第76話 揣摩摂愈

「バランス感覚が大切なんだ」

揣摩摂愈はそう呟いた。


 タイラカナル商事社屋は、もはや建っていることが奇跡としか形容できないほど歪み、ひび割れていた。平行と直角とによって、重力をはじめとするさまざまな外力に対抗してきた近代建築のテーゼは、すでに崩壊していたといってもいいかもしれない。どのような力を加えれば、アルミの板が巨大な水泡を不規則に並べたようになり、リノリウムの床が、乾燥したパウダーケーキのような状態になるのか。鉄筋コンクリートとして、あくまでも内部構造に徹し、引っ張り力に耐えるべき鉄筋が、七夕の提灯のように開き、膨らんで外部に露出しながらも、建物の内外の区分けを保ち続けられるのは、いかなる数学に基づく事実なのか。廊下が廊下でなく、階段が階段でなくなった社屋を、しかし揣摩摂愈は戸惑うことなく歩んでいた。目に映る全ての構成物は、柔らかな膜状の組織の集合体に他ならない。だが、踏み出す足下からは、モルタルの感触が返り、靴音は確かにリノリウムとの摩擦音を伝えてきた。予測と異なる感覚に晒されると、人は時として嘔吐感をもおよす。それが、「実存」だと、かつての思想家は言ったものだ。揣摩摂愈もニューアカの洗礼を受けた世代である。思想が現実を超克させると信じていた時代に、揣摩摂愈を捕らえたのは手になれたPBCだった。

 PBCとは、バーソナルベーシカリーコンピュータの略であり、かつ製品名でもあった、4bitのマイコンである。見た目は、関数電卓にアルファベットのキーがついただけのもので、画面は液晶8桁の、当時からみてもささやかな代物である。発売当時は、高級プログラミング言語がまだ十分に実用的でなく、アセンブリ言語と機械語を駆使すればプログラミングできるという物である。揣摩摂愈は、シニフィアンとシニフィエが乱舞する時代に、0と1に戯れることを選択した。この選択は、方向性としては決して特異なものではない。スパコン、オフコン、マイコンとダウンサイジングされたコンピューターは、OSという概念にたどり着き、コマンドラインからグラフィカルインターフェースへの転換を模索していた。インターネットはまだ、2400bps程度の速度だったが、一部のサービス会社がパソコン通信を開始し、ハッカー達は、オフコンへの侵入よりも、ただ掛け電話を捜し求めていた、そんな時代だ。CPUは8bitから、16bitへと進化し、各社が統一規格となるべく凌ぎを削っていた、そんな時代だ。

 技術の辿るべき道は、中空に張り渡された一本の糸である。あらゆる技術はその糸の中途に現れ、闇の彼方へ消えていくその端に向かって一方通行に進むだけだ。その原動力を「欲望」だという人間がいる。揣摩摂愈はそんな言葉をせせら笑う人間だったし、「技術はそれを扱う者の善悪によって決する」そんな金言を歯牙にもかけないハッカーだった。揣摩摂愈はこう考えている。「技術を前に進ませるのは、単に技術に内包された運動に他ならず、むしろこの技術に引きずられる形で、欲望が拡張されてゆくのである」と。人間の欲望には、一種類しかない。それは、「支配欲」で、あらゆる欲望はこの支配欲の拡張形態でしかない。そしてそれを満たすのに必要なメモリ空間はせいぜい8bitまでである、と揣摩摂愈は考えている。しかしまた、技術が、人の欲望により進化するとのエクスキューズを必要とするのは事実であった。これにより闇雲に拡大された欲望がいよいよ心体を食い破り、四方八方へ吹き飛ばされて、あるものは合体増殖し、あるものは他のものと共食いをはじめ、もともと存在していない虚体としての欲望ばかりが乱舞する時代となった。ポストモダンと呼ばれる時代である、がそんな区切りはもはや意味を成さないという事になっているなと、揣摩摂愈は思う。内部で増殖した欲望に食い破られた自我の残像に向かって、人々は吹き飛んだ欲望をがむしゃらに、しかしマーケティングにより制御されながら、かき集める。自分探しは定期的に流行するが、その多くは現実からの逃避に他ならない。揣摩摂愈は断言する。「構造体宣言すれば済むだけの話じゃないのかね」

