12.反撃開始

 千束吉原に聳える、押しも押されもせぬ大店老舗遊郭、〈紅山楼〉。かつては脇道に見世を構えていたものが、時代を経るにつれ引手茶屋の領分だった表通りまでを取り込み増改築を繰り返し、今は仲之町通りの華やぎまでもを支えるようになった。格子の向こうのからくり遊女たちは歯車じかけで往年の空気を写し取り、最近は買う気のない冷やかしたちをも引き寄せるようになった。

 そんな〈紅山楼〉の奥座敷。事が行われる部屋が並ぶ回廊や序列の高い遊女たちの私室を抜け、狭く急な階段を昇った先にある、無数の金魚鉢が並ぶ楼主の私室である。

 曇天越しの緩い日差しが丸窓から差し込み、漂う煙に反射する。そして部屋の主が、煙管の端を竹筒で叩く音が、淀んだ空気を引き締めた。

「はあ……これですかい。よくできていらっしゃる。軍の諜報員だけですよ、こんなものを使っているのは」

 と、溜め息交じりに言ったのは、楼主の紅緒だった。緑地に桜模様の着物。季節外れと思わせて、よく見れば秋桜の柄だった。彼女らしい遊び心のある出で立ちだった。

 少し、身体の線が、柔らかくなったように、新九郎の目には映った。人の立ち入らない場所で、煙管と金魚を友とし、浮世を離れて超然と暮らしていた彼女が、畳の上まで降りてきたように思えた。

「例の蛙がどこからか調達してきたものです。中を見られますか?」

「ええ、これなら」紅緒は簪を抜き、文机の鍵穴に差し込む。すると、金魚が並ぶ棚を塞ぐように、いくつもの画面が空中に光学投影される。紅緒はどこからともなく信号線を引き出し、本当は小電装の眼球に収まっていたはずのカメラに差し込む。「ああ、合いました。出しますよ」

 紅緒が簪の蜻蛉玉に指先で触れると、新九郎が〈松濤トゥルーアース会館〉で撮影した写真が次々と投影される。正座していたあかりが仰け反り、座りを崩し、感嘆の声を上げた。

 紅緒は煙管に刻みを詰めつつ言った。

「それで、このあたしに何をお望みなんです、先生?」

「知った顔はありませんか。吉原の女も行方知れずになっているはずです」

「ちょいとお待ちを。さては電脳顔合わせ。ちょいと捻りゃあ、ちょいと捻りゃあ……」嫋やかな指先が蜻蛉玉を回した。すると、無数の写真のうち一割ほどが明るく、他が暗く表示された。「早変わり。てなもんです」

 あかりが口を半ば開けて目を瞬かせる。「な、南京玉すだれ……」

「……この女たちは?」

「うちの組合で世話した女たちです。つまり、全員〈神林組〉の息がかかってます」

「全部下天博覧会とやらの中ですね」

「それなりの容貌よしですからねえ。着せ替え人形には映えるでしょうて」

「ふむ……」新九郎は右腕の包帯を撫でる。

 神林の資金源である女たちを拉致していることの裏は取れた。そして彼女たちは、選留主による何らかの実験台にされた。

 新九郎が考え込んでいると、あかりが横から写真の一枚を指差す。

「これ、どこで組み立てたんでしょう」輝きを放つ、翼を畳んだ鳥の怪物。偽星物・〈金色夜鷓〉を写した一枚だった。「こんなに大きければ絶対足がつきますよ。それに、超電装より大きいものなんて……」

「それができる組織と繋がりのある人間が〈下天会〉に参画しているということだね」と新九郎。「紅緒さん。小野崎と一緒にいるふたりの男の身元はわかりませんか」

「少なくとも、うちの客ではないですねえ」

 紅緒は顔写真と名前が並んだ何かのリストを画面上に引き出し、かと思うと、煙管に火を点してうまそうに吸い始める。

 たまらずあかりが言った。「あの……これ、何してるんですか?」

「悪事を働いてるのさ」煙を吐きつつ、狐のような笑みで紅緒は応じる。

「悪事……」

「こら、脅さないでください」今度は新九郎が口を挟んだ。「ここの設備は本来軍事機密に該当する技術で構成されている。畳の下には超電装数機分の能力を持つ計算機があるし、洗練された操作系は特注品だ」

