第57話 地下駐車場
さて、現在時計の針は三時二十五分を指している。主要な登場人物達を見渡してみると、遅れている組が一つある。地下駐車場だ。順番からいって、今回はそこにいる隊毛、室田両名の針を、進めてやらねばなるまい。
自分の車の中で事切れたンリドルホスピタルの院長と、正気を失った黄間締君を発見した後、狼狽する室田を後目に「奴を見たのだ」と高笑いする隊毛。その後の展開である。
今朝から異常なことばかり起こっている地下駐車場には、警備員、管理人、警察、などの面々が、雑談を交わしながら調査を進めていた。
この人ごみの中、行き交う人々に片端から声をかけている一人の男がいた。鳥打帽を目深にかぶり、ジャケットを肩にかけ、派手なサスペンダーをした三十絡みの敏捷そうな男で、クビからは大きなフラッシュ付のカメラをかけ、小さな手帳の上を片時も休まずに鉛筆を走らせている。捲りあげたワイシャツの左腕には、緑色に白抜きで「広報部」と書かれた腕章を巻いている。
「君、君は何の調査で?」
「ああ、僕は、ここの社員が殴られたっていう事件の犯人をね」
「僕は、車の中でおかしくなっちまった男の調査なんだが、どこにいったのか分からなくてね」
「僕はここの警報装置を9番アイアンで壊しちまった奴を見付けろっていわれてる」
「僕はその修理に来たんです」
「僕も修理だけど、スプリンクラーとポンプをね」
「自分は社への不審な侵入者の足取りを追っております」
「僕はこのどうしようもなくマナーの悪い車の誘導をね」
「僕はあの入口のバーの交換なんですが」
「なるほど、で、あなたは何故そんなに笑っているのですか?」
質問の矛先が高笑いしている隊毛に及んだ。
「あまりお見かけしないお顔ですね」
彼は鉛筆でメモをつつきながら無躾な視線を投げかけた。室田は笑いと一緒に全ての表情を引っ込めて、相手を見た。両者の口元には笑みがある。だがその間には凄まじい緊張がみなぎっていた。そこへ、室田が慌てて割って入る。
「君、この方は大切なクライアントだ。失礼じゃないか。隊毛さん。物を知らん奴で申し訳ありませんでした。ここは騒々しいですからひとまず部屋へ戻りましょう」
しかし、隊毛は室田の手を軽く払い、改めてその男を見据えて言った。
「これは私の車なんだが、鍵をかけ忘れてね。まあ、タイラカナル商事さんの地下駐車場の警備は万全だとうかがっていたので、大事あるまいと思っていたんだが、今戻って来たら、エンジンがかからない、待っているはずの友人が二人いなくなっている、おまけに、その代わりのつもりか知らないが、別の二人が押し込んであるという有り様だ。私は今までこんなひどい目にあったことがなくてね。それで思わず笑ってしまったと言うわけだ。これだけ人が出ているのだから、この車の修理と中身の引き取りを、ついでにお願いしてもらえるだろうね」
男は鉛筆にさらさらと今の隊毛の発言を書き留めながら、ほうほうと声を出して頷いた。
「ほほう。今朝からこのあたりはバタバタしてましてね。こうなりゃ何が起きたって不思議じゃない。かえっていろいろなこんぐらがりが解ける手がかりになるかもしれない、そうは思いませんか?」
「さあ。私はそういった捜査や推理に関してはてんで素人なのでね」
「それは、そうでしょうね」
二人は改めて顔を見合わして微笑みを交わした。先程とはニュアンスの違う笑いだった。
「さあ、もういいだろう。どこにでも顔を出して傍若無人に振舞うのは君らの専売特許かもしらんが、こちらの仕事の邪魔をしないでくれたまえよ。隊毛さん。手配は私の方で…」
室田は汗をふきながらそう言ったが、隊毛は完全に黙殺した。男の方は肩をすくめ、車の中をのぞき込んだ。
「君、失礼じゃないか。お客様のお車を」
室田は腹を立てていた。隊毛はまだいい。だが同じ社内の人間が、営業統括部長である自分を無視するなど、言語道断だと思っていた。