 現代に至り、人はここでないどこかの現実を、自らの外に自ら構築するための技術を得た。バーチャルリアリティーの研究である。人間はコンピューターによって自らを解体する作業に勤しむこととなる。いわく、脳は外界からのさまざまな刺激をインプットされ、それに対するアウトプットを行う器官であるとか、数十万台のスパコンを並列につなげたほどの能力以上の処理能力があるなど。それは、人間のコンピュータ化であり、世界のコンピュータ化であった。

「人間は機械とは違う」との前提を検証することなく邁進した解体は、人間と機械の区別が幻想であることを露呈させ、人間は人間の尊厳を呆然と模索しはじめている。揣摩摂愈は糞食らえと思い、8bitのメモリ空間でデータを飼っている。「情報」という物があらゆるものを統一化しようとしている現代。揣摩摂愈は、一人のハッカーとして無名のクラッカーとして、コンピューターの裏側で暗躍を続けていた。ハンドルネームはSe6Ham8pTというが、彼と揣摩摂愈とを繋ぐ線は、どのログにも記録されていない。揣摩摂愈の記憶の中でだけ、二人は同一の人間として存在するが、それが別人だったとしても、揣摩摂愈にとては何の代わりも無いことのように思えた。ネットに接続している自分と、接続していない自分とが同一であるか否か、という問題そのものが無意味だった。「主主合一」などという考案に思いを馳せている暇は無いのである。そしてまた、「主客合一」は、それ自体の言葉に矛盾を抱えている。もちろん、それは合一ではありえないのであり、また合一を目指す根拠もなかった。人は自我を客体としてしか意識しえず、客体を主体としてしか認知しえない。ま、どうでもいいんだけどもね、と揣摩摂愈は鼻を鳴らしながら、例えばSe6Ham8pTがハッキングツールを製作する。それは彼の意思であるが、彼そのものではない。ツールを使用し、どこかのシステムに侵入する。そこは「客体」である。ツールはその「客体」の内部においてその「主体」であることを擬態し、「主体」はその擬態を見破ることが出来ない。ツールがそのようにデザインされているからであり、それはSe6Ham8pTの意思である。「客体」の中で「客体の主体」を擬態したツールは、Se6Ham8pTの意図を具現化し、いくつかのIDとPASSを記録し、Se6Ham8pTの下へ渡す。その後ツールは擬態を継続したまま、さらなる意思の到達まで待機する。「つまり、癌みたいなものになるわけだ。」と揣摩摂愈は説明する。

 究極の目的はのっとりではない。必要な操作をするあいだ、一時的にのっとるだけである。攻略すべきシステムは、あくまでも本質的には「客体」でなければ意味が無い。自らのシステムを自ら攻撃しても意味がないということである。自らを攻撃するということで、自傷衝動のことを思い出したが、それとても傷つける対象を「客体」として認識しているという点で、適当ではない。自我は自我を参照できない。だが、ポインタを巧く伝えばよいのだと揣摩摂愈は考えている。つまり、操作する側は「客体」でよいのである。その「客体」をコントロールする意思が「主体」の意図と合致していれば、「主体」による「主体」の支配が達成できる。さきほどのツールは、「主体」のポインタである。「客体」の内部にツール製作者の「主体」を転送させる、通り抜けフープのようなものであるが、実質的には、リモートコントール機能がついているツールでないと、比喩としては遠い。操作不能の「客体」を「他者」と呼ぶ。これを「他社」と読み替えることは、概念の矮小化ではあっても間違いではない。自由経済資本主義世界において、「他社」は操作不能だが、間接的に、たとえば「株」などによって、操作することが可能である。だが、株式会社における「株」が、間接的なものかそれとも本質的なものなのかは議論の余地がある。株式会社とは株そのものであり、株価を上げるためにあらゆる活動を行うものだと言えるからである。その活動の大半は、「情報の編集」である。

 情報、情報、情報。いったいそれは何なのか。「情報」という概念を生み出した社会は、過去を「情報」という視点で検証する。情報を駆使して未来を予測しようとする。「情報」それ自体は、質量も大きさも持たず、速度は光と同等である。あらゆる物に寄生し、宿主自体の特性により伝播するが、その特徴もまた宿主に左右される。情報の寿命とは、宿主の寿命である。奇妙なことに、情報には質量も大きさも無いにもかかわらず、宿主が破損すると、情報も、その一部が失われる。失われた情報はこの世界から消滅する。


