第19話・ほけんしつのおねいさん
「…つまり、秋埜との仲が良すぎて全校レベルで妙な誤解を受けているから、それを解くために何か考えをよこせと。そういうことかしら?」
改めて言葉にするとろくでもない話だなあ、とちょっと反省。
言うまでもなくここは保健室で、わたしは秋埜とわたしのことを知っている大人として、ここの主の相原先生に相談に来ていた。
もちろん、秋埜がわたしに告白しただとか、話のややこしくなるところは伏せて、だったけれど。
「あのね、中務。ここは保健室であってお悩み相談室ではないの。クラスメイトと揉め事起こしたのなら私ではなく担任に相談しなさい」
「最近は保健室でカウンセラーも引き受けてるって世間では言われてますけど」
「世間のことなんか知ったことじゃないわよ。何のためにこんな品行方正な学生ばっかの学校で校医やってると思ってるの。専門以外は気にしなくてもいいからに決まってるでしょうが」
またえらくぶっちゃけるなあ。一応肩書きは教師でもあるんだから、生徒に向かって言っていいことと悪いことがあると思うんだけど。
「んー、そこんとこをなんとか、オバさん。センパイ困ってるんで」
「秋埜。前から言ってるけどその『オバさん』って呼び方なんとかならないの?」
「えー、うち普通に名前呼んでるだけじゃん」
そして今日は秋埜も同行。従姉妹とは聞いていたけど、実際に対面してるところに居合わせるのは初めてで、実際目の当たりにしてみると。
「あんたの言い方だと二十ばかり老け込んだ気分になんのよ。名前で呼ぶならイントネーションも正しく『大葉さん』か、さもなくばお姉ちゃんとでも呼びなさい」
「お姉ちゃんは流石に図々しいと思う」
「…五歳の頃の素直で可愛い秋埜はどこにいったのだろう?」
…互いにバッサバッサと斬りあう、ひどくサツバツとした会話だった。
「うちは今でもかわいいってば。ねー、センパイ?」
こっちに振らないでよ、もー。…かわいいのは事実だけど。
なので、インスタントコーヒーの香りで鼻にこもる保健室の薬臭さを誤魔化しながら、わたしは秋埜の問いかけを目で肯定した。
「ほらー」
「意味の分かんないやり取りは止めなさいっての。ああ、仲が良いのは分かったからそうイチャつくもんじゃないわよ。全く、男日照りの身には目の毒だわ」
「オバさん下品ー」
「やかましい。あんたももう十何年かすれば私の気持ちが分かるわ」
なんだか怨念を感じる一言だった。
っていうか、相原先生普通に美人に入ると思うんだけど。秋埜の従姉妹だけに。
それで結婚のあても無いって、そんなに出会いって難しいものなんだろうか。うーん。
「で、何だっけ?噂を消す方法?そんなものありはしないわね」
「あてになんないなあ」
わたしは予想してはいたけど、相原先生のありがたーい御託に秋埜はあからさまに落胆する。
「出所の不明な噂をどうしろってのよ、あんたたち。誰か流している犯人でもいるってんなら追い込みかけて二度とそんな真似しないようには出来るかもしれないけど、噂なんてものは大衆が信じたいものを信じるから流れるもんなの。実害が無いんだったら言わせておきなさい」
あのー、女の子同士が恋仲です、ってな噂のどこに実害が無いと言うのでしょうか。
と、思ったのだけれど、秋埜のことを思って黙ってはいた。
けどその噂をどうにかしたいわたしに、どういうつもりで秋埜はついてきたんだろう?
