首都に行きたい。
「すみませーん……」
その小さな声は幼さが滲んでいる。
「なんでしょう?」
扉を開けたのはクロード先輩だった。そっと扉を開けてやると、そこには十歳を過ぎたくらいかと思われる背の低い少女が立っていた。赤毛を二本の三つ編みにし、頬にそばかすが散っている可愛らしい顔が不安そうにこちらを見上げている。
「どうかしましたか?」
にこやかな表情でクロード先輩が問うと、少女は一度顔を伏せ、そして上げると問うた。
「あの……この馬車……首都に寄る……その……予定はありますか」
たどたどしくも一生懸命な様子で言い切ると、今にも泣き出しそうな様子でじっと見つめてくる。
「えっと……」
何と返事をしたら良いのかわからなかったらしく、クロード先輩はあたしに視線を向けた。
果たしてあたしは。
確かに首都には行くつもりだ。一番読みたい資料は偉い人でないと見せてもらえないかもしれないが、小さな町の図書館や資料館よりはずっと役に立つ本を読むことができるだろう。じっとしているよりは向かって確認するのが手っ取り早い。
とはいえ。
今はそこに行くための資金がない。予定は未定だ。彼女の問いに良い返事ができそうにない。
すると少女は何を考えたのか、提げていた鞄から一枚の紙切れを取り出した。
「ボク……この手紙を届けて……薬を……手に入れなきゃ……いけないんです。……お兄様が……病気にかかってしまって……その治療に必要で……」
必死さが伝わってくる。マイトが何か言いたげにしているが、しかしこの状況ではどうすることもできないとわかっているのだろう。口をパクパクさせるだけで声にならない。
クロード先輩はというと、差し出された紙切れを手に取り、目を通していた。あたしがちらりと見たところではその文字を読むことができなかった。図形の入り混じる特殊な文字だ。おそらく、魔術に関したもの。こればかりはクロード先輩の専門だろう。
しかししかし。
あたしはやってきた少女を見る。身なりのきちんとした少女だ。メアリがそうであったように、柔らかくて触り心地の良さそうな生地でこしらえた涼しげな服を着ている。持っている鞄も形のしっかりしたもので、どこかの腕の良い職人が作ったものに見えた。そんな良いところのお嬢さんといった雰囲気の少女が、どうしてあたしたちに声をかけてくるのだろうか。馬車くらいなら自分の家にありそうなのに。
あたしたちが黙っているのを見て、何か思いついたらしい。はっとした顔をして、再び鞄から袋を取り出した。じゃらじゃらという音がする。
「あの……お金なら……支払います。……連れて行ってくださるなら……そこまでの旅費、……これで足りるかわからないですけど……ちゃんと払いますから……」
それを聞いて、クロード先輩は読んでいた手紙から視線を上げ、少女に目を向けた。
「君、あまり他人を信用しちゃいけませんよ。この手紙も、その袋も、見ず知らずの人に見せるようなものじゃない」
「……え?」
叱るような響きを持つ声に、少女はきょとんとして首を傾げる。
「オレたちが悪い人間だったらどうするんです? この手紙も、その袋も取り上げられてしまったら、君は困るんじゃないですか」
手紙をつき返すように渡され、少女はおろおろとしながら答える。
「で、でも……お兄さんたち、悪い人に思えなかったから……それに……お金……必要なんですよね……?」
「!」
あたしたちは少女の円らな瞳に射抜かれて硬直する。
「外まで……聞こえていましたよ……? どこかに向かう途中だって言うことも……それで……あの……その……立ち聞きは悪いとは思ったんですけど……」
あたしは自身の額に手を当ててため息をついた。
――一番騒いでいたのはあたしだ。
「首都まで……片道で良いんです……どうか……連れて行ってはくれませんか?」
彼女の願いは真剣そのものだ。彼女の目的と、あたしたちの利益はちょうどよくつりあっているように思える。あたしが他の選出者に狙われるような事態にさえならなければ、安全に少女を送り届けることはできよう。
あたしはクロード先輩に決定権を渡すべく視線を向ける。この馬車はクロード先輩のものだ。動かしているのも彼であるので、あたしがどうこう言える立場でもない。
「そうですね……」
クロード先輩はそう呟いて一度両目をつぶって何か思案した。そして口を開く。
「君、その服装や手紙の内容から考えるとたいそうな家のお嬢さんとお見受けします。そんな君がどうしてオレたちのような流れ者に声を掛けるのです? 屋敷の人間に馬車を出してもらえばよい話ではないでしょうか?」
あたしが引っかかっていた疑問に、クロード先輩もぶつかったようだ。探るような問いに、しかし少女はやんわりと微笑んだ。
「ボク……妾の子なんです……。それなりの服や食事は……その、……ちゃんと用意してもらえるんですけど……召使いも少なくて……馬車は頼んで借りるだけ……。今回はお兄様の病気が……ボクにもうつっているんじゃないかって疑われて……本家から馬車を借りることができず……こうして親切な誰かが……通りかかるのを……待っていたんです……」
「病気、ね……」
手紙に何が書かれていたのだろうか。クロード先輩は何か思うところがあるような、そんな曇った表情を一瞬だけしたが、結局はいつもの穏やかな顔を作った。
「……わかりました。首都に連れて行って差し上げましょう」
「本当ですか?」
了承の返事に、少女は目をきらきらと輝かせる。
「ただし、本当にオレたちには金がない。旅費は君の持つそのお金が頼りになりましょう。それでも良いと言うなら案内しますよ?」
「はい! たいしてありませんけど……まずは前金としてどうぞ!」
ほいっと差し出される小さな袋。クロード先輩は大事そうに受け取ると、口を開けて中身を確認する。そして一枚、取り出して光に晒した。
――金貨……?
大きな金貨だ。きらきらとした宝飾品のような輝きを放っている。あたしたちがふだんお目に掛かることのないような金額のものらしい。
「これ……一度崩さないと使えませんよね?」
やはりたいそうな金額のもののようだ。クロード先輩が訊ねると、少女は首をかしげた。
「そういうものなんですか……? ボク、お金はこれしか見たことなくって……」
その台詞に、クロード先輩は苦い顔をして続ける。
「……君、相手がオレたちだったことに心から感謝すべきだと思いますよ。あと、その手紙も、この金貨が入った袋が他にもあるようでしたら、絶対に他人には見せないこと。いいですね?」
「は、はい……首都に連れて行ってくださるなら……その約束……必ず守ります」
こくっと真面目な顔をして頷く少女。
「では、この車の中で待っていてください。両替をしてきます。そのあとすぐに出発しますから、静かにしていてくださいね」
そう告げて、クロード先輩はあたしに残りの金貨が入った袋を手渡すとあたりを警戒するようにして去った。
「お……お邪魔します……」
「えぇ、狭い車ですけど、どうぞ」
場所を空けてやると、少女はあたしの隣にちょこんと腰を下ろした。まるで人形のようだ。
――しかし、この袋の中身はどれほどの価値があるのかしら……?
その答えは、しばらくして戻ってきたクロード先輩の懐を見てすぐにわかった。あの一枚で、ここまでのあたしたちの旅費と同等の価値があったのだと理解するのに時間は掛からなかった。
そしてあたしたちは新たな仲間、ステラ=アスターを加わえ、首都を目指す。
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