そして空をながめた
まきや
1. おやっさん
ごそごそ、がさっ。
暗闇の中、ぼくは今まで夢中になっていた
いちおうぼくは警戒のために、喉の奥でキュッ、キュッっと同じ音色を返してみた。誰かに聞かれる心配はない。この音は僕らの仲間にしか聞こえないからね。
すぐにぼくは耳をせいいっぱい広げて、返事を待った。
僕の耳は特別なんだって知ってる? 何だって聞こえるんだ。いま自分が出した声だって、追いかけられる。遠くの方でいろんな壁に跳ね返っているのがわかるんだ。
すぐに答える声がした。今度は確実だ。ただ、いつでも油断しちゃいけない。悪いやつらは、ぼくらの声を聞き取って、後ろから食べに来るって話だから。
今度は移動する仲間の匂いが漂ってきた。1、2、3…たくさんだ。僕は3より大きな数字は気にしない(できない)。これでもこの小路では、すごい才能だって評判なんだけど。あ、そうそう、鼻だってすごいんだからね。いま目の前にある――紙袋の奥の方から引っ張り出してきた――このお肉だって、僕がずーっと離れた所から嗅ぎつけたんだから。
見つけたゴハン、いつもはぼくだけのモノなんだけど、ここしばらくあまり食べるものが見つからないので、おやっさんからは「オレがいいと言うまで、ゴハンは仲間と
考えているうちに、ポリバケツ・瓶・ペットボトル・ダンボール箱などの背後から、仲間が次々と頭を出した。中でもビールケースの上から飛び降りてきたヤツは、いちだんと体格が良かった。チッチッという音――それが笑い声だった――を出して近づいてくると、そいつは不敵な笑みで、僕を真上から見下ろした。
僕はしっぽを振ってそいつを誘った。
「やあ、兄弟。はやく一緒に食べようよ」
「おい、ちび助。その後ろのゴハン、ぜんぶ俺たちによこしな」
そいつは大胆にもそう言った。
「ぼくが見つけたんだ! 半分はぼくが食べるのが【おやっさんの約束】じゃないか!」
大きいやつはその場で小回りに身体を一周させた。背後の仲間たちにワケありの視線を送ったのだ。ぼくは嫌な雰囲気を感じて一歩たじろいだ。
「聞いたか? 【おやっさん】だってよ! 年寄りはみな、すぐ死んじまうのが俺たちの【約束】だ。親だって、もういねえのによ!」
「おやっさんはいるよ! 何でも知っていて、いろんなこと教えてくれる。食べ物の探し方だってね。それに、ほら見て」
ぼくは小さな爪のある指で、上の方を指した。
「いつも暗闇だし壁だらけだけど、この上の上の上に【空】っていう、明るくて、ひっろーい所があるんだって! 信じられる? そんなこと知ってるのあの人だけだよ?」
ぼくの長い説明を聞いたそいつは完全に怒ったらしく、笛のような音を響かせた。高い所にいるやつらも含めてみんな降りてくる。とにかく
全身の体毛が逆だってきた。この場所にい続けるのが、かなりマズイのがわかった。「じゃあ今度、つれてくるね――」
その瞬間に、もと仲間たちが一斉に飛びかかってきた。
いちおう備えはしていたので、最初のやつらの爪や噛みつきは余裕で避けられた。でも、もうゴハンどころじゃない。左右をすばやく見て、逃げられそうな隙間を見つけ、そこに全力で突っ込んでいった。
とても狭い穴だった。おかげで一斉に襲いかかってきたやつらは、入り口で一瞬、躊躇してしまった。ぼくたちの世界で一瞬はとても重要だ。すぐに追っ手が見えないぐらいの差がついた。
「お肉ぐらいまた探せるさ」
ほっとしたぼくは、そう呟いていた。
どんな穴の先にも、もうひとつ穴がある(これ名言だね)。
穴を進むと、やがて鼻の先に新鮮な空気の流れを感じた。出口に近づいている。ぼくは嬉しくなった。
けれど、何だか右の脚がおかしい気がした。それどころか、少しずつ痛みだしてくる。追っ手の心配がなくなったので、止まって鼻をひくつかせてみると、空気に混じって血の匂いがした。しかもぼくのだ。
脚を怪我してる! あいつらにやられた覚えはない。とすると、この狭い通路のどこかで、針金か何かで引っかけたのかもしれない。
