おかしな夢を見始める

 エスター城に仕えるただの小間使いのわたしに、国客の魔法騎士であるルイン様が話しかけるのを見て驚きを隠さない城の者は多い。

 

 ルイン様は誰からも好かれている。

 柔らかい笑顔で多くの人にお声をかけ、労わる姿は城の者を笑顔にさせる不思議な力があった。

 

 しかしわたしに対しては、少し違った。お声をかけてくださるどころか、ちょっとした世間話や異国のお話までしてくださるのだ。


 わたしはその度失礼の無いようにと緊張しながら、頷き、相槌を打つことを繰り返す。


 明らかに長い立ち話に、メイド長が困惑した様子で見にくることにはもう慣れてしまった。

 わたしの仕事をする手は止まってしまうが、もちろんわたしからお話を切り上げることは大変な失礼にあたる。

 

 周りもそれを承知しているからこそ、わたしに何も言ってこないのだろう。

 

 わたしはまだ、なぜルイン様がこれほどわたしに心を砕いて下さるのか分からずにいた。


 エスター城に仕えるようになったわたしが、再びルイン様にお会いすることになったのは半年ほど前のことだ。

 

 わたしは仕事を覚えることに必死で、周りがよく見えていない時期だった。

 

 ローズ様のお力添えのおかげで、特例で城に仕えることになったわたしは、周りから白い目で見られないように必死だった。

 わたしがちゃんとしなければ、わたしを雇って下さったローズ様の判断まで疑われてしまう。

  

 今思えばローズ様を疑う者などこの城には存在しないのだが、とにかくわたしは毎日を焦って過ごしていた。

 

「待って!」


 中庭の向こうから男性の声が聞こえたが、わたしは抱えた荷物を急いで運ぶことに集中していた。


「お待ちください!」

 

 まさか自分に向けられている言葉とは露にも思わず、わたしは庭を抜け城の通路を早足で進む。

 

 この城でわたしに丁寧な言葉を使う者はいなかった。

 わたしの立場を考えるとそれは当然だった。


 新入りの小間使い。

 周囲はわたしにただただ無関心だった。

 

 無視をされているわけではないが、わたしと年の近いメイドは居らず、なかなか打ち解けられなかった。

 

 わたしのような小娘が、ローズ様に口添えいただいたことをよく思っていないのかもしれない。

 わたしが何か大きな失敗をするのを待っているのかもしれない。

 

 強迫観念にも似たそれを、わたしは仕事に集中することでごまかしていたのだ。


 肩のあたりに何かが置かれる感触。つよい力で引き留められ、わたしは立ち止まった。

 振り返ると、息を弾ませたルイン様が、穏やかな藍色の瞳で私を見つめていた。


「シェラさん」


 ルイン様、と声にならない声を発したわたしは、お声を無視するという大変な失礼をしていたことに気づき、慌てて頭を下げた。


「た、大変失礼致しました」


 突然の再会に、わたしは真っ白になる頭を無理やり働かせる。

 

 半年前、気絶する前の記憶でしかお会いできなかったそのお姿。


 わたしは彼の前で何もできない子供のようにお言葉を待った。


「シェラさん、どうか頭を上げてください」


「は、はい」


「私のことは覚えていますか?」


「もちろんでございます! ルイン様……」


 わたしは言葉に詰まる。

 それは嬉しさなのか、切なさなのか分からない。


 城に仕えるようになってすぐに、わたしはルイン様にもう二度と会えないのだと感じていた。

 

 雨の中、城へと送り届けて頂いたわたしはそのお礼すらできていなかった。

 しかしルイン様にとってわたしといえば、びしょ濡れの村娘という印象でしかないだろう。

 

 そんな娘が城で働かせていただいていることも、自分に会いたがっていることも何もご存じない。


 わたしはどうしても、ルイン様にお礼が言いたかった。

 

 貴方様のおかげで城仕えになれましたと。弟を十分に養えるようになったと。

 例えわたしのことをお忘れになっていたとしても、その言葉を伝えたかったのだ。


 現実はわたしの想像を越えた。


 ルイン様に再会できただけでなく、わたしのことを覚えていて下さったのだ。


 この半年間の思いが全て報われるような気がした。

 わたしの中の焦燥感や不安がふわりと消えていく。

 

 まるで、魔法にかかったように。


「お会いできて良かった。ローズ様から貴女がここで働いているとお聞きして、ずっと探していたのです」


わたくしをですか?」


「はい。なかなか見つけられずに焦りました。会う人会う人に貴女の居場所を聞いても、貴女はちっとも居ない。先ほどのように走り回っていたからですね」


 わたしは自分がルイン様に探されていたということと、はしたない姿を見られてしまったことに赤面した。

 

 しかしわたしは我に返り、この機会を無駄にしないために勇気を振り絞った。


「ルイン様、貴方様のおかげで私は城仕えになることができました。弟を十分に養えるようになりました。本当に感謝しております」


 考えていたままの味気ない言葉を並べただけだったが、この半年間ずっと伝えられなかった想いをようやく伝えることができた。


「私のほうこそ、貴女のおかげでローズ様をお助けすることができました。ありがとうございます」


「そんな、」


「それにしても、貴女を見つけることができて本当に良かった。もしも見つからなかったら、私は貴女のことを、あの雨の中私の望みを都合よ良く叶えて下さった天使様だったのかとさえ思っていましたよ」


「ご冗談を……」


「貴女は普段からお忙しいのですか? それとも今日だけ? 貴女が気絶してしまった後、とても気がかりだったのですがどうしても国に戻らなくてはならなくて。あの後とても後悔したのです。せめて一言だけでも声をかけていければよかったのに」


「え……」


「何にせよお元気そうでよかった。私は今この城の来客室を使わせていただいているのですが、貴女は普段どちらで休んでいますか。この城は広くてまだどこに何があるのやら――シェラさん?」


 矢継ぎ早に話されるルイン様を、わたしはぽかんと見つめていた。

 ルイン様に、こんなに話しかけて頂いている。


 わたしはせめて一言のお礼を伝えられたら上々だという考えであったために、こうも親しみを込めて接していただけるとは思っていなかったのだ。


「シェラさん、もしやお気を悪くされました?」


「いえそのようなことは決して! ただ、その……」


 わたしは言葉を慎重に選ぼうとするが、わたしが黙ってしまうとルイン様は悲しげに眉を下げてしまう。

 


 「ただ……ルイン様は結構、その、おしゃべりなんですね」



 思ったままの言葉が口からこぼれてしまったことを、わたしはすぐに後悔した。


 本当ならばこうして立ち話すら許されないような目上の方に、おしゃべりなんですね、とは何事か。


 さぁっと血の気が引いていくのが分かる。わたしはなんて大馬鹿者なのだろう。


「ふふ」


 しかし、次にわたしの耳に入ってきたのは穏やかな笑い声だった。


「ええ。どうやら貴女を前にすると、私はおしゃべりになってしまうようです」


「私、大変失礼なことを――」


「いいえ。急にいろいろ聞きすぎてしまいました。また今度ゆっくり話せますか」


 また今度。それはどうだろうか。今この時間も、誰かに見つかったらきっと後でお叱りを受ける。

 

 間違ってもわたしの方からルイン様に会いに行くことはできないのだ。


 わたしは深く頭を下げ、「ルイン様のお心のままに、」とだけ返事をした。



 そしてそのまた今度、は比較的早くやってきて、わたしを困らせるのだった。






 

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