陽光の姫君



「あなた方は本当に仲がよろしいのですね。あれだけたくさんの部屋がありましたのに、同じ部屋でお休みになられるとは」


 爽やかな笑顔でそう話しかけてきたメアリに、あたしは引きつりそうになる頬を笑顔のまま保つべく努力する。


「鍵がかかっていて、出られなかったから仕方なく、ですよ」

「あら、それは気付いていませんでしたわ。修理しておくよう伝えておきます」


 ――よくもまぁ、しれっと言えたもんね……。


 今は朝。寝台で伸びていたマイトを床に落として一眠りし、朝食の用意ができたと呼びに来たサニーに連れられて食堂にいる。正面にメアリ、その隣に立って待機しているのがサニー。メアリの正面があたしで、右側にマイト、左側にはクロード先輩が座っての朝食だ。美味しそうな香りを放つパンやスープなどが机に並んでいるが、あたしは警戒してまだ手をつけてはいない。


「――しかし、昨夜はさぞかし素敵な夜だったんじゃないかしら?」


 探るように細められた瞳がこちらを見る。


「気分が悪くてそのまま眠ってしまいましたからね。途中で寝ぼけたマイトに起こされはしましたけど」


 言って、あたしはちらりとマイトを見やる。彼は何も口にしていないにも関わらず、ぐふっと小さくむせていた。

 朝目が覚めるなり土下座をしてきた彼の話を聞いたところでは、あの時も一応意識はあったらしい。ものすごい勢いで頭を下げて謝ってきたが、とりわけ弁解はしてこなかった。下心があったらしいことを隠さない素直なマイトはいつもどおりの彼で、あたしは怒る気が微塵も起きず許したのだが。


「あら……残念。私なりに気を遣ったつもりでしたのに」


 彼女の口元が片方だけ意味ありげにきゅっと上がる。あたしが言葉を返そうとすると、首筋にひんやりとしたものが当たった。下ろしていた髪がすくわれて、首元が光に晒された。


「確かに月影の乙女の証は残っているようですね」


 あたしの背後に立って、髪を持ち上げていたのはサニーだった。


 ――あたしとしたことが、動けなかった……? いや。


 今もなお、動けない。サニーから発せられる気配に圧倒されているのだ。冷や汗が頬を伝う。あたしの視界に入るマイトとクロード先輩の顔から驚愕しているのがわかる。


 ――この気配、ルークのものに似ている……。


「あーもう、本当に残念ですわ」


 メアリは立ち上がり、くすくすと笑う。

 昨日と違って部屋にはこの屋敷に仕えている他の人間はいない。あたしたち三人と、メアリとサニーだけだ。


「あなた、選出者なのね」


 あたしはメアリを睨んで問う。


「ふふっ。ようやく気付いた?」


 言って、彼女は上着の釦を胸の少し上まで外して、鎖骨周辺を晒す。そこには太陽を記号にしたような形の痣が広がっていた。


「そう。私は選出者の一人、陽光の姫君。そしてそこにいるサニーは神の使いの一人ですのよ」


 サニーに後ろに立たれたままでは身動きが取れない。髪を握られているのもあって、なおさら自由がきかない状態だ。彼の手元があたしの首のそばにあるのもあまりよくない状況で、マイトもクロード先輩も牽制されたような状態になっている。とりあえず、あまり刺激し過ぎない程度に交渉するしかない。


「それで邪魔者であるあたしを辞退に追い込もうと画策したってわけね……」

「えぇ。見ず知らずの男に襲わせるのも良かったんですけど、町で鞄を盗んだあの男に対する動きを見て、普通に襲わせたんじゃ意味がないな、なんて。それに、好きな男に抱かれるなら悪くないでしょ?」

「あほなこと言うなっ!」


 声を上げたのはマイトだった。メアリは目を丸くして動きを止める。


「な……何を急に。あなた、彼女のことが好きなんでしょ? 抱いて自分の物にしたいって考えることだってあるんじゃないの? 私の術で、あなた自身の願望を抑えている理性を取っ払って差し上げたと言うのに、あほなこと、ですって?」


