第11話 タクシー

「新作を想像できるとは、驚きました。一体、どんなものだと言っていたんですか? その人は」

 私は一瞬の狼狽をひた隠して、その運転手が、本当に取るに足らない男なのだという印象を与えられるような返答を、死に物狂いで探していました。ここで警戒されてしまっては、「あの、お手洗いは?」に持ち込めなくなってしまって、全ては水の泡です。私は何としても、この唯一の情報源、隊毛頭象氏から聞くだけのことを聞かなくてはならないのです。

「いえ。釜名見先生の熱狂的なファンだという程度だったようですよ。そういう人は多いのでしょう。先生ほどの才能をお持ちならば。偶然乗り合わせたタクシーの運転手だって知っているぐらいに、先生は有名なんですね」

 たんなる世間話としての抑揚と、視線の動かし方を完璧に演じられたと、私は思っていました。学生時代、伊達にアクタークラスを履修していたわけではないのです。

 ところが、隊毛氏の表情はいよいよ深刻さを増していったのです。

「タクシーの…? ちょっと待ってください。それはツートンチェックのタクシーじゃありませんでしたか?」

「おや、よくご存知ですね。キオラ画廊へと言った私を、バイヤーだと勘違いしたようでして、こんな朝早くからあの画廊へバイヤーが出向くのは、大きな商談に違いない。ああ、すると釜名見の新作がいよいよ世に出るということですね。とまあ、矢継ぎ早にまくしたてられまして。全く、少し異常でしたが、好事家というものは、こと趣味の範疇の事柄になると、常道を走っていられなくなるということでしょうね」

 私は、この話にさらなる一般論を付け加えて、この話の世間話度をアップしようとしたのでした。ところが不思議なことに、あのタクシー運転手について私が「何でも無い」と言えば言うほど、彼の特殊さが際立ってくるような気がしてくるのです。

 あの時間、あの道で簡単にタクシーが捕まった事、それがキオラ画廊という小さな画廊を熟知しており、釜名見煙マニアが運転するタクシーだったという事も、偶然では済まない何かがあるように思われてくるのです。隊毛氏にいたっては、始めの如才なさはどこへやら、顔色を青くしたり、赤くしたりしながら、時折奥歯をかみ締めたかと思うと、突然、吼えるように舌打ちをしたりと、感情剥き出しの獣のようになってしまったのです。私は、隊毛氏に警戒されてしまったという後悔よりも、まず恐怖を感じていました。

「隊毛さん。何かあの運転手と私とのことで、不味いことがあったでしょうか。私が今朝ここに来るということは、社外秘扱いだったとか…」

 おずおずと切り出してみると、隊毛氏は大きく息を吐いて天井を仰ぎました。天井には、羽の無いシーリングファンがくるくると回転しています。

「或日野さん。あなたには申し訳が無いが、今後あなたの行動の一切を、私共が警護させていただきます。まあ、お待ちください。今ご説明いたします」

 それは、警護という名前の拘束なのだと、私は察知しました。そして、これは申し出ではなく決定事項なのだということも悟りました。私は黙って隊毛氏の話の続きを待ちました。

「或日野さん。そもそも今回の企画には、執行部の全員が疑問を呈していたのです。ご存知と思いますが、空想技術は言葉で説明できるものではありません。

 これまでの『表現』はすべて、この空想技術を束縛していたのです。それを解放するのが、釜名見先生の念願であり取り組みの全てなのです」

 私はこの緊迫した状況の中、一番最初の疑問点だった「空想技術」についてのレクチャーを受けることになったのでした。

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