第82話

 いよいよ勢いを増してきた雪が降り続ける中、やって来たのは、斜向かいの上田さんだった。


 オレや兄より少なくとも一回りは歳上の人で、オレはそこまで接点が無いのだが、長くご近所さんだったので、一応はお互いに顔見知りではある。

 兄とはどうやら交流が有ったようで、何やら親しげな様子にも見えた。


「朝早くから、お邪魔しちゃってすいません。いつももう少ししたら、お出掛けしている様でしたので……」


 上田さんは本当に申し訳ないと言った表情を浮かべながら、顔を赤くしている。


「いえいえ、お気になさらず……それで、今日はどういったご用件で?」


 代表して兄が先を促す。


「実は青年会の役員で、あれ以来ずっとメールのやり取りをしていまして。和敏かずとし君にも意見を伺ったのですが、それでダンジョン通いが可能な人は、今のうちに行ってみようかという話になったんです」


 兄は黙ったまま、頷いている。

 いつの間にか、そういったやり取りが有ったらしい。


「次からは私達だけで行くにしても、最初は和敏君みたいに慣れている人の案内が欲しいな、という意見の人が多くてですね……それで、今日は朝早く、ご迷惑かなとは思いながらも、こうしてお願いにあがったというわけなんです」


 なるほど……確かに、全くダンジョンの中の事を知らない人達だけで、いきなり探索に行ったり、モンスターの相手をしたりするのは、ハードルが高い。

 兄のダンジョン通いは、世の中がなる以前から近所でも知られていただろうし、

 兄も上田さんには好意的なようだ。

 上田さんからしても、恐らく頼みやすい相手なのだろう。


「僕は1回ぐらいダンジョンを案内するぐらいなら構いませんけど……上田さんと、あと誰が行くんです?」


 お、やはり引き受けるのか……。

 妻が少し驚いたような顔をしてこちらを見ているが、兄は昔からこうだ。

 余計な人付き合いはしたがらないクセに、親しくしている人に頼まれたら、決して嫌だとは言わないタイプでもある。


「私と佐藤さんと鈴木さんですね。鈴木さんは、蕎麦屋の裏の鈴木さんです」


 佐藤さんは、オレの同級生のお父さんで、ご近所では唯一の佐藤さん……50代も後半ぐらいだろうか。

 蕎麦屋の裏の鈴木さんは、あまり知らない人だ。

 他の鈴木さん達は、オレも何となく知っているのだが。


「なるほど……良いメンバーですね。じゃあ、佐藤さん迎えに行った後に、鈴木さんを迎えに行って…………近くのダン協の武具店が品揃えが良くなったばかりなので、そこで装備を揃えてから……………」


 詳しい打ち合わせをし始めている2人だが、オレ達は蚊帳の外に置かれてしまった感もある。

 目顔で合図して、妻を部屋の外に連れ出す。


「あの様子じゃ、お義兄ちゃん、私とお父さんとの探索は後回しに……っていうことだよね?」


 少しばかり呆れた様子で、妻が言うが、それもある意味では仕方ないだろう。

 オレ達家族だけが生き残り、ご近所さん全滅……となった場合、あまり寝覚めの良い状況とも思えない。

 頻繁にこうやって、時間が取られるようだと困るが、兄もそこまでお人好しでは無いとは思う。

 今日は午前が妻達3人、午後がオレ1人で最寄りダンジョン……夜は兄がソロ探索で温泉地ダンジョンという予定だったが、どうやらそれも変更になりそうだ。


「だな。良かったら留守番中、薙刀を教えてくれないか? 長柄武具の心得、オレも出来たら欲しいし……」


「そっか、それもアリだね。じゃあ、みっちり厳しくビシバシと教えてあげますから、そのつもりでね?」


「お手柔らかにな。……で、昼からは、オレとダンジョンで良いか?」


 兄と違って【短転移】で咄嗟のピンチを救ったりは出来ないが、オレにも【敏捷強化】や【危機察知】といった護衛向きなスキルはある。

 潜る階層を浅くしたり、色々とやりようは有るだろう。


「あ、それも良いね~。じゃあ、お義父さんも居るだろうけど、久しぶりにデートしよっか」


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 結局、兄は今日の午前中を使って、近所の人達をダンジョンに案内することにしたようだ。


 まずは、最寄りのダン協で彼らの武具を買い揃えて、実際に潜るのは最寄りのダンジョンではなく、柏木兄弟(右京君と沙奈良ちゃん)も通って居るらしい、いわゆるド田舎ダンジョンに挑むことにするのだと言っていた。

 最寄りのダンジョンの通称は『無理ゲーダンジョン』なのだから、確かに素人連れで潜るのには本来なら最適とは言えないだろう。

 父と妻に関しては、武道の心得が有ったから、利便性を重視したと言うだけの話だ。


 そういったわけで今日に限り妻と父は、昼からオレが最寄りのダンジョンに連れていくことになった。


 午前中は、巡回やテレビで情報収集をしながらでは有るが、それ以外の時間は全て、妻に薙刀の稽古を付けて貰う。

 父にも折りを見て杖術じょうじゅつの稽古を頼むつもりだったのだが、妻の気合いが入り過ぎていて、それどころでは無かった。

【長柄武具の心得】は、総合的な長柄武器の習熟が取得条件になるスキルなのだろうから、槍(刺突タイプの長柄武器)はともかく、薙刀(斬撃タイプ)や杖(打撃タイプ)の稽古は、スキル習得には必要な条件だと思う。

 新しい鎗を複合的な武器にしてもらったのも、これを見据えてのことではある。

 仕方ない……杖術は社務所(神社の事務所を特にこう言う)で、夜に習うとしよう。


 しかし、スネを狙う武道(薙刀)って新鮮だよなぁ。


 オレが考えごとをしていると、見透かしたように妻から遠慮の無いスネ撃ちが飛んでくる。


 見慣れない軌道を描く斬撃に、オレは四苦八苦しながらも、どうにかそれを捌いていくのだが、避けるたび……防ぐたび……妻の斬撃が鋭く厳しいものになっていくのは、どういうわけだろうか?


 そして妻の目が、先ほどから据わっているのは何故だろう?


 いつもの、ほんわかとした空気感はどこに行ったんだ?


 オレは仕方なく稽古に集中し、なるべく妻の動きをトレースするように、妻から借りた稽古用の薙刀を振るう。


 妻は得物にしている本物の薙刀を振るう……って、おい!


 今の一撃……【危機察知】が仕事したぞ!

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