「クラスであれこれ言われるのがイヤなんだったら、『ご想像にお任せしますわ』とでも言っときなさい。どうせ七十五日もすれば皆忘れるわよ。あんたたちが人前でイチャついたりしなけりゃね」
「別にイチャついてるつもりはないんですけどね、先生」
「え、そうだったんです?」
ちょっとー。
「…普通に仲の良い友だちとして振る舞ってるだけでしょーが、秋埜とわたしは。それ以外に何かあるの?」
「何かあるというかー、それ以上になりたいというかー…」
…先生は疑り深くわたしをじっと見ている。もーダメ。秋埜に話させてたらすぐにでもボロが出そう。
「しょうがないわよ。言われてみれば確かにそうだし、あんまり気にしないでおくことにするから、秋埜もちょっと自重しよ?ね?」
なんだかかわいそうだったので、努めて優しく言う。
「うー…センパイがそー言うなら…」
うんうん、秋埜は素直ないい子。
わたしは満足してたたんだコートを拡げ始める。となれば長居は無用。
ちょっとヘコんだ秋埜を慰めるくらいのことはしてあげてもいいかも。あ、確か帰り道のクレープ屋のサービス券持ってたっけ…?甘いものでも食べれば秋埜も少しは気が晴れるでしょ。
「あきのー、じゃあ帰ろ?わたし珍しくお腹空いてるからさ、寄り道していかない?」
「あ、いーすねー。センパイのおごり?」
「調子にのんないの。どうせ財布の中身なんて似たり寄ったりでしょーが」
「お昼ごはんの代金まだもらってないんすけど、センパイ」
…覚えてたか。
ま、いっか。その分おごるくらいなら、と並んで立ち上がると。
「ちょっと待った。中務は残りなさい。悪いけど秋埜は先に帰ること」
「えー、センパイが残るならうちも…」
「中務の体の心配ごとだから、聞かせられないでしょうが」
「えっ?!もしかしてセンパイなにか病気とか…」
怖いこと言わないで欲しい。
「…違うわよ。この子体重軽すぎだからこの際しっかり指導しておくの。女の子が痩せすぎなんて百害あって一利なしだわ」
「あ、そーゆーことならしっかり言ってやって、オバさん。センパイもーちょっとふっくらした方がかわいい…」
「あーきの」
「…ふわぁい。んじゃ先に帰りまっす。オバさん、センパイをしっかり太らせてちょーだい」
「『オバさん』…?」
「…おねえさま」
「…ま、いいでしょ。それじゃ気をつけて帰んのよ」
「ういーす。んじゃセンパイまた明日~!」
手を振るわたしに見送られ、秋埜は満面の笑みで引き戸に派手な音をたてさせながら、出て行った。
さて。
…アタマイタイ。
秋埜が去って静かになった保健室に、ヒーターの音がやたらと耳障りに響く。
先生は、ひとしきり沈痛な表情で頭を振った後で、わたしを正面に捉えて聞く。
「…で?」
「で?とはなんでしょうか、先生。わたしの体重の相談らしーですけど」
「化かし合いは無しにしましょうか、我が校一の聡明な生徒の中務麟子さん」
また嫌味言うなあ。
まー、誤魔化しきれるとも思ってはなかったのだけれど。
「なにがあったのか、なんて大体想像つくけど、この際アンタの口から聞かないと私の気が済まないのでね。で、なにがあったの?」
「えーと。秋埜にガチで告白されました」
「…それで、あんたはどうしたの?」
「キスしました。実は初めてでした。けっこー気持ち良かったです」
「んなことまで聞いちゃいないわよ。…それで、そういうことになった、ってならあんたたちはそういう関係になった、ってこと?」
「いえそれがー…秋埜が言うには、わたしに問題があるからそれを解決してから…って」
「…そう」
先生はまたえらく思慮深い面持ちで沈思黙考、の態。
間が持たなくて、わたしはふと気になったことを聞いてみる。
「先生、こーいうことって結構あるんですか?」
「また漠然とした質問ねえ…でも学校の中で、ってことなら年に一、二回は相談受けるわよ」
え。それはまた意外な返答。
