三日月の痣を刻まれて


 朝、宿屋の食堂にて。

 食事時にしてはまだ早い時間らしく、席についている人の数はまばら。そんな食堂の端っこを陣取り朝食中。


「――と、まぁ、そういうことなのよ」


 搾りたての牛乳を飲みながら、あたしは夢で見た話を二人にする。


「なるほど。それでその痣ね」


 左側に座るマイトがあたしの首元を見ながら頷く。彼の前に置かれた皿はすでに空になっていて食事は済んでいる。


「三日月のような形ですよね」


 右側に座るクロード先輩が生野菜を突きながら一言。彼もそろそろ食べ終わりそうだ。


「言われてみればそうね。上弦の月、みたいな?」


 自分でその痣を見ることはできないが、鏡で見た記憶からすればそんな形だったような気がする。今も拳大で青黒い三日月があたしの首の左側に浮かび上がっているはずだ。案外と目立つ。


「その話が現実だとすると、他の選出者も同じ痣を持っているってことか?」


 うーんと小さくうなり、首を傾げるマイト。


「これが選出者を示すものならそうでしょうね。――そういう伝説みたいなの、クロード先輩は知らないの?」


 あたしがこの話をしたのには二つの理由がある。一つはこの痣と夢についての説明がしたかったこと、そしてもう一つは伝説や伝承などにも精通しているクロード先輩から情報を得ること。


 ――ま、知らないなら知らないで仕方がないんだけどね。


 期待のまなざしをクロード先輩に向けると、彼は考え込む。


「そうですね……選出者にまつわる祭りが伝承から生まれたものであるって事は聞いたことがありますよ。役場の祭事担当者なら必ず学ぶことでしょうし」


 ――で、情報課のクロード先輩はなんで知っているのよ?


 心の中で突っ込みを入れるにとどめて、あたしは相槌を打って話を促す。


「『神の使いが選びし者を選出者とし、特別な力を与える』みたいなことはどこかで読んだことがありますね」


 ――ん?


 あたしは生野菜をもぐもぐしていたのを飲み込む。


「特別な力?」

「えぇ。具体的な資料はありませんでしたが、確かそのようなことが書いてあったかと」

「ふむ」


 特別な力――それは神様を孕むことができるということだろうか。それとももっと別の何か。

 ちなみに夢の話の中で、選出者を辞退するための方法については伏せている。いや、だって、説明するの恥ずかしいじゃない? 黙っていても構わない事項ならこちらから明かす必要はないでしょ、きっと。


「ははは。ミマナが魔法を使えるようになったら似合わないな」


 何を想像したのかは知らないが、マイトはあたしを見て笑う。


「に……似合わないって? そこ、そんなに笑うところかしら?」

「だって、魔法って後衛の連中がせこせこやるもんだろ? 特攻しちまうミマナには合わない」


 その台詞にいち早く反応したのはあたしではなかった。


「せこせこというものでもありませんよ? 前衛に対し強化系の術を使ったり、敵の攻撃力を削ぐための防御系の術を使うだけでなく、きちんとした魔導師であれば敵自体を倒すこともできます」


 不機嫌な言い方のクロード先輩。彼がこのような言い方をするのは珍しい。


「魔導師なんて筋力なしの頭でっかちじゃないか。本読むだけじゃなく身体も動かせってぇの」


 彼の人生の中で何があったのかは知らないが、マイトは魔導師のことをいつも悪く言う。彼の意見はかなりの偏見だと思うが、しかし魔導師をよく思っていない人は多い。誰もが使えるわけではない不可思議な力を扱える存在、それが魔導師と呼ばれる人々だから。人間は、自分で理解できないものをとことん嫌う性質を持つ。その顕著な例がマイトだと思う。ちなみにあたしはそこまで嫌ってはいない。


