五十一話 二人きりの空
暗がりに沈黙する空を誰もが見上げ、一番星のように浮かび上がる浮遊聖域に気を取られる。
ただ一人、その中へ囚われた女の子。甘海に抵抗の素振りはない。彼女もまた空を見上げ、更に上から落ちてくる人影を注視していた。
ほどなく、不死王リーシェッドと甘海は対峙する。
「随分時間がかかってしまったな。お待たせアマミ姉」
クリスタルの表面をすり抜け、内側に入った瞬間重力が失われる。ふわりと甘海の前に位置どったリーシェッドは、見慣れない無表情を作る甘海の顔を確かめると静かに息を吐いた。
「意識はないが、聞こえているのだろう? ごめんな。我のせいで死ぬほど辛い目に合わせてしまった」
「……」
甘海は動かない。話を聞いているというより、目の前の魔王を完封させるだけの魔力を溜めようと回復に努めていた。今の二人はほぼ互角。逃げ場が無い以上、下手に動こうとはしない。
その様子に罪悪感を感じ、しかし飲まれないよう慎重に息を整える。
「話していても苦しい時間が延びるだけか」
リーシェッドは構え、甘海も迎撃態勢に入る。
「さぁ、我の器を返してもらうぞ」
リーシェッドは足に溜めた魔力を爆発させ甘海との距離を一瞬で詰める。刹那の遅れもなく甘海も前に出た。
魔力を込められたお互いの両手が勢いよくぶつかり合い、同時に握る。余力が僅かに上回る甘海はリーシェッドの手を握り潰そうとするが、魔力の動きに異常を感じすぐさま離そうとした。
「逃がさんよ」
更に強く力を込めたリーシェッドは頬を吊り上げる。接触の成功。既に甘海から魔力の器を引き抜く流れを作っていた。
それは傍から見ても理想的な初動。魔力を抜かれると思っていなかった甘海は不意をつかれ、ほぼ無抵抗な状態で器の半分を掴ませてしまった。
「これなら…………うぉおっ!?」
かなり有利な状態でスタートを切った綱引き。しかし、甘海の引き戻す力が想像以上に強く、リーシェッドは歯を食いしばった。
少なくないリードを奪いコントロール力で確実に上回るはずなのに、器はジリジリとリーシェッドから離れていく。甘海の圧倒的不利を覆すものが何なのか、彼女はすぐにそれを知ることになる。
「そうか、リミッターか!」
甘海の腕の血管が大きく膨らみ、皮膚を破って流血する。筋肉や骨に異常な負荷がかかり、軋むように小刻みに震えていた。
無意識にかかるはずのリミッターが当たり前のように外れている。肉体がそうであるならば、魔力にも同じ現象が起きていると見て間違いない。抑制魔力の扱いがわからない甘海が全力で動けば身体が先に壊れてしまうのは必然であった。
リーシェッドは頭をフル回転させて考える。時間を掛ければ甘海の身体は取り返しのつかない事になり、そのまま引き抜きに成功しても外傷で死んでしまう。かといって、多少の回復を担う呪いが発動してしまえば綱引きに負ける。
「くそ……どうすれば」
聖域の中で闇が渦巻く。力の激流に晒される二人に残された時間は少ない。
せめてもの抵抗と、リーシェッドは意識的にリミッターを外し節々の激痛に身を投じる。これで何とか器の流動は止められたものの、不安ばかりが募って心が折れそうになってしまっていた。
その時、彼女の視界で何かが光る。
「シャーロットのブレスレット……」
愛する従者がくれたブレスレット。はめ込まれていた魔石が抜けた不細工な腕輪が、リーシェッドの頭を澄ます。
「魔力干渉。そうか……いやしかし」
リーシェッドがイメージした答え。それは余りにも奇策で一種の賭けである。成功の確率は限りなく低く、失敗すれば確実に立て直しが出来ないほどに無謀な考えに本人すら思考を疑う。
無意識に伏せていた顔を持ち上げる。今も傷つきつつある大好きな甘海。守りたいと願った気持ちが今の彼女を生み出した。
そう、守りたかったのだ。
「アマミ姉」
リーシェッドの目に光が満ちる。
「今度こそ、我が守ってやるからな」
決意は固まった。
ずっと守られたかった。
ずっと守ってもらった。
だから、守る側になると誓った。
失敗に足を取られる訳にはいかない。四肢に力を込め、時が来るのを待つ。それまでの周期を考えると間もなく訪れる。
僅か数分の経過。辺りの魔素が増え始め、魔王達が最も避けたかった、リーシェッドだけが最も待ちわびた瞬間がやってくる。
甘海の瞳孔が揺れ、リーシェッドは微笑んだ。
「アマミ姉。我はここだぞ」
「りっちゃん……」
どくん。
彼女は生き返る。
呪いが発動した。
甘海の身体が大きく鼓動し、集まってきた魔素が急速に体内に取り込まれる。爆発するように膨れ上がる魔力が甘海の命を蝕む瞬間。リーシェッドは動き出した。
「はぁああああああああああ!!!!」
残りの少ない魔力を全放出し、ブレスレットを発動して出力を上昇。
その全てを、甘海へ注ぎ込んだ。
「何やってんだお前!!」
「何してるの!!」
周りの声を遮断し、自らの行いを信じる。
リーシェッドと甘海の魔力差はもはや比にならない。しかし、燃えカス同然のリーシェッドは集中力を更に高めつつ注ぎ続ける。
そして、辿り着く。
「見つけた……」
二人の間に生まれる魔力の流れがピタリと止まり、リーシェッドは語り掛ける。
「さぁ、アマミ姉。我に器を返すんだ」
「でも……私……」
呪いが発動したはずなのに、甘海は絶命していない。意識は朦朧としているが確実に生きている。
