第293話

 ◆ ● ◆


 ヒデ……弟の姿が掻き消えると同時に、オレも【瞬転移】で目標の至近まで跳ぶ。


 打ち合わせらしい打ち合わせも無しに連携が出来るのは、兄弟ならではかもしれない。

 ヒデより後に発動させた【瞬転移】だったが、その名に偽り無く次の瞬間には、オレの方が先に敵の背後への転移が完了していた。

 すかさず斬り上げた愛用の刀がクモが化けた女の脇腹に今まさに到達せんとする時に、弟がオレ達の頭上に姿を現す。

 いつ投げたのかも判然としない武骨な杭がクモ女の頭に突き刺さろうとしている。


 結果的に全くの同時に行われた奇襲。


 オレの斬り上げは脇腹を庇うような恰好で振り下ろされた左肘に深々と喰い込み、ヒデの投げた杭状の剣は首筋に突き刺さっていた。

 化け物相手に言うことじゃあ無いが、人間離れした反射神経をしてやがる。


「兄ちゃん、蹴り!」


 言われるまでも無い。

 奇襲がに終わった以上、早々に距離を取る必要が有るが、それをするには刀を抜き去らなくてはならないのだ。

 恐ろしく形の良い臀部に躊躇無く蹴りを入れて、ようやく刃を肉から抜くことに成功したが……その時にはもう敵から放たれた魔法が多数、オレの眼前に迫っていた。

 再び転移し魔法を回避したが、反応が一瞬でも遅れていたら、今頃は骨すら残っていまい。

 ……非常に危ういところだった。


 ヒデはヒデで武器の回収と退避に成功したようだ。

 アイツの方が少しばかり余裕が有った。

 些か癪だが仕方ない。

 ヒデは世の中が変わってからの短期間で、それだけの実力を得ている。

 驚異的な成長ペースだが、この弟の存在が無ければ今までオレ達が生き延びていられたかは、非常に疑わしいと言わざるを得ない。

 感謝こそすれ、腹を立てるべきことでは無いだろう。

 オレが腹を立てているのは、あくまでも自分に対してだ。


 クモ女に次々と魔法が襲い掛かる。

 トリア、マチルダ、トム。

 援護のタイミングとしては満点だった。

 魔法には魔法で必ず相殺していたヘビ男とは違い、棒立ちのままの女。

 あるいは、このまま魔法で決着がつくかとも思ったが、それはさすがにムシが良すぎたようだ。

 確実に当たるタイミングだった筈だが、クモ子の張った網目状の防御魔法に打ち消されて、トリア達の魔法は何の効果も発揮しなかった。


 オレも呆けている場合では無い。

 刀を構え突進する。

 狙いは女の傷口からボトリと落ちた魔物。

 そいつの形状は、もはや見慣れたスライムそのものだが黒過ぎる。

 一切の光を反射しない闇が具現化したかのような化け物に、突進の勢いそのまま迷わず刀を振り降ろす。

 ズブズブと刀がスライムを斬り裂いていくが、どうも手応えがおかしい。

 鍛えに鍛え、鋭利過ぎる程に鋭利な筈の刀が、まるで一瞬にしてナマクラに化けたかのようだ。

 ちょうど安物の文化包丁で、沢庵漬けを切っている時のような手応え。

 スライムを真っ二つにすること自体は出来たが、甚だ不本意なことに本体のクモ女に追撃する暇までは無くなっている。

 慌てて【瞬転移】を発動させ、今度は少し離れたところまで跳び、得物の状態を確かめることにした。

 ……特に変化は無い。

 だとしたら何故だ?

 何故、あんな手応えになる?


 ヒデは独り踏み留まって戦っている。

 オレが下がったまま、首を傾げている余裕はどこにも無い。

 疑念は横に置いて、オレも戦列に復帰すべきだろう。


 ◆


 やはり不可解だ。


 あれから何度もクモ女や、その傷口から生まれたモンスターに愛用の刀を振るったが、一度として満足のいく結果に繋がっていない。

 最初は膂力が足りていないのかとも思ったが、どうやらそんなことも無さそうだ。

 ほんの僅かな時間だが、悪神の眷属らしい化け物達を葬った数は、かなりのものになっている。

 ヒデのスキルの恩恵で、オレの膂力はその度に向上しているにも拘わらず、あの違和感は拭えないままだった。


 何度となく得物の状態を確かめてもいる。

 強化に強化を重ね、単なる鋼であるとは言えない水準にまで切れ味と剛性を高めてきた伝来の神刀には、やはり刃毀はこぼれ一つ無い。

 単純な切れ味だけなら、オリハルコン製の刀以上なのだから、こうなると切れ味うんぬんの話では無さそうだ。

 あるいは……と、出来たばかりのアダマンタイト製の刀を試してもみたが、結果としては何ら変わりは無かった。

 却って扱い慣れぬ刀を使っていることが災いして、手傷を負う破目にも陥ってしまったほどだ。

 せっかく柏木さんに造って貰った刀だが、今後も予備以上の意味は持たないだろう。


 戦闘そのものは、ある程度順調と言える。


 さっきまで相手にしていヘビ野郎よりは明らかに強いが、近接戦闘の技量はお世辞にも高いとは言えない。

 魔法の腕前も明らかにクモ女の方が上手うわてだろうが、オレにしてもヒデにしても本当に危ないタイミングでは転移して避ければ良いだけの話だ。

 トリア達の魔法は有効打にこそなっていないが、牽制と雑魚の掃討には充分過ぎるほど。

 ある意味ではこの埒の明かない戦況も、好都合ではある。

 戦えば戦うほど、ヒデを通してオレ達は強化されていく。

 もちろんオレ達と、ヘビの親玉の双方にとっての好都合……なのだろうが。

 双方ともに時間稼ぎをしている、何とも奇妙な状況が続いている。


「兄ちゃん、さっきからどうした?」


「……何がだ?」


「どこか戸惑っているように見えるよ? 刀に刃毀れでも有った?」


「そんなもんは無い。無いんだけどな、なんか手応えがおかしいんだ。ナマクラ握って戦ってるように思えてならない」


「うーん……異常に斬撃耐性が高い、とかなのかな? それで途中、刀を持ち換えたりしてたんだね」


「よく見てたな。まぁ、そんなところだ。斬撃耐性なぁ……そうだとしたら、オレは取り巻きの排除に専念した方が良いか?」


「いや、そっちはトリア達の魔法で充分そうだし、多少やりづらくても兄ちゃんにはこのまま、クモの化身の相手をして貰いたいところだね」


「……分かった。まぁ、そんなわけだからオレをあんまりアテにすんなよ?」


「今まで散々アテにしてきといて言うのもなんだけど……大丈夫。コイツはオレに任せて」


 言うなり転移していくヒデの表情は……口の端が持ち上がっていた。

 まぁた、楽しんでやがる。

 アイツは、生まれてくる場所なり時代なりを間違えたのかもしれないな。

 いや、今こそまさに水を得た魚……か。

 まぁ、頼もしい限りだ。

 オレも不甲斐ないなりに、フォローに回るか。


 つくづく……出来の良い弟を持つと苦労するものだ。

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