 納得しかねるという表情を浮かべ、苛立ちと困惑の入り混じった声で矢継ぎ早に問う。


「俺はそんなこと望んじゃいねぇよ! 余計なお世話だ!」

「あら、そんなことを言っていてもいいのかしら? ミマナさんを狙っているのはあなただけじゃないかもしれませんのよ? そうは思いませんの?」

「……え?」


 予期せぬ問いだったらしい。台詞の途切れたマイトに、メアリは続ける。


「クロードさんも、ミマナさん狙いですよね? あなたも、彼女をさっさと抱いておけば良かったのに」

「たとえオレがミマナ君を抱きたいと思っていたとしても、オレは彼女を襲ったりしませんよ?」


 即答するクロード先輩に、メアリはいらついた目を向ける。


「だって、蹴り飛ばされるのがオチですからね」


 ――そこかっ!? そこが重要なわけっ!? ……あ、いや、まぁ、確かに襲われりゃ反射的に蹴り飛ばすだろうけど。


「でもあなた――」

「何か?」

「いえ」


 メアリは何か言い掛けるが、クロード先輩の鋭い視線に圧せられて黙り込んでしまった。


 ――魔導師であることを言わせまいとした、ってところかしら……。


 あたしは二人の目の動きを見ながらそんなことを考え、話に割って入ることにする。


「――とにかく、よ。あんたがあたしを邪魔者だと思っていることはよくわかったわ。でも、あたしはあんたの邪魔をしようとは思わない。あたしはあたしの意志で行動し、選出者として任務を全うするだけ。ほっといてくれれば、あたしだってそっちに手を出したりしないわ。だから、解放してくれない?」

「そうもいきませんわ」


 あたしの提案に、メアリは凛とした態度で断ってきた。


「なんで? 誰が神を倒そうとも、あたしたち選出者には関係ないことじゃ――」


 疑問を素直に口にすると、彼女の鋭い視線があたしを睨む。


「関係ないですって? あなたにはどうでも良いことかもしれませんけど、私には重要なことでしてよ。私が神を倒して、必ずサニーを神の側近にしますの」

「か……神の使いを執事扱いでそばに置いているくせに、どうしてそこまで……」


 熱のこもった言い方に圧倒されて、あたしは目をぱちくりさせて問う。さすがにあたしにはそこまで明確な理由も意思もない。


「サニーは私に魔導書の読み方を教えてくれた、魔法を使えるように指導してくれた、私に少しばかりの自由をくれた、私を選んでくれた、私のそばにきてくれた、私を求めてくれた――だから、私は彼の望むことをするの! あなたに先を越されるわけにはいかなくってよ!」


 ――この子、サニーのことを……。


「えぇ、メアリお嬢様。あなたには神を倒し、新たなる神を産み落としてもらわねばなりません」


 妙にまとわりつくようなねっとりとした声が耳元で聞こえる。サニーの声だ。背筋がぞくぞくする。


「ルークなどに神の側近の座をやるわけにはいかない。ましてや、星屑の巫女の連中には絶対に抜かれてはならない」


 ――星屑の巫女、か。月影の乙女、陽光の姫君に並ぶもう一派、ってところかしらね。しかし、ルークはどっちを神の側近にしたいのかしら?


 思い出し、彼が何も告げていなかったことに気付く。これでは両方から攻撃されたときにどう動いたら良いのかわからない。


 ――言葉足りなさ過ぎでしょ、あの黒尽くめ……。次に会ったら、いろいろ訊いておかなきゃいけないわね。


 そんなことを考えて、心の中で大きくため息をつく。


「あなたたちがどう考えているのかはだいたいわかったけど、あたし、そこまで積極的に選出者の仕事をするつもりはないわよ? ルーク自身も、神の側近になることにはあまり興味がないみたいだし」

「でしたら、すぐに選出者を降りて下さい。目障りだ」


 声を低めてあたしの耳元で囁いてくるサニー。不気味なその声に身体が思わず震えてしまうが、あたしは続ける。


「あたしは保険みたいなものよ? あたし以外の選出者が、神を倒す前に万が一その資格を失ってしまったら、神の使いであるあなたとかもう一人だとかが困るんじゃない? 神の交代を望んでいるのは確かなんでしょ? だから、そのときはあたしが責任を持ってその仕事を引き継ぐわ。だから、今は見逃して欲しいっていっているの。わからない?」

