屋敷に招待されたのですが。



「ささ、どうぞ。お上がりになって」


 すっかり陽が暮れて、空には星々が散らばりだす。

 あたしたちは窃盗犯を捕まえてくれたお礼がしたいと言い出した少女メアリに誘われて、町の中心部から離れた地域に移動。そこに唐突に現れた大きな屋敷の前にやってきていた。


 ――いや、半端ない大きさなんだけど。


 案内された家の扉は二階の窓にまで届くんじゃないかという高さを持ち、その幅も馬車がすれ違えそうなくらいである。敷地に入るまでの門もどこかの城にやってきたみたいな雰囲気の豪華さであったが、庭だといっておきながらかなり歩かされたのを思うともっとこの先ものすごいものが出てくるのかもしれない。


「お……お邪魔します」


 気後れしながら、あたしはその扉をくぐって中に入る。


 ――ひぃ……。


 二階の廊下が見える玄関。左右に階段があり、その上を真紅の絨毯が彩っている。天井を見ればキラキラと輝く燭台が室内を照らしている。あたしの人生でもっともお金が掛かっていそうな場所だ。


 ――しかし、どうしてこの少女、これだけの屋敷に住む御令嬢だと言うのに護衛をつけていなかったのかしら。


 護衛さえつけていれば窃盗犯に狙われることもなかったはずだ。不注意だったのか、あるいは――。


「――そういえば、あなた方は旅をしている最中と言うことでしたが、今晩の宿はもう決まっていらっしゃいますの?」


 にこにことしながらメアリは問うてくる。


「えぇ。窃盗犯を捕まえたあの場所から見える宿屋を借りています」


 その問いに答えたのはクロード先輩。食事や宿などのお金が必要なことに関してはそのずべてをクロード先輩に任せている。もともと町の企画であったがため、彼がその費用をわずかながら預かってきているのだ。


