第1話 車に揺られて

 ドライブは嫌いじゃない、むしろ世間一般からすれば私はドライブ好きにカテゴライズされる。青く晴れた海辺を真っ赤なオープンカーでドライブなんて素敵だし、だれもがきっと一度は憧れるシチュエーション。まさに男の夢って感じ。なんせ男ではない私までもが現にこうして憧れを抱いているのだから間違いない。でも実際オープンカーでドライブなんて日差しはきついわ、トンネルのなかは臭いわで走るのも結構大変らしい。


 結局、現実なんてそんなもの。都会から離れて田舎で暮らすなんて聞こえはいいけど、正直不安でしようがない。


 私は今日、十数年間暮らしてきた街にさよならを告げた。そして今は新しい町への道すがらである。


 そこは母の生まれ育った町だという。叔母から教えてもらった。その叔母の地元愛も全く見当たらない思い出話で聞いた限りではまさに絵にかいたような「田舎」だという。話しているときの叔母さんの顔は何か闇に満ちみちていたのをよく覚えている。絶対地元で何かあったよね。


 怖くなった私はその話題については深く追求しなかったけれど。叔母さんいわく、スーパーや日用品売り場さえあれど少なくとも今よりはずっと不便になることは確からしい。でもその反面、都会より人は少ないと思うし、人と関わる機会が減るのは少しうれしいかも。


 一人の時間が増えるのは喜ばしいことだ。


 私は新しい環境になじめるだろうか。まあそれなら以前住んでいたところならばなじめていたのかと聞かれると少々返答に困るところではある。


 学校では特に目立つこともせずに、いわゆる「空気」として過ごしていたし、無難というか、誰が見たって決して面白くはない生活をしていた。

 最近なんてほぼ引きこもりの様相を呈していたので、もう同級生の顔もほとんど覚えてない。


 こんな状態を馴染むというのなら私は意外と馴染むのが得意だと言えたりするのだろうか。


 学校という場所は「仲間」だとか「協力」だとか小綺麗な言葉を並べて友達作りを推奨する反面、その輪から外れた所謂「ぼっち」を排斥しがちだ。

 だから独りでいると何かと不便な事もあるし、時には寂しく思う時もある。

 私にも、友達とかと恋の話とかその他もろもろ他愛のない話で騒いだり、放課後に美味しいケーキ屋さんがあるんだよーとかいって寄り道するのに憧れた時期があった。

 

 でもそれは以前の私。

 私は出会ってしまったのだ。自分の天職と云うものに。そして現在はそれに関して猛勉強中である。とても恋だのケーキだのにうつつをつかしている暇はない。

 嘘じゃないよ。だって私ケーキ嫌いだし。特に季節限定白イチゴの乗った濃厚生クリームのショートケーキ(一日100個限定)とかだいっきらい。


 だから私は別に馴染めなくても構わない。


 そもそも私が学校を孤独に過ごす羽目になってしまったのは、すべての元凶が存在したからなのだが、ここで話すのはやめる。思い出しているとますます気分が悪くなってしまいそうだから。


 長時間同じ体制で座っているから腰やお尻は痛くなるし、車酔いで気分はグロッキーだしで最悪だ。もう今すぐ窓から身を乗り出して「東京のバカヤロー」とでも叫びたい気持ち。


 ドライブ好きとはいえ、さすがの長旅に気が滅入ってしまいそうだ。そもそも車は運転をするのが楽しいのであって助手席ならまだしも後部座席に乗っていて何が楽しいのか。いや楽しいことがひとつあった。窓の外を眺めて過ぎ去っていく電信柱の数を数えていくこととか。


 電信柱があまりに等間隔に並んでいるものだから暇潰しとしてリズムよく数を数えていると本当にリズムができてくる。でもちょうど良いところに差し掛かると不意討ちを決めるように電信柱が無くなってこちらのペースを乱してくるのだ。それが太鼓の達人みたいで楽しかったし、結構マイブーム化してたときがあった。

 でも結局それが原因で車に酔ったもんだから親に「遠くの方を見てなさい」って怒られてたなぁ。


 やっぱり車は運転するのが数倍楽しい。まだ運転免許証さえ持っていない私が言うのもなんだけれど。でも少しかじったレーシングゲームや持ち前の妄想力でシミュレーションは出来ているし、きっと実際に車を走らせるのはきっと気持ち良いのだろう。それにほら、座っている人よりも運転している方が眠くなりにくいと聞いたことがあるし。特に私みたいに後部座席にいる人なんかよりも──。


 

 少しだけ空いた窓の隙間から、ふと磯の匂いが鼻孔をくすぐった。


 目を開けると目の前の運転席には艶やかな黒髪を一括りにした女性が鼻歌混じりに私の知らない歌を口ずさんでいる。


 どうやらまだ目的地にはついていないらしい。

 私はまだ冴えきらない目をこすりながらパワーウインドウに手を伸ばした。少しばかり開いた窓に顔を近づけると、景色こそ変わらない雑木林ばかりだが、だんだんと磯の香りが強く感じられるようになってきた。海の匂いをたっぷりと含んだ少し冷たい海風が起き抜けの頭に心地いい。

 さきほどまでの車酔いも少し眠ったおかげで外の景色を楽しむ余裕ができるまで解消されて、気分は清々しかった。


 しばらくの間、窓の隙間から外の空気を浴びて体を前に向け直すとバックミラー越しに運転席の女性と目が合った。


「あ、やっと起きましたか、お嬢さん」


 このからかうような口調はいつものことだ。ミラー越しでもわかるきりっとした眉と整った目鼻立ちに赤縁の眼鏡がよく似合っていて、いかにもできる女といった印象を受ける。最初はね。