「女の子同士、ってだけじゃなくて男の子同士、ってことともあるわね。まあ男の子の場合は、くっつくのくっつかないの以前に、同性の友達を好きになってしまったどうすればいい?って相談のことが多いけど」
…わたし、ちょっとぼーぜん。
「そんな呆れた顔するもんじゃないわよ。本人は真剣なんだから」
「別に呆れてたわけじゃ…」
…やっぱり少しは呆れてたかも。実際に相談されてるのに、私はカウンセラーじゃなーい、みたいな韜晦してたことに対して。
「けどまあ、従姉妹がそんなことになるとはねえ…煽るような真似した方としては責任感じざるを得ないわ」
あー、そういうこと。それなら存分に責任を感じるがいいわ、ってわたしは悪魔か。
実際のとこ、秋埜はいい子だし良い出会いになったのだから、感謝してないこともないけど。
「それでどうなるか分からないなら、中務はどうしたいわけ」
「えー…どうすればいいかむしろわたしが相談したいんですけど。本業的にはどうなんでしょう?」
「どうって言われてもねぇ…何せ身内のことだから下手に助言も出来やしない」
天井を見上げて慨嘆の構え。
この先生、公私の分別については…まあ概ね徹底してるみたいだから、相談の形で秋埜をどうこうしよう、なんて真似はしなさそう。その点では信用出来ると思うんだけど。
「それじゃ、身内関係なしにこういうケースってどうアドバイスするものなんです?」
「そうね、秋埜…じゃない一方が本気でいたとしても、告白された側が判断に迷っているようなら、友人でいられるよう努力することを勧めるけどね。長い目で見れば学生の頃の感情を引きずって大人になるよりかは、良い友人という関係を続けていける方が、どちらのためにもなると思うし」
友人、かあ。それはまあ、秋埜とはそういう関係を続けていきたい、って思うけど。
でも秋埜の方がどう思っているか、となると…。
「ただこれは相談してきた側が、告白に惑っている場合だわね。私の見たとこ、あんたは別に満更でもなさそうだけど。違う?」
なんだか少し前にも誰かに同じようなこと言われた気がするのだけれど。
それは確かに、秋埜のことが好きか嫌いかで聞かれれば、大好き!…って言えるとは思う。
でもなあ。
身も焦がすよーな恋、って言われるとなんか違う気がする。
そもそも、わたしは初恋だってまだなのに、そんなこと言われたってピンとこないし。
「幸い、と言ったらなんだけど、あんた秋埜に宿題出されてるんでしょう。だったらとりあえずそれを片付けてみたらどう?前に進むにしても現状維持するにしても、そうしなけりゃ秋埜が納得しないでしょう」
「…そう、ですね」
結局、結論としてはそれか。相談した意味が無いような気がする。いやそもそも期待はしてなかったのだけど。
宿題。
宿題かあ。
せめて恰好だけでも考えるふり、と腕組みしながら保健室を出た。
これが数学だの物理だのの宿題、ってなら答えの探し方は教えられてるから何とでもなるのだろうけど、答えの見つけ方が分からない課題って、ほんと取っかかりも手がかりも無いっていうのに。
「…どないせーっちゅーねん」
…思わずわたし、エセ関西弁。
通りがかった一年生の男子がぎょっとしてた。知らない顔だし、まあいいか。
「さて……って、着信?誰だろ」
校内では必ずマナーモード。電源を切れ、とか言われてないだけまだマシだとは思うけど、そもそも学校にいる間に電話なんて家族くらいしかかけてこないし、と思いながら画面を見たら、緒妻さんだった。何だろ。
「はい、どうしました?」
早歩きで階段下に潜り込む。流石に廊下で、ってわけにはいかない。
『あっ、お麟ちゃん…お願い助けてぇっ!!』
「えっ…?ちょっ、ちょっと緒妻さん今どこでなにを…はい?大智が?」
『部活で大けがしたのぉっ!!』
…だいじけんだった。
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