金魚とリナリア

 さっきから妙に機嫌きげんの良さそうな隆晴と肩を並べて歩く。これが最近まで当たり前だったはずなのだけれど、久しぶりだからかデートみたいだな、なんてちょっぴり思ったりして。


 辺りはだいぶ暗くなってきて、すっかり忘れていたけれどもうすぐ花火が始まるというアナウンスが流れて私はようやく集合時間のことを思い出した。


「そろそろ行かなきゃね」

「そうだね、公園で食べるものも買ったし。寛二に食べられなきゃいいけど」

「寛二くんは自分で食べる分は自分で買ってるでしょ」

「それを食ったうえで他人のもんを横取りするから。油断できない」

「あはは、たしかに!」


 私たちが歩いていた方向は駅とは反対だったため、きびすを返してもと来た道を戻る。とはいえ人であふれかえった通りはほぼ右側通行の流れができており、来たときとは反対側の屋台を楽しむことができた。


「あ、ベビーカステラ」

「買っとくか?」

「うーん食べきれそうにないなぁ」

「ベビーカステラなら持ち帰れるんじゃない?」

「そうだね」


 充分に買ったはずの食べものを追加で買い込みながら戻っていると、ふと金魚すくいの屋台が目に入った。青い水槽の中で鮮やかな赤や黒が泳ぎ回り、照明に照らされた水面とうろこが不規則にきらめいている。


「金魚好きだっけ?」


 私の視線に気づいたらしい隆晴が、意外そうな表情でこちらを覗き込んだ。


「うーん、好きだけど……好きじゃない、かなぁ」

「うん?」


 金魚の見た目や、お祭りで売っているものも世話さえすれば長生きできるような力強さは好きだ。ただ、もろいポイで金魚を追いかけて、捉えたと思ったら破れて逃げていく、その様子がなんだが自分の恋のようで――見ていて、苦しくなるときがある。

 追いかければ追いかけるほど、ポイで金魚は傷ついていないか、とか。そんなことを考えてしまうのだ。


「金魚すくいやってく?」

「いや、いいよ……あ、」


 そのまま素通りしようとしたところで、金魚すくいの屋台をやっているおじさんと目が合ってしまった。おじさんは人の良さそうな笑みをさらに深めて、


「いらっしゃい! デートかい?」

「え、あ、違――」

「はは、そう見えちゃいます? 一緒に来てた友達とはぐれただけなんですけどね」


 やっぱりそう見えるのだろうかと一瞬だけ舞い上がったが、隆晴が上手く訂正してしまったのが少し残念だ。ちょっとくらいデート気分を味わってもいいじゃないかとこっそり唇をとがらせる。


 おじさんは「そりゃ悪かった」と豪快ごうかいに笑ってから「お嬢ちゃんは金魚好きなんじゃねーかと思ってなあ」と続けた。


「え?」

「その手首につけてるやつ、姫金魚草ヒメキンギョソウだろう?」

「……よく知ってますね」


 今日つけてきたブレスレットにモチーフとして刻まれている花は姫金魚草で、この花が咲く季節は数ヶ月前ではあるけれど金魚という単語が入るため、今年買ったときに浴衣を着る機会があれば使いたいと思っていた。それだけじゃ、ないのだけれど。


「おじさん金魚好きだからさ、庭に姫金魚草を植えてんのよ。金魚草もあるぞ。祭りで金魚を見るのは夏が大半だが、おじさんの家では当然だが年中金魚が泳いでるからよぉ、その花が咲いたときに一緒に眺めるのが好きなのさ」

「へえ、素敵ですね」

「おっと引きとめちまって悪かったね、友達と合流するんだっけ。また機会あったらよろしく!」

「はい」


 会釈えしゃくして歩き出してから、隆晴が私のブレスレットとじっと見た。


「姫金魚草って名前の花があることすら知らなかった」

「かわいい名前だよね、私もお店でこれ見かけるまで知らなかった」


 早くこの話題から逃れたくて、私は嘘をつく。

 本当は、どうしてもこの花をモチーフにしたものが欲しくて探し回った。和名の姫金魚草のアクセサリーで探してもなかなか見つからず、学名のリナリアでようやく見つけたのがこのブレスレットだった。


 その理由は、隆晴にだけは絶対に知られたくない。すぐに話題を切り替えて、集合場所の公園まで歩いていく。芳恵と寛二くんと合流した直後に花火が上がり、それまで話題をぶり返されることがなかったことに私は安堵あんどした。





「焼きとうもろこしうめえ」


 予想通り寛二くんはまだ食べていて、芳恵いわく射的や輪投げでひたすら競争したせいか、ここへ来るときにまた腹減ったと言っていたらしい。


「足、大丈夫?」


 芳恵と二人でくすくす笑っているところに、隆晴が耳元で訊いてきた。花火の音で聞こえにくいからそうしているのだとわかってはいても、こうも不意打ちで来られるとどきりとしてしまう。大丈夫の意味を込めて頷けば、隆晴も今度は笑顔のみで返してきた。


「仲直りできたの?」


 今度は芳恵がそっと耳打ちしてきて、どう返そうか悩んだ結果「あとで話すね」とだけ言っておいた。少し仲良くなったところでまだ下の名前で呼んでもらう日は先になりそうだ。詳しく話すことはできないけれど、関係がリセットされていることくらいは言っておいたほうがいいだろう。


 すぐに元通りになるとは思っていなかったけれど、予想以上に大変かもしれない。それでもこうして笑いながら話すことができるようになっただけでも大きく進歩したと考えていい。





 ――来年になっても彼氏ができなかったら、しょうがねーから俺が一緒に来てやろうか。


 去年みんなとはぐれかけた私を見つけてもらったとき、隆晴に言われた言葉。

 きっと彼は忘れているだろうけれど、結果としてお祭りに来てくれて、一緒にまわることができたのがとても嬉しかった。


 空に次々と打ちあがる花火を見上げながら、そっと撫でるようにブレスレットに触れる。


『この恋に気付いて』


 いつまでも他人任せの恋をしているからダメなんだろうな。気付いてほしいなら、自分から動かなければ。


 隆晴たちが花火を見ていることを確認してから、気付かれないようにそっとブレスレットを外して巾着の中へとしまう。姫金魚草に込められた願いが受け身なのは、金魚を追いかけると傷つけてしまうからでは決してないはずだ。


 追いかけても、大丈夫。隆晴なら、きっと受け止めてくれる。

 時期がきたら自分から告白しよう。そう決めて、今は隆晴と過ごすこの時間を楽しもうと夜空を見つめ続けた。





 私は浮かれていた。

 少し仲良くなれたかもしれないというだけで、これ以上の問題は起きないと思い込んでいた。


 自分のことばかりで、考えもしなかった。家系でずっと受け継がれてきたはずのものが突然なくなるということの重大さを、あざをこの身に受け継いでおきながら考えもしなかったのだ。

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