「ま、超電装が宇宙超鋼内への分散型なのに対して、うちのは集積型ですけどね……おかげで風呂炊きには困ってませんよ」

 あかりが首を傾げる。「なんでお風呂なんですか?」

「熱が出るんだよ……おっと」紅緒は煙管を置いた。画面が点滅していた。「一致しました。軍関係者の一覧の中です」

「まさか、帝国軍人が」

「軍人ではありませんね。幸い」紅緒が画面の上で指を滑らせると、電子活版に起こされた履歴書があかりと新九郎の目の前に飛んできた。「帝国陸軍に装備品を納める企業の、ある程度責任ある立場の人間、ですね」

「北條重工か……」新九郎は深く息をつき、履歴書に目を走らせる。新興宗教団体の施設で偉そうにしているよりは工場で算盤を弾いている方が似合いそうな、肥満気味の白髪男。記憶にあるのと同じ顔だった。ただ、履歴書の写真は総白髪ではない。「杉下幸之助。北條重工富士工場の工場長を勤めて、その後は不明。……富士?」

 あかりの顔が新九郎を向いた。「何かあるんですか?」

「〈下天会〉の施設がある。……紅緒さん、地図は出せますか」

「いや先生、富士の方の土地利用図ですよね? 国土地理院って、確か目黒に……」

「少々お待ちを」事も無げに紅緒は言った。

 何か言いたげなあかりを「まあまあ」と宥めること数分。

 軍の持つ情報とその情報を即時的に引き出す技術は、民生用のそれを遥かに凌駕する。かつての大戦時は、空中空母を母艦として偵察用の航空機を敵国の超高高度に送り込み、航空写真を撮影することが一般的に行われていた。しかし今の戦場は宇宙だ。各国が競って宇宙軍を設立し、人工衛星を飛ばして国際法整備が遅れる宇宙空間から地球上のありとあらゆる場所を撮影し、その情報を蓄積している。他国に先んじたのが英国であり、次いで米国と日本だった。

 そして目黒の情報集積施設と各地の軍施設は地下に埋設した通信線で繋がれ、必要な地点の地形図、航空写真を自在に引き出すことができる。その通信網に潜り込む設備と権限を持つ紅緒も同様だった。

「英国は独自の宇宙基地を持つ〈GR〉が主体となってその手の情報の公開を進めているけど、普通は囲い込むよねえ。お空の上からこちらの一挙手一投足が丸裸だなんて、ぞっとしないよ。仮に情報のやりとりが即時かつ無線化したら、超電装の戦術的価値は今の数倍になるだろうね」

「講釈はそのへんにしてくださいよ、先生」

 紅緒が空中に指を泳がせる。すると、部屋の半分を埋めるほどの大きさで、航空写真と、地形と道路、事業所名称等が模式的に記された地図が投影された。

 投影に巻き込まれないよう新九郎が腰を上げて座り直し、あかりが畳を摺って移動する。

 北に富士山。樹海と牧羊地、市街を挟んで南に東海道本線が走っている。そして半端な場所に作られた国鉄の駅と旧宿場町とを結ぶ鉄道が敷設されており、周辺は工場が密集している。

「このあたりが確か北條重工の企業城下町になっていてね。この鉄道は今でこそ旅客も乗せるが、元々貨物輸送用だったんだ。で、富士山の東側に軍の駐屯地があって、新型超電装の試験とかは青木ヶ原樹海の中に設けた秘密演習場で行われる。このあたりだ」

 新九郎は富士山の北側の鬱蒼とした森林地帯を指差す。

「森しかないですよ」とあかり。

「そこはほら、偽装皮膜ばけのかわの大規模なやつを張って隠しているから」

「先生、超電装のことだとやけに詳しいですよね……」

「僕が世界一嫌いな連中の仕事だからね。詳しくもなるさ」

 紅緒が喉を鳴らして笑う。「四八式のお面が欲しいと泣いていたのはどこのどなたでしたっけねえ、先生」

「昔の話です」

「あら薄情ですこと。あたしが買ってやったってえのに」

「母は嫌いでしたから。そりゃ、そうです。僕はものを知らなすぎた」新九郎は懐に手を伸ばそうとして、煙草を切らしていることを思い出し、そのまま続けた。「この杉下という男が〈下天会〉に関与し、超電装、と言っていいものか迷いますが、あの〈金色夜鷓〉の建造に関与したとしましょう。あの大きさだ、ヤミ工房で作れるものではない。百歩譲って部品だけならともかく、組み立てはね」