 ちなみにお嬢さんというのは私がもっと小さかった頃、テレビの中世特集に影響を受け、結婚式に出席する用のドレスを引っ張りだしては近所中を歩き回ったおかげで名付けられた不名誉な名前である。よりにもよって母がその話を親戚中に触れ回ったものだから今でも集まりがあれば笑いの種として使われる始末だ。


「その呼び方やめてください、おばさん」


「おばさんじゃなくておねえちゃんと呼んでって言ってるでしょ、こずえちゃん」


「いや、呼びませんから」


 この人が私のおばさん。正確には私の母の妹だから私からすると叔母にあたる。だからおばさん。どう転んだって伸身宙返りをしたっておねえちゃんにはならない。


 それに私はこの人が苦手だ。嫌いという意味ではないのだけれど、何というかこの人とは深く関わってはいけないと第六感がささやいてくるのだ。具体的に理由を挙げるとするなら


「でも久しぶりにこずえちゃんの寝顔見ちゃったよー。いやほんとにかわいい、マジ天使ってやつだね。写真撮っておきたかったなー」


 まさしくこれが理由である。というか良い歳にもなってマジ天使はどうなのよ。


 この人は何かにつけて私に構ってくる。去年のお盆で親戚一同が集まった時なんて一日中私にくっついてきて、それはもうアロンアルフア並みの接着力だった。別の時にしたって、私の話はよく聞いてくれるわ、誕生日でもないのに欲しいものを買ってくれるわ、電話したら距離もあるのにすぐに駆け付けてくれるわで、もうどれだけ私のこと好きなんだよ、私そこまで愛されるようなことしてないんだけどってくらいには好意を持たれていると思う。


 少し変に思われるかもしれないが、こんなにも純粋な好意は普段受け慣れていない私にとってはまぶしすぎる。何か胸の辺りがむず痒くなってしまうのだ。だからおばさんは好きだけど、苦手。


「そんなことより、目的地まではあとどのくらいなの?」


「そんなことって、相変わらずつれないなーこずえちゃんは。そうだねー崎ノ浜まではあと30分くらいでつくと思うよ。もしかしてトイレ行きたくなった?」


「ううん、大丈夫」


「そかそか」


 ふとおばさんは窓の外を眺めて、物思いにふけるように遠い目をする。

 

「それにしても崎ノ浜かー、結構久しぶりだなー。実はこずえちゃんも小さい時にも一度来たことあるんだよ。覚えてないでしょ」 


 私はミラーに向かってコクリと頷いた。実際その場所については全然覚えていない。崎ノ浜と聞いてもピンとこなかったのは私がまだ小さくて地名まで教えてもらわなかったからか、それとも覚えておくほど大した思い出がないからなのか。

 そういえばおばさんに連れていってもらった遊園地のことを話した時も、私はほとんど覚えていなかったので「こずえちゃんは連れていき甲斐のない子だねえ」なんて皮肉られていたくらい忘れっぽいというか、それに関しては本当に申し訳ないとは思っている。


 でも子供のころの記憶なんて誰もが鮮明に覚えている訳じゃない。それに、たとえ今はその思い出を忘れていようとも、私の一部として役立っているはずなんだ。きっと、たぶん、おそらく。


「こっちは変な人も多いけど、空気はおいしいし、景色もすごくきれいだからこずえちゃんも目一杯満喫してきなよ」


「うん。まあ、頑張る」


「あはは、頑張らなくてもいいんだよ。着の身着のまま感じるままに、だよ」


「なんじゃそりゃ」


 こんな会話をしている間にも車は進んで、ある交差点に差し掛かったとき、ふと道路わきに佇む一人の男の人が目に留まった。

 その男は手に何やら文字の書かれたプラカードのようなものを持ち、こちらに向けている。

 見るからに長身で、アメリカの国旗がプリントされた帽子をかぶり、顔にはひげを蓄えているが中年というほどの年ではなさそうで、日本人らしからぬ顔立ちからすぐに外国の人だと察しがついた。どうやらヒッチハイクをしているらしい。

 目を細めてその男の目的地が書かれているであろうプラカードを凝視すると、そこには聞き覚えのある[崎ノ浜]という文字が書かれていた。


「ねえおばさん。あの人観光者かな。私たちと同じところに向かうみたいだけど」


 ヒッチハイカーなんて初めて見たせいか、ちょっとした偶然の出来事に興奮交じりで指をさした先をおばさんも確認する。その時、おばさんが見てはいけないものを見たかのように一瞬はっとしたか表情を浮かべたかと思うと、すぐに顔を前に向き直してしまった。


 急にどうしたのか。

 尋ねてみてもかえってくるのは生返事ばかりで、なんであの人がここにとかなにやらぼそぼそとつぶやいているだけだ。

 おばさんはヒッチハイカーになにかトラウマでもあるのだろうか、なんていうのは軽い冗談。

 この明らかに怪しい反応に気が付かない私ではない。さては昔の知り合いかと考え、もう一度その男の顔をしっかりと確認してやろうと外を見る。すると案の上、男はこちらに気が付いた様子で運転席のおばさんに手を振りながら近づいてきていた。


「おばさん、あの人おばさんの知り合いじゃあ……」


「ごめん、ちょっととばすよ」


「え」


タイミングよく変わった青信号を合図にするように、おばさんの愛車、demio愛称デミちゃんは勢いよくスタートを切った。

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