3-3 元カップルは入学する「寂しかったか?」

 その夜──夕飯を終えて、自分が食べた分の食器を台所で洗っていると、続いて食べ終わったらしい結女が、僕の隣に並んだ。

 しばらく、ばしゃばしゃと水音だけがして──ぽつりと、つぶやくような声で結女が言う。

「……悔しくないの?」

「何が」

 き返すと、結女はもどかしそうに眉をひそめた。

「わかってるんでしょ」

「僕に群がってる連中のことか?」

「そう」

 さすが、女子は情報が早いな。

「あなた……ナメられてるのよ」

「だろうな」

「私に直接話しかける勇気がないからって、一見大人しそうなあなたを利用しようとしてる……。なのにいざ思い通りにならなかったら自分勝手なことばかり言って……。私、気にわないわ、ああいうの」

「君の感想なんか知らん。あんなのは付き合わなければいいだけのことだ。れんに腕押し、ぬかくぎ。進学校の生徒なら、そのくらいのことわざはきっと知ってるだろう」

「でも、それじゃあなたが……!」

 何かを強い語調で言いかけて、しかし、結女は口をつぐむ。

 食器を洗う手が、いつしか止まっていた。

 僕も手を止める。

 蛇口から水が流れ落ち続ける。

「……僕が?」

 静かに訊き返した。

 結女は口も手もしばらく止めていたが、やがて、再び食器をスポンジでこすり始めた。

「…………なんでもない」



 翌日。

 高校生三日目の朝──昨日、僕と結女は別々の時間に登校しようという取り決めをしたはずだったが、契約期間わずか一日で、それはにされた。

「今日は一緒に登校しましょうか、水斗くん」

 きもっ。

 優しげな声だったので反射的にそう思ってしまった僕だったが、朝食の席で、両親の前でそう切り出されては、無下にすることは不可能だった。

「ほんとに仲がいいわね~」

「はっはっは。女の子の扱いを訓練させてもらえ、水斗」

 結女のやつはにっこり笑顔だ。明らかに、僕が断れなくなることを見越して、両親の前でそんな提案をしたのだ。

 どういうつもりだ?

 僕の疑惑の視線は、隙のない微笑ほほえみに跳ね返された。

 渋々と、二人連れ立って家を出る。

 通学路を歩きながら、僕はずっと警戒のまなしで結女をにらんでいたが、当の本人はすまし顔だった。一体何を考えているのか……。

 薄気味悪さを抱いたまま、校門まであと五〇メートルにまで迫った。辺りに登校中の生徒が増えてくる。

 ……前は、この辺りで別れ別れになってたっけ。

 どういうつもりで一緒に登校しようなどと言い出したのか知らないが、まさか二人仲良く教室まで行こうなんてこの女が言うわけあるまいし、ここらで──

 そこで、僕の思考は停止した。

 なんでかって?

 僕が訊きたいよ。

 なんで、この女──するっと腕を絡めてきたんだ!?

「はっ? ちょちょっ……!」

「いいから」

 ささやくような声で言って、結女は僕と腕を組んだまま歩き出した。僕は引きずられていかざるを得ない。

 視線を感じた。当たり前だ。話題の新入生代表が、朝っぱらから男と腕を組んで歩いてるんだから!

 ほ、本当になに考えてるんだ、この女! こんな見せつけるようなこと、付き合ってたときですらした覚えがないぞ!

 恐るべきことに、結女は僕と腕を絡ませたまま校門を通り抜けた──敷地内にはさらに多くの生徒がいるわけで、つまり針のむしろである。腕を絡ませて登校してくる男女なんて、別に僕たちじゃなくても目立つに決まってる!

「へい。水斗クンじゃーん!」「今日も仲良……く?」

 昨日と同じく、結女狙いの男どもが群がってきて──にわかに静止した。

 無理もない。

 お近づきになろうとしているご本人様が、踏み台であるはずの僕と、半端じゃないくらいお近づきになられているのだから。

 ぎゅっと、絡ませた結女の腕に、強い力がこもった。そのせいでさらに身体からだが密着して──ああくそっ、二の腕に! 柔らかいんだよ馬鹿! 無駄に育ちやがってチビ女が!

「ごめんなさい?」

 結女はにっこりと、不覚にもくらりと来てしまうくらい綺麗な微笑みを浮かべた。男たちがぼうっとする。

「ご覧の通り、今は、私が、水斗と話しているから──邪魔しないでもらえるかしら?」

 男たちは口を開けて、僕と結女との間で指を彷徨さまよわせた。

「伊理戸、さん……?」「こ、これって……」「二人は……きょうだい、なんだよな!?」

「ええ」

 その瞬間、結女の微笑みは凄絶の極みに達した。


「──悪かったわね、ブラコンで」


 フリーズする僕。

 シャットダウンする男たち。

 ヒートアップする周囲のうま

「じゃあ、そういうわけだから」

 完全停止した男たちにトドメを刺すように言い残し、結女は僕を引っ張っていく。

 僕のフリーズが解かれたのは、校舎の中に入って、結女の腕がするりとほどかれてからのことだった。

「き、君っ……とんでもないことをしでかしたな!?」

「何よ。これであの連中は近付いてこないでしょ?」

「そりゃそうだろうなあ!!」

 本命の君が、義理のきょうだい以外には興味ないです宣言をぶちかましたからな!!