「なら海沿いの重工の設備を使ったんでしょう」紅緒は煙管の先で地図を指す。

「軍に納入するものを製造する施設で、反体制的な組織が使うものを作りますかね」

「あんたの大嫌いな、悪逆無道な死の商人なんでしょう?」

「帝国軍に拮抗し得る組織であれば、あの老人は喜んで武器を売りつけるでしょう。長期に渡って売上が望めるからです。しかし単発の行動しか起こせない小さな組織では、割に合わない。そして北條厳之助といういけ好かない男は、割に合わないことはしない」

「しかしねえ、杉下の関与は明らかでしょうに。それに北條重工富士工場で部品を作って他の場所で組み立てたとすりゃあ、辻褄も合うってものです」

「辻褄?」

 問うと、紅緒は煙管の先で、東海道本線沿いの工場から、富士の西側を北へ走る幹線道路を辿る。そして、北上を続ければ東に樹海の秘密演習場、西に富士五湖のひとつである本栖湖に至るところを途中で止め、西へ折れた。

 煙管が円を描く。航空写真の地図に土地利用図が重なる。広大な敷地にいくつものドーム型の建物が並び、平屋の養鶏・養豚場のようなものや農地、水田も見て取れる。蒸奇式の集電施設や工場らしきものも多数。表示された名称は、〈天光郷〉だった。

 紅緒は煙管を本来あるべき口に運び、煙を吐いた。「仮に北條の工場で製造したものをこの〈天光郷〉で組み立てていたとして、樹海の軍施設と同じ経路を辿って輸送することになります。秘密演習場と来りゃあ、多少妙な車が通ったところでバレやしないでしょう」

「なるほど。お見事です」新九郎は腕を組む。「しかし最初の仮定は謎のままです。杉下は、いかにして北條重工の設備をちょろまかして巨大な超電装の部品を製造したのか」

 すると、同じく考え込んでいた様子だったあかりが急に顔を上げた。「北條重工に訊いてみればいいんじゃないですか?」

「訊くって、相手は大財閥だよ。身内の醜聞の調査にそう簡単に協力するとは……」

「そこはほら、お知り合いがいるじゃないですか。重工の天辺に」あかりは人差し指を立てる。

「……そうきたか」新九郎は思わず項垂れる。「しかしね、彼は僕が世界で二番目に苦手な男なんだが……」

「世界の平和がかかってるんですよ。そんなこと言ってる場合ですかっ」

「いやいや、しかしね……」

「あんたの負けですよ、先生」と紅緒は言い、億劫そうに腰を上げた。

「どちらへ?」

「仕事ですよ。あんたの相手はあたしにとっちゃ副業です。それにね」顎をくいと上げて紅緒は言った。「そこのお嬢さんが、さっきから何か言いたげなんですよ。あたしがいちゃ、邪魔みたいですから」

 あかりが腰を浮かすも、紅緒は言うが早いが敷居の外へ。ごゆるりと、と紅緒は一礼し、襖が閉まった。

「……早坂くん。さっき電話で言っていたね。話がどうのとか」

 足音が遠ざかるのを確かめてから新九郎は立ち上がり、紅緒の文机の中を漁る。果たして中から、いつもの銘柄の煙草を探り当てた。他でもない新九郎が、以前にうっかり置いて帰ったものだった。

 片手を吊っていた三角巾を解き、煙草を咥え、ライターを開き、火を点けてライターを閉じる。

 何も言わないあかりを訝しみ、振り返ると、彼女は封筒を畳の上に置いた。

 新九郎は目を見開く。かをりから新九郎に宛てて送られた封書だった。


「……すみません。中を見ました」あかりは頭を下げる。「姉が急に上京してきたこと、おかしいとは思っていたんです」

「そうか。黙っていて、すまなかった」

「わたしは、帰るつもりはありません」

「だろうね」

「先生は」両手が海老茶の袴を握った。「わたしを実家へ帰すおつもりだったんですか?」

 新九郎は、煙を目一杯吸い込んでから応じた。「迷っていた。どちらが君のためになるのか、ずっと考えていた」

「わたしのため? それ、どういう意味ですか。危険なら先刻承知です。この街に来た時から」

「今度の相手はね、格が違うんだよ。知っての通り、あの二ツ森姉妹もやられた。僕の職務は、街の平和を脅かす星外の敵を討つこと。だが君の身の安全を守ることが、職務以前の責務だ」