そもそも広報部とはソリが合わないのである。彼らは内外のあらゆる情報を収集しており、たとえ社内でのスキャンダルであっても躊躇せず広報に掲載してしまうのである。肩書も相手先の取引額シェアもお構い無しなので、彼らによって潰された企画、左遷された管理職なども数多いのだ。平穏に仕事をしたいのなら、彼らとかかわらないのが一番である。室田が役職の権限をかざして追い払うことが出来ないのも、そういった理由がある。だからこそ、余計に腹が立ったのである。
室田は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。ところが、この室田の配慮に水をさしたのは、またしても隊毛だった。隊毛は、車に半身をつっこんでメモを取っている男の傍らへ歩みよったのだ。
「ほら、ひどい状態だろう」
「なるほど、でここに転がっている二人の素性は?」
「一人はお宅の社員だそうだ。もう一人はンリドルホスピタルの院長だ。もう亡くなっているようだ。酷い話だとは思わんか」
「何、人はいずれ死ぬもんです。穏やかな顔をしているじゃありませんか。まあ、良い死にざまといっていいんじゃないですか」
男は手帳をカメラに持ち替えて、フラッシュを何回も焚いた。隊毛はまぶしそうに手をかざしながら、さらに話を続けた。
「いなくなった二人の友人について、何か手がかりがあるのか?」
「さあてね。行方不明の捜索担当者ってのには会ってないな。なんあら、当局に届をだしといてやろうか?」
「そうだな。だが君のとこでも探してくれるのだろう。このままでは二人とも不法入館者の汚名をきせられてしまうかもしれない。それは気の毒だ」
男はさも面白いことを聞いたとでもいうように、隊毛を見た。
「うちは捜索なんてしないさ。それとも何か特だねになるっていうなら動いてもいいが」
「隊毛さん。上にいきませんか。ここはどうも空気が悪い」
しびれをきらしたように室田が誘う。だが隊毛も男も室田を完全に無視していた。おまけに何かの修理をしている職人からは、
「おい、そこの人。現場写真に入っちまうからちょっとどいてくれないか」
などと怒鳴られ、室田は鼻の穴を大きく広げた。顔は真っ赤だ。入社以来久しく味わったことの無かった扱いの悪さである。
隊毛は男の耳もとに口をよせた。
「今朝からの一連の騒ぎの原因を、その二人が握っている、といったら、どうだ」
男の耳がピクリと動いた。
「商売がら、耳は敏感な方でね。耳よりな情報だが、確かなのかい?」
隊毛はちょっと身を引いて、銀のフィルターのタバコを取り出しながら
「確かかと聞かれると困るな」
と言って笑った。男も隊毛につられるように笑った。
「私は車を直してもらってここから出られるようにしてもらえれば他には何にもいらないさ。こちらも忙しい身でね。君に任せてしまえれば、仕事の話に集中できるというものなんだが。なあ、そうだね。室田君」
突然声をかけられ、室田は思わず頷いていた。
賢明な社員ならば絶対に係わりを避ける広報部の人間と交わるのは気が進まなかったのだが、もはや一蓮托生の隊毛の願ならば呑まないわけにはいかないのだ。
「じゃ、連絡は室田君を通してくれたまえ。社を出てからはこちらに連絡を」
室田は男の手帳にスラスラと電話番号を記し、室田の肩をポンポンと叩いた。
「なるほど。あんたが隊毛頭象さんか。お噂はかねがね」
立ち去ろうとする隊毛の背中をじっと見ながら男が呟いた。それを聞いた隊毛は足を止め、煙を細く噴出して言った。
「最初から、分かっていたのだろう?」
そして互いにまた笑いあった。
「待たせたね。それじゃあ、上に行こうか」
「は、はあ」
室田はニヤニヤと笑っている男と、さっさと歩いていく隊毛とを交互に見ながら駐車場を出た。
「とりあえず、応接室へ戻りましょう」
エレベーターを待ちながら、室田が言った。すると隊毛は、
「いや、君のオフィスでいいじゃないか。二課へ行こう」
と答えた。
不穏な感じを抱えて室田は二課へ向かう間、隊毛はずっと上をむいて微笑んでいた。
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