8.〈倶楽部 キリヱル〉

 井端仁。荒川沿いの町工場・井端鉄工所の主にして、現在失踪中。その目的も現在の居所も不明。

 そして、鬼灯探偵事務所が、行方探しを請け負った男。

 ご存知なのですか、と伊瀬新九郎は言った。

「思い出すかもしれません。これ次第では」ショグは右側の下から二番目の腕を持ち上げる。その指先が輪を作る。いやに人間染みた、貨幣の仕草だ。

「仕方ない」新九郎は財布を取り出し、紙幣を数枚渡した。

「毎度あり」ショグは受け取った紙幣を照明に翳し、息を吹きかけてから作業台の下にしまった。「この先の〈キリヱル〉というクラブへ行ってみんさい」

「誰に会えば?」

「行けばわかります」

「仕方ない……行くよ、早坂くん」

 はい、と応じて一応、ショグに向き直るあかり。「ありがとうございました」

「丁寧なことだ。生真面目で。ご両親の教育がよろしかったのでしょうて」ショグはまた顎を鳴らした。「ですが正直者が馬鹿を見るのがこの横丁です。お気をつけなさい」

 行くよ、ともう一度急かされ、あかりも新九郎と連れ立ってショグの店を後にする。

 通りに出れば四方八方から襲いかかってくる喧騒。

「あの先生。今の、ショグさんって……」

「間違いなく黒だね」と新九郎はあっさり応じる。「彼はロバトリック星人の悪巧みになんらかの形で関与している。まあ、とっちめてもしょうがないが……」

「いいんですか、放っておいて」

「ウラメヤでは数少ない僕の協力者だ。あれで結構、危うい立場なのに、僕に便宜を図ってくれる」

「でも、制限解除とか書いてありましたし。あれ、筋電甲の出力制限とかの話ですよね」

「もう少し大人の使い方もあるんだが、まあ、君は知らなくてもいい」

「そんな言い方されると気になるんですけど」

「彼の得意先は表裏を問わず、筋電甲を脱法的に使う人々だ。商売そのものが、誰かの弱みを握ることになる。だから僕と繋がっていることが知れていても立場を失くさないし、逆に僕に何もかもを語る必要もない。絶妙な平衡感覚の持ち主だよ」新九郎は着物越しに懐の財布に触れる。「どう誤魔化すかな。天樹の連中、どうも経費にうるさくてね……」

「でもショグさん、儲かってそうでしたね」

「どうして?」

「埋込式の即時翻訳機なんて、そうそう買えるものじゃないですよ」辺りを見回し続ける。「襲われて、取られちゃったりしないんでしょうか」

「誰も挽肉になりたくはないからね。あの腕、全部刃物や銃器になるから」

「それは……」ぞっとしない光景である。

 いつの間にか行き交う人が疎らになっていた。新九郎は、ネオン輝く一軒の店の前で足を止めた。

 〈倶楽部 キリヱル〉と書かれていた。

 入店しようとすると、まるで西洋のミノタウロスのような、牛の頭をした男ふたりに制止される。早口の銀河標準語で何か言っている。

「すまん、早坂くん。翻訳してくれ」

「武器を持っていないか改めるそうです。手を挙げろと」

「礼儀がなってない連中だ」新九郎は大人しく両手を挙げる。「僕はいいが、彼女にはやめろ。こんな小娘が武器を持ってるわけがないだろう……と、伝えてくれ」

 ミノタウロスの手が新九郎の全身を撫でる。

 そのまま翻訳するのも癪なので、「女性に触れるとは破廉恥な。レディの扱いを心得たまえ」と銀河標準語A種で言っておく。

 するとミノタウロスが揃って笑った。それで気づいた。

 彼らは、偽装皮膜ばけのかわを被った、人間だ。

 正直な方が馬鹿を見なかったのではないかと首をひねっていると、扉が開く。新九郎の後に続いて店内に足を踏み入れた。

 あやかしの巣窟だった。

 薄暗い店内には煙草とも大麻の類とも知れない煙が充満している。ステージの上ではどこの出身かも一見ではわからないバンドが、これもどうすれば音が出るのかわからない楽器をかき鳴らしている。だが紡がれる陽気な音色は、金管楽器とベースとピアノの、ジャズだ。故郷の父がこの手の音楽を好んでいたことを思い出した。