「そうおっしゃるなら言わせてもらいますけど、前衛の戦士なんてただの暴力愛好家じゃないですか。血と肉に飢えた野蛮な存在だ」


 口元を小さな布で拭いながらクロード先輩が棘のある口調で言う。


「なんだと!」


 がたんっと椅子を倒して立ち上がるマイト。クロード先輩の態度が気に入らなかったようだ。


「ほら、あなたはそうやって力で訴えようとする」


 やれやれといった様子で肩を竦めるクロード先輩。さらに続ける。


「人間はもっと知性豊かな生物です。言葉が通じれば互いの意見をぶつけ合うことは可能でしょう? それを放棄するような人間は野蛮な存在であると言っているのです」


 冷ややかなクロード先輩の視線と、怒りで燃え滾るマイトの視線がぶつかる。


 ――うーん、この二人の内面は正反対だなぁ……。


 あたしはふぅっと息を吐き出す。


「はいはい、二人ともそこまでにして。食堂を出入する人も増えてきたんだから、騒ぎを起こさないでちょうだい」


 マイトが倒した椅子を起こし、彼に座るよう裾を引っ張る。そしてクロード先輩には視線で示す。


「――ミマナは文句ないのか? クロード先輩にあぁ言われて」


 しぶしぶ腰を下ろすマイト。あたしの横顔に小声で訊ねてくる。


「そうね。あんまりいい気持ちじゃないけど、口より先に手が出ちゃう性格だってことはあたし自覚しているもん。そういう意味なら、あたしはクロード先輩の言う野蛮な存在ってことになるわ」


 だから前衛志望。後ろで落ち着いて状況を判断して戦略を練るなんてこと、あたしには到底できない。


「ミマナ君はその意味で言うならそうなりますね」


 クロード先輩は前に流れてきた長い三つ編みの毛先を優雅な仕草で後ろに払う。


「ですが、環境が変われば違ってくるかと思いますよ。ミマナ君はマイト君と違って柔軟さがありますから」

「頭がっちがちのクロード先輩に柔軟さがどうだとかの講釈は受けたくない」


 むっとしてマイトが返す。その態度がまだまだ子どもっぽい。


「それはそれは失礼いたしました」


 そんなマイトを口先だけで軽くあしらうクロード先輩はだてにあたしたちより数年長く生きているわけじゃないといったところか。大人の態度と言うにはまだまだのような感じだが、年上の態度には違いがないと思う。


 ――うーん。この二人と一緒にいて大丈夫かな? 変に対立しているし。


 あたしは正直頭が痛い。


「――えっと……話を戻していいかしら?」


 途中から魔法がどうのと言う話になって脱線してしまっている。本題はそこではない。


「何の話だっけ?」


 本気で忘れているらしい。マイトがきょとんとして言うのを、あたしは睨んで返す。


「選出者を決める神の使いの人数だとか、それぞれの目的だとか――」


 そこで一度区切ると、声を低めて続ける。


「神を倒せなかった場合どうなるのか、とかね、そういったことに関係ありそうな伝説や伝承は知らない?」

「さぁ……どれもこれも関係していそうですからねぇ。確実にこれだと言うことはできませんよ」


 それもそうだろう。祭事関係のお話はあたしの町だけでもいくらでもあるし、これが町単位で存在し国家にまで及ぶと言うならば数も果てしないことだろう。書物としてまとめられているものもあれば、口頭で受け継がれているものもあるだろうし。

 当然だと納得していたあたしに、クロード先輩は人差し指を立てて横に振る。


「ん?」

「しかし、選出者に関連した祭りの話なら、ここの役場にも資料があるはずです。見に行ってみるのも手ではありませんか?」

「あ」


 クロード先輩の言うとおりである。あたしの町に隣接するいずれの町にも、選出者を出して今後十年の町の栄枯盛衰を占う祭りは存在する。発祥はおそらく似たり寄ったりであろう。


「そうとくれば、これから町役場ね。図書館併設型だと助かるんだけど」


 残っていた牛乳を飲み干すとあたしは勢いよく立ち上がる。


「さぁ、どうでしたかね。いくらか施設が充実しているとは思いましたが」


 農村の役場よりもずっと都会のこちらの役場の方がいくらか規模が大きいことだろう。街の活発さからしても期待できると思う。

「動き出さないと始まらないのは事実だからな」


 マイトは気乗りがしないようだが、頷くと立ち上がる。


「ようっし。待っているのはあたしの性に合わないもんね。こっちからも仕掛けるわよ」


 二人がついてきてくれることを確認したあたしは、早速町役場に向けて歩き出したのだった。

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