おまけ(皇帝夫妻の密やかな遊戯)

建物が解体され、すっかり更地となった後宮の跡地でファラとラシードは馬を走らせていた。ジャルディードの原野に比べれば狭くて物足りないのだが、それでも宮城の仕来りから解放されるのは気分がいい。

2人はひとしきり乗馬を楽しむと、後宮の名残を留める四阿あずまやで一休みとなった。ネシャートが用意してくれたお茶で喉を潤す。2人寄り添い、他愛もない話をしていると、ジャルディードの離れにいた頃を思い出すようだ。


「おくつろぎのところ失礼いたします、陛下。カリム内政長官がお呼びでございます」


そこへ文官がラシードを呼びに来た。どうやら休憩時間が終わってしまったらしい。彼は残りのお茶を飲み干すと、仕方なしといった様子で立ち上がった。


「仕事行ってくるね」

「うん……無理しないでね」


ラシードは屈んで妻に口づけると、四阿を出ていく。その後姿を見送るファラはどこか寂しそうだ。


「寂しゅうございますか?」


ネシャートの問いに彼女はゆるゆると首を振る。


「そうじゃないの。昨日もお仕事終わったのが遅くて、従兄様……陛下はお疲れなんじゃないかと思って……。忙しいのに私の為にも時間をこうして取ってくれるでしょう? 何だか申し訳ない気がして……」


環境の違いを感じさせないくらい十分に気を使ってもらっている。だからこそ、一緒にいる時にはラシードにもゆっくり休んでもらいたいのだ。

お茶を飲み終え、ファラも四阿を出る。いつでも愛馬の世話ができるように住まいとなる離宮のほど近くに建ててくれた厩舎に馬を預け、トボトボとした足取りで自分の部屋に戻る。そしてネシャートの手を借りて乗馬服から華やいだ衣装に着替える間もずっとどうすればラシードが寛げるか考えた。


「ああ、そうか……」


ファラの部屋に置かれている調度を見ていてふとひらめいた。この部屋にはジャルディードの離れにあった調度品が置かれている。ジャルディードにいた頃と同じ環境を出来るだけ再現してくれたおかげでファラは寛いでいられるのだ。それはラシードも同じではないのだろうか?

妙案を思いついたファラはネシャートを傍に読んで自分の思い付きを提案してみる。彼女は少し難色を示したが、ファラの熱意に押される形で同意する。そしてジャルディードから来てくれた使用人達を全て集め、計画を練った。




ラシードは山のような書類に囲まれて執務に忙殺されていた。彼らの改革はまだ始まったばかり。文字通り仕事は山積みの状態なのだ。それでも内政部門の長官となったカリムが新婚の皇帝夫妻に配慮し、息抜きもかねて休息の時間を設けてくれている。


「陛下、少し休憩をなさってください」


今日も一区切りついたところでカリムが声をかけてくれる。ラシードはその言葉に甘えて席を立ち、妻が待つ離宮へと足を向けた。

前日は天気が良かったので久しぶりに2人で乗馬を楽しんだ。さて、今日は何をして過ごそうか? 久しぶりに琴でも一緒に弾いてみるのも悪くない。

そう考えているうちに離宮に到着する。愛しい妻に出迎えられ、導かれるままに小部屋に案内される。そこに用意されていたのはジャルディードで彼が身に纏っていた女性用の衣装だった。


「今日はこれを着て」


満面の笑みでお願いされれば断ることもできない。最近疲れている様子だから、ジャルディードにいた頃の様に寛いでほしいという彼女なりの気遣いなのだろう。まあ、嫌いではないし、彼女も喜ぶのならからいいかと納得する。

衣装に合わせた宝飾品も、ラシードに化粧を施すのもファラが自ら行う。ジャルディードにいた頃と比べて手馴れている様子に彼女の成長がうかがい知れる。


「どう、従兄様?」


姿見の前に立たされて自分の姿を確認する。そこには長身ながらも妙齢の美女が写っていた。


「上手になったね」

「本当?」


ラシードに褒められると嬉しいのだろう。ファラは嬉しそうに顔をほころばせている。

その後はジャルディードにいた頃の様に2人で琴の演奏やお茶を飲んで過ごした。


「陛下はどちらに……?」


いつもの様にカリムの伝言を携えて文官が呼びに来たのだが、目の前にいる美女がラシードだとは気づかない。戸惑った様子でラシードの居場所を聞いてくる。とりあえず席を外していると答え、カリムからの伝言を預かった。


「気づかなかったみたいだね」


美女の流し目に頬を染め、緊張した様子で部屋を退出していく文官の姿にファラとラシードは密やかに笑いあう。これに味を占めたファラに懇願され、この後も度々ラシードは女装して午後のひと時を過ごすようになったのだった。


いつしか妃付きの女官にものすごい美人が居ると噂が流れ、一目その姿を垣間見、あわよくばお近づきになろうと、文官や兵士が躍起になっているらしい。


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