 蠍に羽根が生えたような生物が店内を忙しなく飛び回っている。だがよく見れば、禍々しく象られた、機械だ。カメラで店内の映像を予断なく撮影しているのである。

 店内を一瞥してバーカウンターへ向かう新九郎と、ともあれ彼に付き従うあかり。すると眼前に、長身の新九郎よりも更に長身の男が立ち塞がった。地球人のように見えるが、偽装被膜だ。

「蒸奇探偵。お前のような男が、この店になんの用だ」

 店内が静まり返った。

 バンドの演奏が遅れて止まった。

「男をひとり、引き渡して欲しい。僕が用があるのは、その男だけだ」

「名は」

「井端仁。地球人だ。左手を事故で失い、筋電甲に置き換えている。そして僕の推測が正しければ」新九郎は一度言葉を切り、目の前の男の反応を窺ってから続けた。「その筋電甲に寄生したロバトリック星人により、精神を乗っ取られるか、なんらかの変調を来している」

「よしんばその男がここにいるとして、お前に引き渡して我々になんの利がある」

「わからないか? よく考えてみたまえ。それとものっぽすぎて頭に血が通わないなら、同情するが」

「ここでお前を細切れにすれば、喜ぶ者も多かろう。自分の首に幾らの値がついているか、知っていよう」

「参ったな。こんなところで量子倉を開きたくはない。そしてひとたび星鋳物が呼ばれれば、この店、この横丁は天樹の光で焼かれるだろう」

「知ったことか。誰かひとりがお前の首と引き換えに金を得て、どこかの星におさらばする。後は野となれ山となれ」

「落ち着けよ。何も僕は、僕の身を守るために〈闢光〉を呼ぶわけじゃない。彼女だ」

「何?」大男が初めて動揺する。

 新九郎は、後ろで目を白黒させるあかりに目配せした。「知っての通り、彼女は特級異星言語翻訳師だ。お前たちが今、ここで交わしていた会話はすべて、彼女の脳とヘドロン飾りに刻まれている。そして僕の助手であるからには、その発言には証拠能力がある。特定侵略行為等監視取締官どころじゃない。事によっては、星団評議会の平和維持軍が、お前たちを宇宙の果て、時の彼方まで追い詰めるだろう」

 ひと息に言い切った新九郎は、片手で帽子を直した。

 潜み声で何か言い交わすざわめきが、静まり返っていた店内へ波紋のように広がる。

 もちろん、記録しているなどという事実はない。すべて、はったりだ。それでも、星団評議会の名は、あやかしの巣窟に集った有象無象に少なからぬ衝撃を与えたようだった。

 沈黙を破ったのは、新九郎でも、大男でもなかった。

「探偵さん。あんたが探してるのは、このおれかい」

 大男の背後から現れた、総白髪を後ろに束ねた口髭の男。

 井端仁、その人だった。

 それが合図であったかのように、店内に賑やかさが戻った。壇上のバンドが演奏を再開する。

 新九郎は懐から写真を取り出し、顔を改めてから言った。

「井端仁さんですね。あなたのお嬢さんから依頼を受けました。あなたを探してくれと」

「彩子か。あの跳ねっ返りに言っておけ。余計なお世話だと」

「どうして」あかりは、長身の新九郎を避けて前に出て言った。「どうしてそんなこと言うんですか。あなたがいなくなって、彩子さんがどんなに心配されてるか、わからないんですか」

「小娘が口を出すことじゃねえ、黙ってな」

 言い返そうとしたあかりの面前を、新九郎の平手が塞いだ。

 あかりを背中に庇うようにして、新九郎が言った。

「あなたはロバトリック星人に支配されている。左手の筋電甲を外してください」

「そうはいかねえ。おれはこいつと、ずっと上手くやってきた」

「ずっと」新九郎は懐から煙草を取り出し、火を点ける。「やはりか。あんたがおかしくなったのは、ここ一週間や半月のことじゃない」

 井端仁の、これも白髪に染まった眉毛がぴくりと動いた。「だったら、どうだってんだ、探偵さん」

「三年前だ」新九郎は煙草を吹かす。「あんたが新型小電装、ルーラ壱式の開発に成功した頃。あんたはその頃から、筋電甲にロバトリック星人を寄生させていた。そしてご自慢の小電装はその実、、ロバトリック星人がこの星で活動しやすくするために開発した。違うか。連中が寄生しやすい部品をふんだんに使っているそうじゃないか」

