第9話 夏見
それは助けられるかもしれない人を、切り捨てなければいけない、ということ。
俺たちが挑んだのは撤退戦だった。
大都市から避難する人々を、安全な場所まで送り届けるための戦い。
悪魔が多くなった関東から、余裕のある関西圏へ、移住が始まった。
もちろん移住できない人々も多くいた。
逃げ遅れた人々がどうなったか、よく分からない。
遺体は悪魔によって掃除されて跡形も無くなってしまうから。
記録にも残らず消えていく人たちがいることを、俺たちはただ手をこまねいて見ていた訳では無かった。
退却するタイミングについて揉めるのはこれがはじめてではない。
「あともう少し、踏みとどまりましょう!」
「だが、助けを待っている人たちはまだ、他の街にもいる!」
東京支部の前線基地では毎日のように議論が交わされていた。
「……残るのは俺ひとりでいいでしょう」
「神崎」
「その方が都合がいいはずだ」
俺が
なぜなら、俺の存在は計画されていたものだったからだ。
人間側は
上級悪魔と祓魔省の上層部は組んで、非道な実験を重ねていた。
自分の正体を知ったのは、新京都でEVEL対抗部隊に配属された後のこと。戦いの中で俺は、
周囲の思惑に振り回され、俺は次第に疲弊していった。
大多数の一般の人々にとっては、悪魔と人間のハーフは災厄の種で、いなくなった方が良い生き物だ。その事実はさらに俺を追い詰めた。
静まり返るミーティングルームで、眼鏡を掛けた怜悧な容姿の男が、口を開く。
「……私と羽川は、神崎と共に埼玉の探索を続けます」
「夏見さん?」
「一人になるな、神崎」
夏見はエリート官僚のような雰囲気の男だったが、冷たそうな雰囲気に反しては情に厚い。
彼をはじめとして、俺を人間の側に引き留めようとしてくれた人たちがいた。
どんなに時が過ぎたとしても、彼らのことを忘れられないだろう。
「――埼玉で、逃げ遅れていた私と家族を、助けてくれたのが、神崎君と夏目総司令ね」
追憶にひたっていた俺は、
「今度もまた、助けてもらったのね。神崎君、よければ今夜はうちに泊まっていって」
「ありがたい申し出だけど……先に夏見さんに会わなきゃな」
埼玉で出会った女性、葵は、奇縁にも
にこにこと宿泊を勧められたが、俺は丁重に辞退する。
このイズモのトップらしい夏見と会わないと、落ち着いて眠れなさそうだ。
それにまだ、イズモに逗留すると決めた訳じゃない。
「神崎さん、総司令のところへは俺が案内するよ。ちょうど報告に行かなきゃいけないところだ」
彼は手元の端末をのぞきこんで、嫌な顔をしている。
どうやら俺の案内を命じられたらしい。
「とりあえず俺以外は、ここで解散。葉月、また学校で」
「うん」
リーダーが代表で報告して、部下は直帰という指示のようだ。
みつるをはじめとする他のチームメンバーは、俺のことを気にしながらも「今日はお風呂に入ってゆっくり寝たい」などと言いながら方々へ散っていく。
葵も葉月を連れて「じゃあ後でね」と言って背を向けた。
「行きますか」
「ああ」
博孝に促されて、俺はイズモの街を歩き始める。
汚くはないがラフな格好、Tシャツにジーンズの俺を道行く人がちらちら見ていた。イズモの人々は、都会的でおしゃれな服装をしている。服装から察するに、この街は治安が良くて経済的にも豊かであるようだ。
俺たちはイズモの中央に立つ、青い
ビルの一階には、駅の改札口のような入退場ゲートがあった。博孝はカードをかざしたりすることもなく、普通にすたすた歩いて通っていく。生体認証によるシステムらしい。うーむ、俺が通っても大丈夫なのか。
「神崎さん?」
「いや、部外者の俺が通れるのかと思って」
「登録済だと聞いてる」
早くしろと目で脅されて、俺は仕方なく後に続いて通った。
何事もなくグリーンライトが点滅して認証が通る。
これでブザーが鳴ったら笑うところだ。
ゲートを通って通路を進み、エレベーターに乗る。
床や壁が綺麗過ぎて落ち着かない。
二十五階と表示された階層でドアは開いた。
「……わっ」
「御免!」
突然、走り込んできた「くノ一」のようなお姉さんに攻撃されて、俺はびっくりして避けた。
博孝はポカンとしている。
女忍者はしなやかな腕を伸ばし、脚線美を誇るように回し蹴りを放ってくる。
俺は手刀を片腕で払いのけ、軽く跳躍して女忍者の隣をすり抜けた。
「なっ?!」
「手荒い挨拶だな。これがイズモ流ってやつなのか? なあ、夏見さん」
女忍者を無視してフロアの奥に進む。
奥から笑い声がして、車椅子に乗った初老の男性が現れた。
「許してやってくれ。彼女はまだ若いんだよ」
すっかり白髪になり目元にシワの寄った男性の顔には、夏見の面影があった。
「イズモへようこそ。いや――おかえり、神崎」
夏見さんは俺を見ると、茶目っ気たっぷりにほほ笑んだ。
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