傷を少しなめて様子を見てから、ぼくは再び出口へと走り出した――
今度は毛が逆立つ暇もなかった。眼(鼻)の前で、穴を支えている天井がグシャリと潰れ、巨大な黒い物体が飛び出してきた。
もちろん、それが何だかぼくには分かるはずもない。
その毛むくじゃらな物体から飛び出している硬い爪は、動けないぼくを正確に捕まえた。ぐさりという音。鋭い痛みが背中から胸にかけて貫いた。ぼくはあまりの痛みに気絶しそうになった。
その苦しみに無関心な爪の主は、天井の材料ごと強引に、ぼくを上に引き上げた。
さっき言ったよね? ぼくの耳は特別なんだって。だからその時の騒音がひどすぎて、頭が割れるぐらい痛くなったぼくは、一瞬で気を失った。
目を覚ますと、硬い地面の上に寝そべっていた。痛みは相変わらず――いや前よりズキズキする気がする。黒い物体が今でもぼくを背中の上から押さえつけているのか、身動きができなかった。
そうでなくても痛くて動けないけれど。ぼーっとする意識の中で思った。ぼくはこの巨大な生き物の事を、おやっさんに聞いていた気がしてきた。
「ミャァーウゥゥゥ」
ぼくの頭の上で、生き物は何か大きな音を出した。ボリュームが大きすぎるし、意味もわからない。
けれど盛んに身体を振っている様子から、何か警戒しているように感じた。
ばさばさっという前と違う音。そして大きな影――ぼくとその巨大な生物を簡単に覆い隠すぐらい――が、目の前に落ちてきた。闇が濃くなったみたいに感じた。
爪の締め付けがいちど軽くなった。けれどぼくには動く余力がなかった。だからひたすら横になって聞いていた。
巨大な何かと何かが、悲鳴と奇声と衝突を繰り返している。
そろそろぼくにも解ってくる。ぼくはこの戦いの勝者の
「カーーーーー」
甲高い雄叫びが聞こえた。結局、さらに大きな影が勝者となったようだ。爪の敗者が逃げ去っていくのがちらりと見えた。
ぼくは爪とはまた別の硬いものに捕らえられ、地面から持ち上げれた。幸い痛みはあまり感じなかった。
次の瞬間、不思議な事が起きた。
ばさばさと連続する音に合わせて、ぼくの身体がふわっと浮き上がったんだ! うつ伏せのぼくは、そのまま地面がどんどんを離れていく感覚にびっくりしていた。
あっという間に、ぼくのいた暗闇の道がちいさくなり、ちいさくなり…そしてとてつもない、広くて明るい場所に連れてこられた。
上の上だ!
うっかり気を失いかけたぼくは言った。だめだよ、思いっきり鼻腔を開かなくっちゃ。耳をたてて、この不思議を味わなくっちゃ。ぼくは力の限りそうした。
今まで歩いてきたこの場所の近くに、こんなにたくさんの音や匂いがあるなんて思いもしなかった。
しばらく感動を味わっていたけれど、邪魔が入った。もうひとつ、大きな影の仲間がやってきたからだ。
また激しい怒りの声が鳴り響き、黒い塊同士がワヤクチャになって、争いを始めた。先ほどの優雅な浮遊感はどこへやら、今度は地面にいる時より眼の前がグラグラと揺れ始めた。
やがて、ぼくを運んでいるままでは不利だと感じたのか、それとも単に
浮遊感はいつしかなくなり、次は落ちていく感覚がやってきた。気持ち良いような悪いような、とにかく、いろいろと不思議な心地だった。
偶然なんだけれど、ぼくの身体は背中を下にして落ちていったみたいだ。おかげでぼくは初めて「上の上」の、さらに上を見ることが出来た。
【空】
これがそうなんだ!
とてもまぶしくて目の前は真っ白。しかもとっても広い――ぼくの特別な耳と鼻がとどかないぐらい、どこまでも。
本当はもっともっと、広いのかもしれないけど、ぼくが感じるのもそろそろ限界。
仕方ない、ふだん地面の下に生きているからね。
でも本当に嬉しかった。
だって、おやっさんの言うことが正しかったから。
(1. おやっさん 終わり)
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