第6話

召使いの手を借りてファラはラシードの選んだ淡藤色のドレスに袖を通していた。3日間の滞在はあっという間で、今日、ラシードは帝都に行ってしまう。ファラは幾度目かの重いため息をつく。


「おみ足が痛みますか?」


着替えを手伝ってくれている年配の召使が心配気に声をかけてくれるが、ファラは黙って首を振る。この3日間、安静にしていたおかげで痛めた足は随分と良くなり、普通に立っていたりゆっくり歩く分にはもう痛みも感じない。

だが、気鬱の原因はそんな事ではない。ラシードがジャルディード側と協議をした結果、輿入れは半年後に決まっていた。ラシードと結婚するのは嬉しいが、それまでの間また離れて暮らさなければならないのが辛いのだ。


「さあ、出来ましたよ」


姿見には華やかな衣装とは裏腹に、表情のさえない少女が映っていた。彼が不安にならないよう笑って送り出さなければならないのに、自分の方が寂しくて胸が張り裂けそうだった。

そこへ外から声がかかり、ラシードの来訪が告げられる。返事をすると、皇帝の紋章が入った紺藍の上衣を着た彼が入ってきた。


「ファラ、綺麗だよ」

従兄にい様も……」


彼はすぐさまファラの元へ近づくと、まるで周囲など目に入らない様子で抱きしめる。この3日間、夜だけでなく昼間も時間が許す限り一緒に過ごしてきた為に余計離れがたくなっていた。

しかし、無情にも時が進み、扉の外から咳払いがして、もう時間だと知らせが来た。


「もう、行かなければならない」

「気を……つけて」

「うん。半年後を楽しみにしている」


本来ファラは見送りに母屋まで出なければならないのだが、足がまだ十分に治っていないのと、彼女に見送られると離れがたくなってしまうという理由からここで別れることにしたのだ。

2人はもう一度しっかり抱き合うと唇を重ねる。そして外からの催促にラシードが渋々体を離して扉の外へ出て行き、その足音はどんどんと遠くへ離れて行った。


「従兄様……」


その場に立ち尽くしたファラの目から涙が零れ落ちる。肩を震わせて泣いていると、やがて母屋の方からわずかながらに歓声が聞こえてきた。


「嫌……嫌……」


自分の気持ちをきちんと自覚する前に離れていた40日間でも辛かったのだ。愛を交わし、その腕の中の温もりを知ってしまった今、半年も離れているなんてファラには耐えられなかった。衝動にかられ、ファラは部屋を飛び出していた。


「あ、お方様」


召使いの制止を振り切ってファラは駆け出していた。足が痛むけれど気にしてはいられない。踵は低いが装飾が施された靴を脱ぎ捨て、ファラは母屋へ向かった。

ラシードを見送るため、玄関先には一族が全員そろっていた。その人垣の向こう、整列した帝国兵の中心に彼はいた。今にも自分の馬に騎乗しようとしているところだった。


「待って、置いて行っちゃ嫌!」

「ファラ……」


ファラの叫びにラシードも家族達も驚いて振り返り、周囲がざわつく。だが、真っ先に行動したのはラシードだった。すぐに駆け寄り、駆け込んできた彼女を抱きしめる。


「嫌……離れるのは嫌……」

「ファラ……」


腕の中でファラは子供の様に泣きじゃくる。わがままを言ってもらえるのは嬉しいのだが、果たしてどうしたものかと困ってしまう。


「もう、仕方ないわねぇ」


そう言って行動を起こしたのはファラの母親を中心としたジャルディードの奥方達だった。苦虫を口一杯頬張ったかのように渋い顔をしているジャルディードの男衆を放置し、彼女達は嬉々として召使い達にあれこれ支持している。やがて連れてこられたのは、その背中に荷物が括りつけられたファラの愛馬だった。

涙で潤む目を大きく見開いて驚いていると、母親はファラの頭を優しく撫でる。


「体面なんて気にしなくていいから、行きなさい、ファラ」

「いいの?」

「よろしいのですか、伯母上?」

「いいのよ。もう決まった事なのにあの連中ったらいつまでもうじうじとしてファラを引き留める事ばかり考えてるのよ。それでこの子が悲しい思いをする方が問題だわ。苦労もするだろうけど、一緒にいた方が何倍も楽よ」

「ありがとう、母様!」


ファラの母親に一瞥されると男衆は気まずそうに視線を逸らす。実のところ、彼らはファラが嫁に行ってしまう事を悲しんで連日やけ酒を煽っているのだ。奥方衆はそれにあきれ果てて、ファラが同道することを望んだら叶えてやろうと準備をしていたらしい。


「あれに当面の物は入っているけど、後は甲斐性を見せて頂戴」

「勿論です」


ラシードは力いっぱい肩を叩かれる。勿論、彼にしてみればかわいい伴侶を溺愛するのはやぶさかではない。それは言われるまでもなかった。


「陛下、そろそろ……」


出立の時間を大幅に過ぎてしまい、ラシードの部下が遠慮がちに声をかけてくる。ファラは最大の理解者でもある母親と抱擁を交わすとラシードに手を取られる。そこではたと裸足だったことに気付く。


「行こう」


ラシードは苦笑するとファラを軽々と抱き上げた。そして自身の馬に彼女を乗せると、その後ろに騎乗する。そしてジャルディードの面々に黙礼を送ると馬を出した。


「私幸せよ」

「私もだ」


大好きな従兄の腕の中で流れゆく景色を見ながらファラがポツリと呟く。ラシードはそれに同意すると彼女の頭を優しく撫でた。

幸せな気分がこみ上げてきて無性に馬を走らせたくなり、ラシードは馬の腹を蹴っていた。突然の行動にファラはギュッと彼にしがみつき、周囲を守っていた帝国兵は慌てて後を追ってくる。後で怒られるだろうなと思いながらも愉快で仕方ない。

愛しい少女と笑いあいながら、ジャルディードに広がる草原を駆け抜けていた。


(終)




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


これにて本編完結です。最後までお付き合いありがとうご会いました。

読んでいただいた方、お気に入り登録、評価してくださった方、本当にありがとうございます。

現在、本音と欲望駄々漏れのラシード視点を執筆中。近いうちに公開の予定。多分……。

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