第23話 第二夫人との初対面

 12月の中日に、マーヤは再び、スーペルビア城へと戻った。


「マーヤよ、久しいな」

「叔父様にもお変わりなく」


 親密さをアピールするために、互いに敬称抜きでの呼称で呼び合うことが事前に申し合わされている。

 

 総督位の継承は、嫡出子(総督妃の所生)か庶出子(第二夫人以下の所生)か、直系(先代の総督の子)か傍系(先代の総督の子ではない)か、男か女か、総督一族にとどまっているかどうか、年齢の上下などでいくつかの優先順位があり、複雑に絡み合い決められている。


 ガレアッツォは先々代の総督の次男、第三夫人所生ではあるが、ファーレンベジア伯家に婿養子として迎え入れられた時点で総督家の籍から抜けている。本来ならば総督位継承権はないが、イルモーロが子を残さずに死んだ時点で総督家から人がいなくなったため、血統原理に従って総督位を継承した。


 マーヤは第二夫人ヴィクトリアの所生と言う形になっているが、ややこしいのはイルモーロの死後に生まれたと言う形になっていることである。もしイルモーロの生前に生まれていれば、その時点で総督家に継承権を持つ者はマーヤしかいないので、マーヤが自動的に総督になる。しかし生まれていなければ、継承権は発生しない。

 ヴィクトリアの妊娠が公になっていれば、通常は総督継承位を遅らせて、総督位がしばらく空位になって、マーヤが生まれた時点で、マーヤが総督位を継承すると言う形になるのだが、ヴィクトリアの妊娠は、イルモーロの命によって、及びリヒトホーフェン伯とガレアッツォの合意の下で伏せられていた、という形になっている。


 だが、当時は戦争中であり講和するにせよ継戦するにせよ、意思決定者たる総督が必要であり、それは講和相手としてのスーペルビア総督を必要としていた王家側も同様の事情であり、ガレアッツォの総督位継承は王命によって担保されている。

 従って、いまさらガレアッツォの総督たる立場と地位は揺るぎは無いのだが、本来の継承であれば、マーヤが総督でありガレアッツォはファーレンベジア伯として臣下に留まっていたはずである。


 本来ならば、ガレアッツォはマーヤをマーヤ様もしくは総督様と呼び、マーヤはガレアッツォを、ガレアッツォと呼び捨てにする立場である。

 ガレアッツォが総督である今は、ガレアッツォがマーヤをマーヤと呼ぶのは当然であるが、マーヤがガレアッツォを総督様と呼べば、主君と臣下の本来のありようからの逆転を否応にでも周囲に意識させることになり、総督本家に仕えていた者たちの憤りを刺激しかねない。

 それで、私的な関係として、ガレアッツォはマーヤを叔父が姪を呼ぶ形としてマーヤと呼び、マーヤは叔父様と返すことにしたのである。


 ガレアッツォは、ブランシェットを見て、


「我が姪御は整ったのかな?」


 と聞いた。既に勉学関係はクリアしていることは、報告としてガレアッツォにも届いている。社交や礼法、もちろん実際の運用はそれぞれの令嬢の個性次第ではあるが、総督子として後ろ指をさされない程度の水準は満たせたのか、とガレアッツォはブランシェットに聞いている。


「誰に向かって聞いているんだい? 私はブランシェットで、このおかたはイルモーロ様の娘様だよ? どこに出しても恥ずかしくないご令嬢さ」

「ならばいいが。マーヤ、紹介しよう、こちらが第二夫人のコンラーツィアだ」


 マーヤとコンラーツィア、もちろん互いに入室した時から存在に気づいてはいたが、紹介されて初めて挨拶を交わす。


「ごきげんよう、マーヤ様。総督第二夫人の任にあるコンラーツィア・ファーレンベジア・スーペルビアです。恐れ多くも、スーペルビア城にいる年月は私の方が長いものですから、諸々、お困りの際はどうぞお気軽にご用命くださいませ」


