第91話

「カシャンボかよ……この辺りで、あんなんまで出やがるのか」


 兄が渋面のまま、ボソリと呟く。

 やはり兄は学生時代、しょっちゅう水道橋ダンジョンに潜っていただけあって、カシャンボのことを知っていたらしい。


 オレは、カシャンボの落としたスキルブックを拾い上げる。

 そして、特に意識して、いかにも何でも無いことのように振る舞いつつ、殊更に明るい声を出した。


「スキルブックは有難いけどね。真夜中は勘弁だよなぁ……」


 実際、微弱なモンスターの気配ぐらいなら、無視して睡眠続行してしまいたいほどの、ド深夜だ。


「確かになぁ……。亜衣ちゃんは寝たままか?」


「うん、起こさないように出てきたからね」


「そっか……それにしても、だ。親父までグッスリとはな」


 ……うーん、それは確かに。

【危機察知】スキルの警報は、それなりにうるさく感じるのだが、父はよく寝ていられるものだと変な感心をしてしまう。


「まぁ、歳も歳だからね。この時間帯だと熟睡中だったんじゃない?」


「かもな。……そろそろ戻るか?」


「うん。少しでも寝ないとだし」


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 結局、その後は特に危険が迫ることなく、オレ達は束の間の眠りを堪能した。


 いや、オレは少し堪能し過ぎたぐらいだ。


 妻に優しく揺り起こされた時には、既に普段なら午前探索が開始されている時間。


 深夜の戦闘の疲れから寝過ごす危険性を考慮して、寝る前にスタミナポーションまで飲んだというのにだ。

 もしかすると、脇腹の傷こそポーションで癒えたものの、少なくない血液を失ったのが良くなかったのかもしれない。

 その考えが正しかったのかは分からないが、実際いつもより強い空腹感を感じている。


 兄は普通に起き出して来たらしく、既に朝食を終えていて、甥っ子達やオレの息子を相手に、古ぼけた絵本を読んであげているところだった。


 ケーキ作りの得意なライオンが、ひょんなことから子猫達に好かれてしまったばかりに、微笑ましい悩み事が出来てしまう……そんな絵本。

 それはオレ達が幼い頃に、好んで読んでいた絵本だった。

 子供好きなのにコワモテな兄が、どこか絵本の中のライオンに重なって見えてしまう。

 ケーキこそ作らないが、オレ達家族の中で、料理の味付けが最も上手いのが、実は兄だったりもする。


 すっかり寝坊したオレだったが、ここは前向きに捉えることにした。

 柏木さんが休みの日でないならば、ダン協併設の武具販売所の開店時間に合わせる形で出掛け、新しく人数分の鎖帷子くさりかたびらを発注しようと思ったのだ。


 大力のブレストプレートの特殊能力や、防御性能には何の不満も無いが、脇の下や上腕部には装甲の無いところがあったりする。

 昨夜、オレが負傷したのも、この無装甲部分だった。

 兄が持って帰ってきたミスリルや魔鉄の使い道として、ブレストプレートと重ねて着用可能な薄手のチェインメイルというのは、実はアリな気がするのだ。


 朝食を食べながら、まず父と兄……次いで、妻にも確認を取ったが、特に反対意見は無く、各自が柏木さんに相談したうえで、特に重量的な問題が出なさそうなら、発注しようという話になった。

 他にも、予備の武器だったり、防具類も材料が許す限り、どんどん作成していこうという案が出たので、併せて相談することにする。


 そうなると今度は逆に、少しばかり時間が余るので、昨夜スキルの警報に気付かず爆睡していたせいか、どこか居心地の悪そうな父を外に連れ出し、杖術じょうじゅつの手解きを受けて過ごす。

 また集中していたせいか、あっという間に時間が来てしまう。

 オレに稽古をつけたことで、父も多少はいつもの調子を取り戻したように見えた。


 装備を整え、ダンジョンに向かう。


 国道を通る車の数が、以前と比べ格段に減っている。

 道中、目にする個人経営の店舗も、半分以上はシャッターが降りて臨時休業を告げる貼り紙が貼ってある始末だ。

 床屋の星野さんは、今日からド田舎ダンジョン

 に通うらしい。

 比較的、安全なハズのこの辺りでさえも、日常は既に壊れていると言って良いだろう。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「この辺りで、どこか手頃な空き家は無いかな?」


 一通り、チェインメイルや防具、オレの新しい予備武器の注文を終えると、柏木さんは割りと切実な様子で聞いてきた。

 通勤に不自由を感じるほど、距離があるわけでも無いだろうに……不思議に思ったのが、表情に出ていたのか、柏木さんはオレが答えを口にする前に、再び口を開いた。


「いや、最悪アパートとかでも良いんだ。今の所よりは、この付近の方が仙台駅から遠いからね。それに君たち家族の側に居る方が、どうにも安全に思える」


 なるほど……それならば理解出来なくもない。

 そして、都合の良いことに、ウチの向かいに空き家がある。

 さほど古い家でも無いのだが、近所に新しい家を建てて引っ越した家族が居て、そこは今のところ解体するでもなく、売りに出すでもなく、宙ぶらりんの状態だ。

 他にもマンションや、アパートなど、再開発事業が始まってから、にわかに林立した賃貸物件も有ることだし、柏木さんが引っ越してくるのは、どうやら確実な話になりそうではある。


「ウチの向かいが空き家ですね。父の知り合いが持ち主なので、割りとスムーズに話が出来るとは思います。マンションやアパートも、空き状況は分かりませんが、けっこう有りますよ?」


「それは有難い。お向かいの家のオーナーさん、良かったら紹介して貰えないかな?」


 了承し、メッセージアプリを利用して兄に連絡する……と、ほどなくして問題なく借りられそうだという返事が来た。

 昼の探索時に迎えに行って、同行して来てくれるらしい。

 ……借り手か、買い手を探していたのかもしれないな。

 既にリフォーム済みだというのだから、その可能性は高いだろう。


 柏木さんは、オレの注文した予備武器とチェインメイルを携えて戻って来たが、その知らせを聞くと非常に嬉しそうな表情を浮かべて、オレに握手を求めて来た。


 い……痛い。


 まだ現役でもいけそうだな、柏木さん。

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