「だから今度の事件、わたしを蚊帳の外にしていたんですか」

「そうだ。君を連れ歩かず、最小限かつ最強の武力をもって最速で解決するつもりだった」

「でも失敗した」

「情けないことにね」

「でも手遅れではない」

「ああ。しかしやつらの企みの全貌が見えない。見えなければ、手の打ちようもない」

「なら一緒に探りましょうよ。先生は探偵で、わたしは助手ですよ?」

 しかし、と応じたきり新九郎は二の句が継げなくなる。

 彼女の勘の良さ、頭の速さを信頼していないわけではない。むしろ、頼りにしている。問題は、頭脳がふたつに増えても、腕っぷしはひとり分であることだ。敵戦力には、全電甲の戦士がいる。倫敦からの手紙によれば、超電装を投入してくるおそれもある。

 その時、頭上に妙な気配を感じた。

 咄嗟に立ち上がりあかりを壁際に庇う。入口で刀を預けたことを後悔したが、すぐにそれは杞憂であるとわかった。

 綺麗な球形に切り取られた空間から、嫌というほど見慣れた時計男が現れたのだ。

 それも、なぜか胎児のように身を丸め、出現と同時に畳へ頭頂部の釦から落下する。銀時計の頭の素材が何で出来ているのかはわからないが、少なくともい草よりは強固だったらしい。畳表が無惨にも引き裂かれていた。

「あー、クロックマン。そんなところで何をしている」

「これは失礼。少し急ぎで報告したいことが」何事もなかったかのように正座したクロックマンの時計が逆転し、そして正転を再開する。「あなた方の今の悩みを解決できることです」

「すまない、最小体積で出てきてくれたところ悪いが、今、何をした」

「少々時行を。お話は伺いました、スターダスター」

 片手に煙草、片手に平手で新九郎は言った。「ちょっと待て。君は今、時間を遡ったな?」

「些細なことです」

「いやいや、いくらなんでも、はいそうですかと……」

「早坂あかりさん」あっさり無視してクロックマンは文字盤をあかりへ向けた。「星団評議会が、あなたに護衛をつけます」

「え、なんでわたしを」

「それはおいおい」今度は新九郎に向き直るクロックマン。「いかがかな。あなたにとっても都合がいいはずだ」

「どうかな。まるで星団評議会が僕を信用していないみたいだ」

「あなたの職責は彼女の護衛ではない。それを我々が請け負うということです。あなたと同等の、をもって、あなたの大切な人をお守りする。これ以上の信頼の証がありますかな」

「ほほう」新九郎は煙草を吹かし、煙をゆっくり吐いた。「援軍か。面白いことを言うね。いいだろう」

「えっ、ちょっと先生、どういうことですか」

 右往左往するあかりを宥めて新九郎は言った。「まあまあ。君だっていつも僕にくっついていても、つまらんだろう。差し当たって僕は杉下幸之助の調査を継続するから、君はこっちの、学者っぽい男について……」

 新九郎は、投影されたままの写真の一枚を指差す。薄毛の黒縁丸眼鏡、痩せ型の男。杉下とともに、選留主に従う幹部のように振る舞っていた男だ。

 するとあかりは首を傾げて言った。

「その人、重要人物なんですか?」

「ああ。おそらく、〈下天会〉の研究開発の中心にいた三人のうちのひとりだ」

「その人ですよ! 彩子さんが見たことあるって言ってたの!」

「なんと」新九郎は煙草を押し消した。

「わたしが調べます。だからちゃんと、この事件のこと、教えてください」

 真っ直ぐな瞳が新九郎を見つめていた。

 これで正しいのか。彼女をこの件には巻き込むまいと決めたのではなかったのか。

 依子が死んで以来、鬼灯探偵事務所は開店休業状態ながら、時折舞い込む厄介事はひとりで対処してきた。頭と腕と、〈闢光〉を駆使して。必ずしも、彼女の力が必要なわけではない。だが。

「心強い」と新九郎は呟いた。

 途端に肩の力が抜けた。早坂あかりのことを守ろうと思っていたのは、正しいが、間違っていたのかもしれない。自分はこの街の最後の鬼札だと言い聞かせて今日まで走り、考え、戦ってきた。

 もはや最後ではないのだ。

「あなたは少し休まれよ、スターダスター。これまでのことは、私から彼女に説明します」

「ちょっと先生、先生ってば!」

 頼む、とだけ言って、新九郎は畳に身を横たえた。〈下天会〉の地下施設での戦いから、初めての休息だった。

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