「……なるほど。あいつが考えそうなことだ」


 呟いて、サニーはあたしの髪から手を離した。


「どうしたのです? サニー」


 威圧していた気配が唐突に消え去った。メアリもそれに気付いたのだろう。慌てたようにしてサニーを見る。


「急いだ方が良さそうです、メアリお嬢様。おそらく星屑の巫女は神を倒す直前まで段階を踏んでいる。月影の乙女を放置している理由は、ワタシたちを引き付けておくため。星屑の巫女を一刻も早く見つけ出し、その力を奪わねば我々の目的は達成できません」

「な……おとりですって?! 卑怯なっ! ――だとすれば、この方たちに構っている余裕はありませんわね。急ぎますわよ、サニー」


 いつの間に移動したのか、メアリの前に現れたサニーは彼女の手を取る。


「行きましょう、メアリお嬢様」


 頷いてそう答えるなり、二人の周囲を光る文字の帯が包み、やがて姿を消した。


「――転送魔法……まさか目の前で見るとは」


 驚いた表情のまま、クロード先輩が呟く。


 ――って。


 あたしは立ち上がり、クロード先輩を見やる。


「あのー、クロード先輩? 蹴り飛ばされるのがオチってどう言う意味です?」


 クロード先輩の返事が聞ける前に、マイトも立ち上がり移動してきた。場所はあたしのやや前、クロード先輩との間。


「ミマナ。俺はクロード先輩からもミマナを護るべきなのか? そういう目でミマナを見ているって……」

「――二人とも、ちょっと落ち着いてください」


 あたしたちに両方から攻められて、クロード先輩は降参とばかりに両手を挙げる。


「落ち着いてられっか! 俺はミマナを護るって仕事があるんだ。クロード先輩にそういう気持ちがあるなら、一緒に旅なんかできない!」


 本気で言っているのがよくわかる。でもその気持ちが、仕事を全うしたいという義務感からくるものなのか、あたしのことを想っているが故のものなのかが今ひとつよくわからない。

 そんなマイトに対し、クロード先輩はにこやかに微笑んだ。


「罠にかかってミマナ君を襲いかけたマイト君に言えたことですかね?」

「む……」


 思わず言葉を詰まらせるマイト。クロード先輩がいたからこそ、あたしが無事であった事実を知っているだけに何も言い返せないのだろう。

 クロード先輩は続ける。


「オレはミマナ君の足手まといにはならない。そうなるとわかった時点で去る覚悟はできています。オレは非戦闘員ですから、ミマナ君の邪魔になってしまうのでね」


 優しげな笑顔はあたしにも向けられた。あたしに何を言えと?


「――そんなことよりも、オレたちも急いだ方がいいですよ」

「なんで?」


 クロード先輩は真面目な顔をすると立ち上がる。あたしにはクロード先輩の言っている意味がわからない。


「鈍いですね。目の前で、この屋敷で大事にされているご令嬢が執事とともに逃避行しちゃったんですよ? 二人が急に消えてしまって、その現場にオレたちがいたら、この屋敷にいる人間はどう思うでしょうか?」


 ――どう思うかって言ったら……。


 あたしははっとして、辺りをまず確認する。


「宿屋に帰ってこの町をすぐに出ましょう。あたしたちも立ち止まっている場合じゃないんだから」


 動き出したクロード先輩に合わせてあたしも動く。屋敷の人間が来る前にここを出なければならない。


「え? どういうことだ、ミマナ?」

「アホマイトっ! つまり、この屋敷の人間はメアリの失踪にあたしたちがかんでいるって考えて捕まえに来るってことよ! あのコがどこまで計算していたかは知らないけど、選出者としての役割を果たすためにはあたしたちもじっとしているわけにはいかないわ。あれこれ説明したりそのために罰なり何なりを受けている場合じゃない。ここはさっさと逃げてしまうのが得策と言うわけ」

「悪いことしていないのに逃げるのか?」

「そうなるけどいいの! マイト、あたしと一緒に逃げなさい!」

「む……仕方がないって言うなら、そうするか」


 差し出したあたしの手を取り、しぶしぶマイトも動き出す。

 こうしてあたしたちはメアリの屋敷を抜け出し、宿屋で荷物をまとめると町を出発したのだった。


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