「そんなことはない。失われた情報が発見されることもある。考古学の成果を無視するのか」との反論に対しては、

「それは失われたのではなく、宿主を変えただけなのである」と答えられる。問題なのは、情報が、それ単体で存在することが不可能らしい点と、検証可能な情報とは、情報に寄生された宿主を検証しているにすぎない点である。だが、量子論のめざましい発展と、超ひも理論によって情報そのもののふるまいを模式化できる可能性も出てきたのである。なんてね。ばかばかしいと揣摩摂愈は笑う。そんな机上の話はどうでもいいのである。

 ともかく、Se6Ham8pTは、MOMUSという奇妙なシステムのうわさを聞きつけた。OSとしてオープンソースのSUNAXを使用しており、各端末にはWinbowsを採用するらしい。カーネルには独特な大改編を行い、もはやMUAXのα版をテスト中だという。ファイルシステムとして、ミノタウルスの実装が目論まれているらしく、それがなぜかなんの変哲もない広告会社に導入されそうだという。実機に搭載されたのは、LUNAXになったとの報告があり、導入に伴い多くのハッカー達が注視するタイラカナル商事には、イルカちゃんやら、福利厚生施設「凪」の基本設計など、個性的なシステムが目白押しだった。揣摩摂愈は、それらに引かれて、タイラカナル商事に入社した。そしてボスに会った。ボスは揣摩摂愈がSe6Ham8pTであることを知っていた。


 「自分の勤め先をハッキングして何がおもしろい? あくまでも外部から手を尽くしてこそ、ではないかね」

 ボスは別段コンピューターに明るい存在というわけでは無いはずだった。Se6Ham8pTはネットでボスに出会ったことが無かったからだ。だが、揣摩摂愈をSe6Ham8pTだと看破できるほどのスキルを持ち、活動も行いながらその痕跡を完全に消しているのだとしたら、その技能は卓越していると言わざるを得ない。その意味で、揣摩摂愈はボスを恐れた。身元をばらされる恐怖ではない。ネットではスキルは力である。これ以上頼れる相手はいないと、揣摩摂愈は思った。ボスの思惑通り、揣摩摂愈は広報部へ配属された。考えてみれば、人事に介入する権限をボスが持っているはずは無いのだが、そこはそれ、数々のゴシップ、スキャンダルを握っている広報部のことである。どんな横車でも押し通すだけの用意はあるのだと考えるのが筋であり、事実、そういう現場に、揣摩摂愈も立ち会うこととなるのである。


 さて、内部とも外部ともつかない立場で、MOMUS攻略を一任された揣摩摂愈ではあったが、内部LANからの侵入すらおぼつかないこのシステムの堅牢性というか、分かりにくさは、一通りではなかった。ソーシャルハックも検討したが、社内においてそれを使用するのはあまりにもアンフェアである、というかプライドが許さなかった。これはあくまでも知恵くらべであり、揣摩摂愈が勝負を挑むに値する相手は、システムそのもの以外には無かった。ボスも揣摩摂愈の意思を尊重しているのか、方法について口出しはしなかった。

 MOMUS。このシステムの分かりにくさは、ファイルシステムの分かりにくさにつきる。不定期的に、かなりの高頻度でその階層やフォーマットを変化させ、それでいて日々の定型業務をこなし、セキュリティーを保ち続けるという、理不尽なシステムの根源は、ミノタウルスであると考えられるが、世界的にミノタウルスを実装したシステムが存在するとはアナウンスされてはいないのである。実装を目論まれていたが、現代のチップ構成では不可能だというのが定説だったからだ。もし、これが実装されたミノタウルスだとしたら、攻略は不可能に近い。先ほど、多比地に仕掛けたミノタウルスは、理論のごく一部だけを、他の理論との矛盾点に目をつぶって実装した、ミノタウルスもどきでしかない。とはいえ、そのもどきですら、実装できるのは世界でもごく一部の人間しかいない。その一人が揣摩摂愈である。

 「モーストオーガニックモデファイティングユニットシステムじゃないんですか?」

 揣摩摂愈がそんな憎まれ口をたたくと、ボスは

 「オーガニックとは、おもしろい。なるほど。有機的ね」などと呟いて、ネタ集めに出て行った。

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