 家中での序列についても事前に、フェルカムと、ガレアッツォの新任の補佐官との間で事細かに決められている。

 マーヤとガレアッツォの間では、叔父と姪と言う私的な関係を全面に出すことでどちらが上か下かを有耶無耶にすることになったのだが、コンラーツィアが総督妃であれば、同じく「叔母」で通すこともできたのだが、しょせんは正夫人ではない。

 コンラーツィアの子らに対しては、母として上位に臨めるのだが、マーヤの母親ではないのだから、マーヤとの関係ではあくまで総督子と臣下たる第二夫人と言う形になる。

 スーペルビア宮廷における女性第一人者の地位は、今この瞬間、コンラーツィアからマーヤに移動したのである。


 このあたりの事情を説明して、フェルカムが言うには第二夫人、第三夫人は「しょせんは召使だと思ってください」とマーヤに言った。総督家の一員であるのは、総督と総督妃であって、側室たちは、臣下に過ぎない。臣下の中では最上位だが、直系の総督子であるマーヤから見れば、現総督の第二夫人と言えども、「しょせんは召使」に過ぎない。


「コンラーツィア、いいえ、叔母様とお呼びしてもおよろしいかしら?」


 マーヤには、コンラーツィアのことは呼び捨てにするようあらかじめ指示があったのだが、叔父の配偶者を呼び捨てにするなど、マーヤにはどうしても出来なかった。


「マーヤ様、宮廷秩序にかかわりますのでそれは応じかねます。私のことはどうぞ、コンラーツィアと呼び捨てになさいまし」


 コンラーツィアはにっこりとほほ笑んだまま、言った。


「でも…」


 小娘に呼び捨てにされるのは仮にもこれまではスーペルビアのファーストレイディだったコンラーツィアにも飲み込みがたい屈辱だろう。しかしコンラーツィア以上にマーヤに対して負荷がかかるのだ。

 はるかに年長の女性、それも第二夫人の立場にある貴婦人を、ついこの間までは平民だったマーヤが呼び捨てにする。平民だったことは隠されてはいるのだが、12年間この世界で育った心の縛りと言うものがある。


「では第二夫人とお呼びします」


 活路を見出したかのように、マーヤは言った。


「総督様を総督様とお呼びするのならば、第二夫人を第二夫人と呼んで何の障りがありますか?」

「問題ありません」


 すかさずフェルカムが助け舟を出す。


「おい問題ないのか?」


 ガレアッツォが心配げにフェルカムに聞いた。


「そもそも呼称は、上下を明確にするためのものであり、それは上位者側の自由意志の範疇です。マーヤ様が仰せの通り、コンラーツィア様を第二夫人と呼んでも、あるいは呼び捨てにされても問題は無く、すべては上位者たるマーヤ様のお心次第です。マーヤ様がそれでいいと仰せになられるならばそれでいいのです」


 ほとんど狂信者の言い分であったが、立場的に既にマーヤの股肱にして旧主イルモーロ派の軍師格と見られつつあるフェルカムがここで、言質を差し出したことには意味があった。


 マーヤはコンラーツィアを第二夫人と呼ぶことで、必要以上のコンラーツィアの権威の低下を食い止めたことになる。


「ファーレンベジア伯家への貸しとしておこう」


 マーヤに同道していたリヒトホーフェン伯がおもむろに口を開いた。総督家内でのやりとりと言うよりは、リヒトホーフェン伯家とファーレンベジア伯家との利害調整とすることで、まとめやすくしたのである。


「父には申しおきましょう。ご配慮、ありがとうございます。マーヤ様、リヒトホーフェン伯」


 コンラーツィアもその形で受け入れた。

 ファーレンベジア伯位は、一時は、ガレアッツォが継承していたが、ガレアッツォが総督位に就任するにあたって、再びコンラーツィアの父が復位している。将来的にはコンラーツィアの子のいずれかが、継承する見込みであった。

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