら、もててはなかったかな。自慢じゃないけど、双日より私の方がもててたよ。高校に入ってから今まで三回告白されたし、双日は多分一回もされてないんじゃない?」
三回しか告白されていないのは俄に信じられないが嘘の色は見えないので、本当なのだろう。
「紅さんでも三回なんですか?」
「私でもって言うけど、三回って十分多いと思うよ。私はしたことないけど、告白ってすごい勇気が要ることだと思うから。帝人くんはどうなの? されたことある?」
「俺の話はいいじゃないですか」
「はぐらかした」
可愛らしく破顔する。
数日前だったら、告白なんてされたことないですよと笑って答えられた。
でも今は都築先輩に告白された事実があるので、そう言ったら嘘になる。
自己満足かもしれないけれど、俺は人の嘘が分かるからこそ、自分でもできるだけ嘘はつきたくない。
「紅さんはその告白を全部断ったんですか?」
「うん。恋人になるなら、相手のことをよく知ってからだと思ったからね。
やっぱり付き合いの長さが大事だよ」
「そうですか? 付き合いの長さより大切なことはあると思いますけどね」
「そんなことない、絶対に付き合いの長さが大事だよ。
付き合いが長いってことは、そもそも気が合うってことなんだから」
よく分からないが、紅さんがここまで強く主張してくるのは珍しい。
その日、都築先輩の情報はそれ以上得られずに終わった。
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