「大丈夫よ。仲がよくなった友達にはちゃんと事情を説明するし」

「そういう問題か!? せっかくの評判が……!」

「……一応、あなたは、私の家族なんだから」

 ふいと視線をらして、結女はつぶやいた。

「家族がナメられるのは、我慢ならないの。それだけ。他意はないわ」

 ……こいつ……。

 ああもう、くそ──まったく。そっちにそういう感じで来られちゃあ、僕も冗談じゃ流せないじゃないか。

 僕は少しのちゆうちよんで──できる限り素直に、気持ちを口にした。

「──ありがとう。助かった」

 たったそれだけのことで、結女はピクッと肩を震わせる。

 お礼を言われた奴の反応じゃねえ。

「なんだよ。素直にお礼を言ってやったのに」

「……べつに!」

 結女は完全にそっぽを向いて、一人で教室に向かおうとした。……が、唐突に振り向いて、僕の二の腕の辺りをじっと睨む。

「…………さっきの」

「は?」

「さっき……二の腕に……その、押しつけたときの感触は、記憶から抹消しておくこと!」

「ああ……」

 僕は反射的に、ついさっきまでこの女の胸が押しつけられていた二の腕を触った。

「~~~~っ!?」

 瞬間、結女は警報灯のように顔を真っ赤にして、自分の胸を覆い隠す。え? なに?

「……っこの、ムッツリスケベ!」

 いわれのない罵倒を残して、結女は走り去っていった。

 なんだよ、いきなり……。僕は戸惑いながら、二の腕を何とはなしにむ。

 ──あ。

「間接タッチか」

 その発想はなかった。



 激動の朝と穏やかな午前授業を終えて昼休み、一人の男子が僕に話しかけてきた。

「ちっす。こんちは。伊理戸水斗クン。お昼でも一緒にどうだい?」

 まさかあのブラコン宣言を乗り越えた剛の者が存在したのかと思って、僕はうんざりと顔を上げる。

 軽薄な印象の男子だった。厳格な進学校において挑戦的なことに、明るめの髪に緩めのパーマをかけている。背が高めで、バスケでもやっていそうな体格だ。顔面にり付けた意味深な薄い笑みが少々気に障るが、チャラすぎず真面目すぎず若干チャラ寄りという絶妙な雰囲気をまとっており、さぞおモテになられることだろう。

 ……昨日、付きまとってきた連中に、こんな奴いたっけ? しかしどことなく見覚えはあるので、クラスメイトかもしれない。

 まあ何にせよ、僕の言うことは同じだ。

「……悪いけど、僕は君に、二つの返答をしなくてはならない」

「聞こうじゃねーの」

「一つ。昼はもう食べた」

「そりゃ残念」

「二つ。──君みたいな軽薄そうな奴は、絶対に結女には近付かせない」

 徹底的な拒絶を受けた軽薄そうな男子は、なぜかにやあっと不愉快な笑みを浮かべた。

 ……なんだ?

「それじゃお返しに、オレからも二つ、あんたにいいことを教えちゃうぜ」

「…………?」

「一つ。オレは伊理戸さんとお近づきになりたくてあんたに話しかけたわけじゃない」

「…………!?」

「二つ。──ご本人が、今の台詞せりふを聞いていたようだぜ?」

 ピッと、男子の指が横合いを指した。

 ちょうど昼食から帰ってきたところらしい結女が、すぐそばに立っていた。

 ……………………ええと。

 僕は、今し方自分が吐いた言葉をはんすうする。


 ──君みたいな軽薄そうな奴は、絶対に結女には近付かせない


 ……………………彼氏か!!

 結女の顔がいつもより赤く見えるのは光の加減だと思いたいが、あちこちに目が泳いでいるのを見なかったことにはできなかった。

 結女は何だか懐かしい挙動不審な仕草で、無意味に手をわたわたとさせたのち、ロボットめいた不自然な動きで、僕の後ろの席に座る。そして、

 ──ガンッ! ガンッ! ガンッ!

 椅子を蹴ってきた。しかも何回も。

「ぶははははははははははははっ!!」

 名も知らぬ軽薄そうな男子が、なぜか爆笑した。そんなにおかしいか、僕が身内から暴力を受けたのが。

「いやあ、ははは! 想像通りだ。オレの鼻はやっぱり正確だな!」

「はあ? 鼻?」

「いやいや、こっちの話さ」

 男子は目尻の涙を拭うと(笑いすぎだ)、僕に手を差し出してくる。

「オレはかわなみぐれ。あんたと純粋に仲良くなりに来た初めての男だ」

「……正直言って、極めてさんくさいんだが」

「そう言うなよ、兄弟」

「君と兄弟になった覚えはない」

「あれ? 見知らぬ他人ときょうだいになるのが得意なんじゃなかったっけ?」

「むしろ不得意な部類に入るね」

「そうかい。なら友達で手を打とう。よろしく!」

 川波小暮と名乗った男子は、かなり強引に僕の手を握った。……どうやら、なんだか厄介そうなやつと友達になってしまったらしい。

「ってわけで、友よ」

「いきなりれしいな、君」

「友達になった記念で、もう一つ面白いことを教えてやろうと思ってさ」

「面白いこと?」

 にやあっと、川波はまたあの不愉快な笑みを浮かべた。

「今、後ろを向くと、すげーいいものが見られるぜ?」

 後ろ? 言われるままに振り返った。

「……………………」

 すると、そこにあったのは、どこかねたような結女の顔。

 かすかに唇をとがらせて、視線をはるか窓外に投げている。

 ……ははーん?

 僕の優秀な頭脳は一瞬にして、今ここで言うべき台詞を割り出した。

「寂しかったか? ブラコン」

 ガンッ、と椅子を蹴られた。

 それは、今までで一番強い蹴りだった。

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