 ――最初こそためらいがあったけど、これは慰謝料なのよ、慰謝料。不愉快に感じたのは事実なんだから。


 クロード先輩がしてくれた説明を思い出し、頭痛がぶり返す。なんでこんなことになったんだか。


「ならば今晩はこちらにお泊りになってくださいませ」

「え、あ、でも、それは申し訳ないです! 図々しいと言いますか」


 笑顔のまぶしさに「はい」とうっかり返事してしまいそうになるが、あたしはそれを振り切って答える。


「あら、なぜですの?」


 不思議そうな顔で首を傾げるメアリ。心の底からそう思っているらしく、わざとらしさが微塵も感じられない。


「そこまでしてもらうほどのことはしていないってことですよ」


 しかしそれでも断る。あたしの本能がそれを拒否している。女の直感って当たるのよ。


「何をご謙遜を。遠慮なさることはないんですよ。私にとってこの本は命と同等の価値を見出せるものなのですから」


 言って、メアリは本が入っている鞄をぎゅうっと抱きしめる。あたしは本以外の鞄の中身が気になっていたが。


「彼女もここまで言うのだから甘えちまったらどうだ?」


 そんなあたしの気持ちに関係なく、マイトがさらりと言ってくれる。何も考えていないような顔。


「ちょ……あんたまた考えもなしに」


 ――人を疑うってことがないもんなぁ。ま、そこがマイトの良いところなんだけど。


 明確な物証でもない限り、一時の感情くらいでは他人を拒否しない。それでも彼の中で魔導師は別格のようだが。


「いや、だってさ。懐事情を考えてみても悪くない話だろ? 善意を断るのも気が引けるじゃないか」

「それもそうだけど……」


 あたしは答えながらチラリとクロード先輩を見る。彼はどう思っているのだろうか。


「ミマナさんはそうおっしゃっているのですが、あなたはどうですの? クロードさん」


 あたしの視線に気付いたようで、メアリが期待のまなざしを向ける。


「そうですね……」


 困っているようだ。腕を組み、眼鏡に手を添える。

 良かった。二つ返事で了解を示す人間ではないようだ。それなりに考えることのできる人間で助かった。

 あたしがほっとしていると、メアリは続ける。


「私、あなたともっと個人的にお話がしたいのです。この本について知っている人間が近くにいないもので」


 ――ん、ひょっとして……。


 あたしは今の発言からメアリの狙いを導き出す。彼女が興味を持っているのはクロード先輩。そして、彼女はこの屋敷の人間に魔導書に興味を持っていることを隠している。魔導書に興味を持っていると知られたらまずいのだろう。こんな屋敷に住まう御令嬢なのだから。


「――あぁ、探しましたよ、メアリお嬢様。勝手に屋敷を出てはならないと何度も申したではありませんか」


 玄関に近い扉を開けて真っ直ぐ向かってきたのは赤い髪の美形のお兄さん。ふわふわとした長い髪を持ち、その顔は女装しても充分に映えそうな整った顔立ち。黒い上下の服に身を包み、その身のこなしから執事だろうと思われる。


 ――見たことないもんなぁ、執事なんて。そんな大富豪、あたしの町にはいないし。ってか、黒尽くめのルークも綺麗な顔をしてたけど、この人もまた派手な顔しているなぁ。


「わかっておりますわ。しかし、仕方がないではありませんか。屋敷から出ないと欲しいものが買えなかったのですもの」

「なんでも取り寄せてやると、あなたのお父上もおっしゃっていたでしょう? なぜ言いつけを守れないのです?」


 荷物を持とうと執事のお兄さんは手を出すが、メアリはその手をそっけなく払う。


「検閲など受けたくないという意思表示です。私は私のやりたいようにやらせていただきます。あなたは私の言うことを聞いていればいいのですよ。あなたは私の執事なのですから」

「は、はい……」


 参ったなと言いたげな表情を浮かべて頷く執事のお兄さん。さぞかし手の掛かる主なのだろう。あのつんとした態度に対応せねばならないことにあたしは同情する。


「では、サニー。客人をお食事にお招きしたの。我が危機を救ってくださった恩人なのです。丁重に扱って。あと、食事のほかに部屋の手配もお父様にお願いしておいてちょうだい」

「了承いたしました、メアリお嬢様」


 メアリに命じられて、サニーと呼ばれた執事のお兄さんは部屋に戻っていく。


 ――って、ちょっと待て。部屋の手配とか言っていなかったかしら、彼女。


「あ、あの……」


 あたしが言いにくそうにメアリに声を掛ける。


「今から料理を用意するとなると時間も掛かりましょう? ゆっくり夕食を召し上がってもらうには泊まっていただくのがよろしいかと思いまして。ご迷惑でしたかしら?」


 一部の荷物は宿屋に預けたままだ。しかし前金で借りているため明日の朝まではそのままにしておいて大丈夫だろう。


 ――でも、問題はそれだけじゃないような……。


 あたしは再び意見を求めてクロード先輩を見つめる。


「そこまでしていただくとなると恐縮してしまいます。ここはお気持ちだけで」


 さりげなくやんわりとした口調でクロード先輩は断る。あたしの気持ちを察してくれたようだ。


「そ、そうですか……」


 メアリはがっかりしたような様子で俯く。


 ――!


 その一瞬、彼女の目に奇妙な光が浮かんだのを見逃さなかった。呪い殺してやると宣言したあの時と同じような気配。


 ――まだ何かある?


「それなら仕方がありませんね。あなた方の都合もありましょう。帰りはサニーに言って宿屋まで送らせますわ。ですからゆっくりしていってくださいませ」


 顔を上げてにっこりと微笑むメアリからはさっきの違和感は消えてしまっている。果たしてあれはあたしの気のせいなのだろうか。


「食堂へ案内いたしましょう。どうぞこちらへ」


 あたしは警戒を緩めることなくメアリの案内に従って食堂へと向かったのだった。

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