第11話 邂逅

 慣れないベッドでは、よく眠れなかった。

 人がいなくなって静まり返った東京の夜と違い、イズモの夜は周囲に人の気配があって賑やかだ。 俺は横になって一晩中、その音に耳を澄ませていた。


 朝になって身だしなみを整えると、ルームサービスで朝食を食べる。

 焼きたてのパンに、スクランブルエッグとソーセージ、ヨーグルトやサラダが添えられた立派な朝食だ。

 久しぶりに他人の作った温かい料理を食べた。

 当たり前だが、レトルトや缶詰めと違って非常に美味しい。


「お迎えに上がりました」


 朝食後に、昨日会ったのぞみという女忍者が訪ねてきた。

 今日は忍者服を着ていない。

 紺のパンツスーツを着て髪を後ろ頭でまとめ、細いフレームの眼鏡を付けている。昔ドラマで見たことのある秘書の格好だ。


「なんですか」

「それってコスプレ?」

「刺しますよ」


 瞬時にクナイを突きつけられて、俺は首を横に振った。

 

「お、俺は何も言ってない! 気のせいだっ」

「ちっ」


 希はクナイを上着の内側に戻した。

 なんだよ、その舌打ちは。危ない女だなあ。


 俺は希に案内されてエレベーターに乗った。

 昨日は上の階に行ったが、今日は下の階のようだ。

 エレベーターは一階まで降り……そのまま止まらずに下降を続ける。


「おい」

「お静かに。ここから先は、関係者以外立ち入り禁止です」


 夏見お前、何を見せるつもりなんだよ。

 明らかに隠し表示だと思われる、エレベーターの黒い液晶パネルに、「Under 07」つまり地下七階という文字が明滅する。


 扉が開く。

 エレベーターホールからは、無機質な灰色の通路と、セキュリティロックのかかったいくつかの部屋が見えた。内部が見えないように窓のない部屋が続いている。

 何かの研究施設、か。


「おはよう、神崎」


 車椅子に乗った夏見が俺を出迎える。

 希が車椅子を押し、俺たちは通路を歩き始めた。


「……何を見せてくれるって?」

「核心に入る前に、少し説明させて欲しい。まずは現在の社会情勢について」


 俺の疑問にすぐに答えずに、夏見は説明を始める。


「日本は今、新京都を中心とした関西より南の地方を統括するヤマト、北海道を中心とした関東から北を統括するホクト、そしてこのイズモの三つに分裂している」

「……もう、日本という国は無いのか?」

「諸外国と話をする時は、ヤマトが我々を代表して日本を名乗っている。と言っても、三つの政府それぞれで独自の外交ルートがあったりするがね」

「無茶苦茶だな」


 かつての日本を知る俺にとっては、激変としか言いようがない。

 しかし物語の中にしか存在しなかった悪魔が現実に現れた時点で、世界はとうにおかしくなっていたのだ。今さら日本が分裂したと言われても驚かない。


「外国も悪魔に滅ぼされた国があったり、大変なようだよ。今は他所の国より、どこも自分の国内で手一杯だ」

「そうだろうな」

「話を戻そう。ヤマトは、新京都で、悪魔を利用する研究を今も続けている」


 数十年前、祓魔省は上級悪魔と闇取引して、国民には知らせずこっそり非道な人体実験をしていた。それが今も続いているという。


「以前の研究は、悪魔と人の間に子供を作る実験だった……」


 俺は普通の人間として一般家庭で育った。しかし新京都の戦いのさなか、実験で生まれた子供だと知らされた。

 許せなかった。

 祓魔省に潜む上級悪魔を、俺はどさくさに紛れ強引に倒した。世間の知らない、新京都EVEL侵攻事件の真相だ。悪魔と癒着していた祓魔省の権力は強く、俺たちは新京都にはいられなくなった。

 当時の心境を思いだしかけて、俺は憂鬱になる。


「今は悪魔から祓魔省に情報提供はないだろ。その研究を無くすために、俺たちは戦ったんだから」

「そうだ。しかし別の形で研究は進められている。人間を悪魔にする研究だよ。具体的には、幼い子供に加工したイービルウイルスを注射して、暗示などで洗脳し、悪魔の兵士に仕立てあげる……」

「胸くそ悪いな」


 話している内に目的地に着いたようだ。

 突き当たりの扉が、左右にさっと開く。

 内部は分厚いガラスで分断されており、ガラスのこっち側はモニタールームのようになっていた。モニター機器の前では、白衣を着た男が座っている。

 そして、ガラスの向こう側には、黒いベルトで拘束された、人間のようなモノが眠っていた。


 彼女は……そう、若い女性だ。全体的な雰囲気から、直感で性別が分かった。身体のパーツが繊細で丸みを帯びている。

 人間のようなモノ、と表現したのは、彼女の下半身に蛇のような尻尾がうねり、両手足がトカゲのように鱗で覆われ、カギ爪が付いていたからだ。

 彼女は見たことのない美しい異形だった。

 肌の色から髪の色まで真っ白。

 辛うじて人間の形を留めた頭部と、肩。わずかに膨らんだ乳房が剥き出しになっている。黒い革ベルトが服の代わりのようだ。際どい格好だが、トカゲのような下半身のせいで色気は感じない。

 のんきに上半身はだかの女の子を観賞するような気分になれない。肌を刺すような緊迫感が漂う部屋だった。


 ここまでの説明で、俺には彼女の正体に推測が付いている。

 彼女は、新京都の実験で作られたモノだろう。


「……これが、君に見せたかったもの……いや違う、君に会わせたかった子供だ」


 夏見は部屋に入ると、俺を真剣な表情で見た。


「ヤマトは複製クローンの子供を作り、イービルウイルスを使って前線の兵士にし、暴走する年齢になったら使い捨てている。偶然、その廃棄処分される間際の子供を保護した」

「保護? これが?」

「仕方ないのだ。もはや抗EVEL鎮静剤が効く段階は通り越している。完全に悪魔に変化して暴走する、一歩手前だ」


 俺たちの話し声に気付いたのか、彼女は頭を上げて目を開く。

 その瞳の色は石榴ざくろのような深紅だった。


「神崎。どうかこの子を、救ってやってくれ。私たちには、どうすることもできないんだ」


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