 井端彩子は、ある時心を入れ替えた、と言っていた。

 だが、新九郎の推理が確かなら、事実は全く異なる。

 妻の死後、追い打ちのように自身も職人の魂である腕を失い、魂の抜け殻のようになっていた男は、亡き妻に恥じない男であろうと意を決したのではない。

 腕の代わりに装着した筋電甲にロバトリック星人を寄生させ、別人になったのだ。

 そしてロバトリック星人のための乗り物である小電装を作る傀儡となった。

 バンドの演奏する曲が、ピアノ主体の穏やかなものに切り替わる。目まぐるしくかき鳴らされていたサックスのような楽器も、川の流れを追うようなゆったりとした音色になる。

「是にしろ非にしろ、こっちの訊きたいことは変わらねえな」井端仁は超然としたまま応じる。「だったら、どうだってんだ、探偵さん」

「なぜだ。あんたはなぜ、ロバトリック星人の寄生を許した。連中が接触した部品は、鋼なら表面にクロームが浮き出る。内蔵部品の上に機能は問題ないから、量産工場では見過ごされても不思議じゃない。だが、あんたのところのような町工場でなら、一品一品が手作業だろう。違和感を持つはずだ」

「それは」と応じた井端仁の左手が、微かに震えた。「赤の他人に言うことじゃねえな」

「ルーラ壱式はまるで人。最大の特徴は、筋電甲の技術を持ち込んだこと。そしてそれによる省スペース化で胸部にコックピットを作ることができるようになった。小型種族が乗り込んで、地球で生活しやすくするための。つまり、必ずしも侵略の道具ではない。この帝都八百八町で、背丈の低い種族でも見た目に対等に過ごせるようにするための、生活の質を向上させることができる、素晴らしい道具だ」

「意外と技術に通じてらっしゃる。蒸奇探偵の名は伊達ではないようだ」

「どうした、と訊いたね」新九郎が手にした煙草から灰が落ちる。「僕の質問への答え次第では、あんたにも星団憲章違反の嫌疑がかかる。第三条、発祥星系外における紛争行為の禁止だ。他星、特に発展途上文明の存在する星での紛争行為は固く禁じられている。その幇助も含めてね。また、状況から、あなたの行為は地球文明の領土の保全、政治・経済の独立に対する武力の行使……即ち星団憲章第九条に規定される特定侵略行為等に該当するおそれもある。僕には、あなたの阻止・拘束を目的とした、星鋳物ホーリーレリクスを用いた武力行使の権限がある」

 壇上から聞こえるドラムロール。次第に遅く。そして次第に早く。金管とピアノが沈黙する。

 新九郎は煙草を落としてブーツで揉み消した。

「質問に答えてもらう。あんたはなぜ、ロバトリック星人と通じた。そしてなぜ、この上なく優秀な小電装を作った。小さい者たちの助けとなるためか。それとも、侵略の片棒を担ぐためか」

「おお、おっかねえ」井端は筋電甲の左手で大男の背に触れる。手の表面には鏡面のような艶。「答えてやる義理はねえな、若造」

 そして、背中を軽く押した。

 大男の表面を電光が走った。

 偽装被膜が破れ落ちて剥がれる。中から現れたのはふた周りほども背丈の小さい、機械でできた人間――小電装・ルーラ壱式である。

 愛嬌のある、駄菓子屋に並ぶ玩具のような顔面。侵略の片棒を担ぐために作られたようには見えない。だがその動きには、電装らしからぬ滑らかさがある。ロバトリック星人が寄生しているのだ。

 まるで、人だ。にもかかわらず、鉄の表皮にオルゴンの筋肉。動きと姿の不均衡は、見る者を威圧する。

 気持ち悪い。本能の反射が、目の前の機械を受け入れることを拒絶する。

 数歩下がってあかりを庇う新九郎。小電装は井端を抱えると、人並み外れた疾風のごとく、店の出入り口へ突進する。

 我に返り、あかりは叫んだ。「先生! わたしはいいです、追って!」

「いや、どのみち人間では追いつけない」

 扉を突き破って外へ出る井端と小電装。諦め半分に追いかけるも、既に店の軒先や壁を蹴って、果ての見えないビル街に漂う白い靄の中へと消えていた。

 横丁は何事もなかったかのような喧騒に包まれている。

「……逃したか」

「これ、井端はロバトリック星人と内通してたってことですか」

「さあね」新九郎は、果てのの見通せない建物の方をぼんやりと見上げつつ応じた。「さて。これで彼女は、どう動く?」

「彼女?」

 新九郎は問いには答えず、ただ帽子を直しただけだった。

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