第21話 出迎える側

 リヒトホーフェン伯家の城、リヒトホーフェン城は昨日から大騒ぎだった。リヒトホーフェン伯が発した突然の布告。


『前総督第二夫人、亡きヴィクトリア・リヒトホーフェン・スーペルビア様は、子を産んで亡くなった。その遺児がいる。総督ガレアッツォ様と余、リヒトホーフェン伯イングラムは、諸情勢にかんがみ、遺児マーヤ様を秘匿し、上級貴族ブランシェットに委ねて隠し育てることにした。諸情勢の好転の結果、もはやかのお子を秘匿する必要は失われ、かのお子が12歳になることから、総督子として披露目を行うことを、総督様と余、リヒトホーフェン伯イングラムは合意した。

マーヤ様のお母上は我が娘ヴィクトリア様であり、マーヤ様はリヒトホーフェン伯家の外孫になる。その披露目、及び今後に及んで、当家リヒトホーフェン伯家はマーヤ様の外戚として後見に立つことになる。

明日、マーヤ様は側近一同と共にこの城を訪れになり、スーペルビア城での披露目の儀まで滞在されることになる。

諸臣は、リヒトホーフェン伯家が仕える総督子様のお姿を確認し、誠心誠意、遺漏なきようお迎えするべし』


 リヒトホーフェン伯夫妻には長女のヴィクトリア、長男のヒースクリフ以外には、下に二人の娘がいるが、いずれも他家に嫁ぎ、普段はリヒトホーフェン伯家の人と言えば伯と伯夫人の二人きりである。

 既に社交にいそしむことも少なくなっていて、静かに暮らしていたのだが、にわかに城中があわただしくなった。


 衣服やアクセサリー、それ以外の必要品については、スーペルビア城から持って来るとフェルカムを通して通告はあったが、はいそうですかと言う訳にはいかない。リヒトホーフェン伯家の外孫なのだ。

 ヴィクトリアの遺品は既に整理されていたが、その中から形見としてマーヤに相応しいものを選ぶ必要もあったし、姿見と言う特殊魔法が仕える下級貴族も急遽呼び寄せられていた。

 姿見の魔法は、対象となる人物の着衣の姿から、正確にそのサイズ、容貌を写し取る能力であり、高度生活魔法の一種である。その能力を介して正確なマネキンを作り、マーヤの衣服を発注するのである。

 厨房では歓迎の宴の支度でおおわらわであった。

 料理長を務めるのは下級貴族であり、リヒトホーフェン伯家に代々仕えている。下ごしらえなどは平民の料理人に任されているのだが、上級貴族リヒトホーフェン伯家では、多数の下級貴族や平民が臣下もしくは召使として仕えている。

 マーヤの魔力が巨大である一方、制御はまだ万全ではないということもあり、マーヤのお目見えに適うのは貴族に限られているのだが、そうなると平民の召使がどう動くのか、その動線の調整も必要になってくる。


 とまあ、舞台裏では結構てんやわんやだったのだが。


「来たようだな」


 床に描かれた転移陣がオレンジ色に輝きだす。


「なんだか緊張するわ」


 伯爵夫人がそう呟く。


「あっちもそうだろうさ」


 品定めは互いにするものである。

 この部屋には今、伯爵夫妻しかいない。

 マーヤという少女は非常に優秀だ、そちらでの家庭教師の手配も必要ないほどだと伯爵夫妻はフェルカムから聞いてはいるが、明敏鋭利で知られるフェルカムも人の子、彼が先君イルモーロに熱狂的な忠誠心を抱いていることはスーペルビア政界にいる者ならば周知の事実だ。贔屓に引き倒しで目が曇るということもあり得なくはない。

 実際に会って見て、期待を裏切るような少女であれば、リヒトホーフェン伯家からも諸々を取り繕える側近を出すべきだろう。マーヤと言う少女の実態を見定める者の数を絞る、これは伯爵夫妻の考えたリスクヘッジである。


 魔法陣の上に徐々にマーヤ一行の姿が浮かび上がった。マーヤたちのみではない。人の背丈ほどもあるトランクケースが、3つ並べて立っている。


「マーヤ様、転移酔いはしてないかい? 眩暈とかはしないかい?」

「大丈夫よ、ブランシェット」


 そう会話するマーヤの姿を見て、リヒトホーフェン伯イングラムが思わず感嘆の声を上げた。何と美しい少女だろう。

 大奥のような身分も低い女も集められる後宮ならば、選抜基準がほぼ美貌だけだから、生まれて来る貴公子や令嬢たちも美貌になりやすいのだが、ノサエルトでは上級貴族は相手も上級貴族でなければ子を産む/産ませることが出来ず、上級貴族同士の結婚はほぼほぼ政略結婚である。顔はどうでもいいとは言わないが、優先順位は低い。

 従って「いとろうたけた」とか「見目麗しい」と形容される姫君たちであっても、言葉との賞賛と実際の容貌はかけ離れていることが多い。

 マーヤのような正真正銘の美少女は珍しい。


 リヒトホーフェン伯夫人アンジェラも思わずみとれていたのだが、目と目があって、あっと思わず声を上げた。何故だろう、こみ上げてくる愛情と懐かしい感情は。


「おじいちゃん…おばあちゃん」


 マーヤはほとんど無意識にそう呟いていた。


「マーヤ様?」


 瞬間的に手を取ろうとしたブランシェットの手を払って、マーヤは駆けだしていた。


「おじいちゃん! おばあちゃん!」


 マーヤはリヒトホーフェン伯にそのまましがみつき、涙を溢れさせた。


 後になってどうしてそう思ったのか分からないが、マーヤにはリヒトホーフェン伯夫妻が、北条真綾の大阪の祖父母に重なって見えたのだ。

 あの日、大阪の伊丹空港に迎えに来ていたはずの祖父母。

 おそらくは午後8時頃にどのチャンネルでも一斉に切り替わった報道特番で、日航機123便の墜落を知ったはずの祖父母。


 ノサエルトに来てからこんなに泣いたことはないというほどにマーヤは泣いた。大阪の祖父母を思わせるリヒトホーフェン伯夫妻にすがって泣くことで、転生以来ずっと、気が張っていたことにマーヤは気づいた。

 誰にも話せなかった。

 誰にもすがれなかった。

 そう、マタイとラケルにも。

 前世の自分を隠して隠して、不自然に見えないか、人から疑われるのではないかと怖れながら生きて来た。

 たった一人。

 この世界にたった一人きりの転生者として。


 リヒトホーフェン伯夫妻は、一瞬驚いた顔になったが、すぐに何故か納得した風になり、二人ともしっかりとマーヤを抱きしめて優しくその髪を撫でてくれた。


「あ、私」


 ふいに正気になって、マーヤは自分が大それた、とんでもないことを仕出かしたことに気づいた。目をやれば、側近3人はそれぞれにひきつった表情をしている。


「いいんだよ」

「いいのよ」


 不安を取り除く、優しい声がマーヤの頭上で響く。


「「おかえり、マーヤ」」


 リヒトホーフェン伯夫妻のその声に誘われるようにして、マーヤはもう一度抱き着いたのだった。

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