ブレスレットで上乗せされたリーシェッドの魔力が、甘海の抵抗魔力への魔力干渉に成功し、同時に回復力を補助していた。リーシェッドがコントロールしている間ならば、甘海は死の魔力に飲まれることは無い。
だが、残された時間は多くはなかった。
「ま、まずい……アマミ姉! 早く我に魔力の器を返すのだ!」
「そんな、私どうすればいいか……うぅ」
どんどん強くなる痛みに耐える甘海。奥歯を砕くほど噛み締めているこの時が限界であった。
主従関係の魔力譲渡とは別物である魔力干渉は、リーシェッドがダークエルフの血を引いているから咄嗟に出来たものだ。純血で、さらに鍛錬を重ねてようやく使いこなしたシャーロットとは格段に質が下がってしまう。今は子供が崖に垂れ下がったロープを片手で掴んでいるような状態。少しでも気を緩めればその瞬間終わりだ。
リーシェッドは繋がった片手を解き、甘海を強く抱き締めた。身体の中心にある魔力核をより近付けることによって時間を稼ぐ。
「ぬぐぐぐぅっ! イメージするんだアマミ姉! 我に全部委ねよ! 心を……」
「うあ"ぁああああああああ!!!!」
甘海の身体に、神経を直にすり潰されるほどの強烈な痛みが襲い掛かる。涙と涎にまみれ、いつショック死してもおかしくない。
辛うじて繋がっているリーシェッドの魔力が底をつくまで数秒程度。視界が霞んできた彼女は考える。
甘海の意思で器を返上させる作戦。その甘海が混乱していては成功なんて有り得ない。
仕方の無いことであった。甘海は普通の女の子。田舎の小島に細々と生活し、優しくおおらかに育っていた。それが突然大人の男達に蹂躙され、理解もできない魔力を身体に流し込まれ、無理矢理魔界に連れてこられ、何度も生き死にを繰り返す苦痛を味わう。精神崩壊しない方がおかしい。会話が出来る状態が奇跡とさえ言えてしまう。
その彼女に何と声をかける。
『我を信じろ』
『頑張るんだ』
『アマミ姉は強い子だ』
『これが最後なんだ』
『我を守ってくれ』
リーシェッドの頭に浮かぶ言葉に力は無く、どれも今の甘海へ届くイメージが沸かなかった。
痛みの波を凌いだ甘海はリーシェッドをじっと見守る。何かを待つように。深く飲み込まれそうな眼差しに、リーシェッドは無意識に口を動かしていた。
「アマミ姉」
そこに思考はない。
「帰ったら」
だだの願望。
「一緒に冷麺食べような」
リーシェッドはニコっと笑った。
甘海の目に光が戻り、二人を繋ぐ魔力の流れが逆流する。
「「うわぁぁぁああああ!!」」
魔力変動に地表が揺らぎ、地震に足を取られたギャラリーから多くの声が上がる。随一の魔力を持つ魔王の核が晒され、その影響は先の包囲攻撃に匹敵する。衝撃は浮遊聖域を破壊し、瞬く間に闇が広がっていく。
球状に肥大した闇は既のところ、誰にも触れないうちに静止した。中で何が起こっているのか、動きを見せない闇に誰も手が出せず、ただ傍観するしかなかった。
『これ、どうなってんだ?』
『攻撃的な魔力は、感じない』
『リーシェッドの魔力なのか、甘海ちゃんの魔力なのかよく分からないや』
『ミッドフォールはどう思う?』
『……もう少し様子を見よう』
意思疎通魔法が各所から飛び交い中の二人を案じ始めた頃、ようやく闇は収縮し始めた。ゆっくり、ゆっくりと小さくなるそれは、一人の女の子へと吸収される。
身体が小さく、不格好なマントに、空を溶かした雲のような白髪の女の子に。
「あ……」
誰ともなく声を漏らす。細く頼りなかった不死王の身体から漏れ出す膨大な魔力の気配。みんなが知る不死王が帰ってきた。
世界を背負う賢王の一人。最も破天荒で、最も優しい死の誘い手。不死王リーシェッドの復活。
作戦は成功した。
夜の帳を味わうように静かな終結を迎え、緩やかに下降するリーシェッドの腕の中には人の姿を取り戻した甘海が眠っていた。
甘海の安定した生命力を感じ、大事無いことを確認したリーシェッドは安堵する。器の返還の最中、何とか外傷を治療することも出来たようだ。軽い擦り傷のような箇所が少なからずあるが、筋肉や骨、内蔵は完治されていた。
「んん……」
「アマミ姉?」
「りっちゃん……ここは?」
「魔界だ。我の生まれ育った世界……それより、痛むところはないか?」
「ん、大丈夫。ちょっと眠いけど元気だよ〜」
胸の上で力なく拳を作る甘海。それもすぐに解かれ、うつらうつらと重たそうな瞼に抵抗する。
「寝て良いぞ。起きたらフカフカのベッドだ。我のベッドは広いんだぞ?」
「えへへ、それは……楽しみ……」
再び眠りにつく甘海は、人間界にいた時のように心地よい表情を浮かべていた。あの激しい戦闘も夢の出来事として記憶しているのかもしれない。それほどに安らかな寝顔だった。
リーシェッドは甘海の首にコルカドールから預かった『羽』を掛け、気合いを入れ直すように顔を振り、いつものドヤ顔を作って下降する速度を上げた。
「よし! 凱旋だ!」
いつしか足元に広がる歓喜の声に飛び込む少女。迎えるは彼女を快く受け入れる民や仲間。
魔界全土を巻き込んだ『甘海救出作戦』は軽傷者と僅かな重傷者こそあれど、誰一人死者を出すことなく成功を収めたのであった。
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